心を持たない人間

ところで「心が無い」とはなんなのだろう

真面目な話を続けて来た末にこれを入れるんかwww

って事例なんだけれどもw


まあでも要するに
心を持たない というか 心がない行動 ってのは
こういうものであります

自分しか見てない、見えてない
見ている範囲が狭い

心があるということは内面に動きや流れがあること、
自分の中になかった何かを受け取って、内面に動きや流れを作れるということだから

……あれ待って、その考えで行くと、この猫ちゃんは
心を獲得しているということになるのではwww

輪ゴムパッチンなんて生まれつき持ってる本能だけで自然に始める行動じゃないですからね……
新たな試みが心に入ってきたきっかけやタイミングが……
好奇“心”の芽生えた瞬間が、あるはずですね。

と考えると、やっぱり

『「誰にでも心があるかないか」の答えは「ある」なんじゃないか、少なくとも人間の中で、内面を、思考を持たない者はいないのだから』が

結論なのかな……

しかしそうなると、それでも

『「心を持たない」という表現が当てはまる人間はいる (としか思えない)』

という矛盾にもぶちあたります。

……慣用句としての「心無い」という表現だと、

「他者の痛みや苦しみに考えが及ばない、無頓着である」

という意味合いで使われますね。

この言葉によると心があるか無いかの区切りは、
「実際に心があるかどうか」ではなく、
「他者のこと、特に苦痛の感覚を思いやれるか否か」にあるということ……?

……これって、ものすごい食い違いを生むことなんでは……
誰かが「あの人は心無い」って言ったとして
当人は絶対「いやあるよ心???」って思うよなあ

それぞれが「心」と言ったときに指しているものが違うんだけれど、
それらを区別するための言葉がない…… ないよね?

こういうことを考えたい自分としては
思考の材料としての言葉が存在しないのは
不便だよ困りまくりんぐだよぐぬぬぬぬなのだけれど

こんなこと普通考えない、探求しないもんなあ
使われない思考が言葉として生まれてこない、生き残らないのは仕方のないことだ……
あったところで、理解して使える人が少数派すぎるかもしれないし……

欧米の肉食文化のもとでは「ポーク」「ビーフ」「チキン」など肉を表す単語が豊富であるのに、
ほとんど肉食がなかった日本では「豚肉」「牛肉」「鶏肉」と「“肉”ってつけときゃいいだろ」発想で呼ばれているんですよね。

逆に、魚食文化が豊かな日本では、「出世魚」と言って成長段階において呼び名の違う魚なんてのがいたりする。
こちらは逆に欧米では細分化した呼び名がない (肉においてはあるので、その発想自体がないわけではない)。

そんな感じで、文化や習慣……その語圏に暮らす人達が使っている認識や思考は、使われる言葉にも影響してくるわけで。
誰も使わない精神活動は、言葉として生まれてくることや生き残っていくこともないのよな。

……でも、哲学とか、仏教のどっかしらとかに、
こういう内容、転がってそうな気もするんだけどなあ。

勉強不足で分かりませんわ……

勉強できる知能がないので
いつかなんとなく運良くピコーン 💡 で
理解しますように (ヒデェ神頼みだwwwww)

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