このテーマは心理学方面でも気になるところですが、占星術方面でも気になっています。
子供の立場から見て、月は母親、太陽は父親の象徴でもありますが……
ということは、この2天体って、単体で片親ずつを表しているだけではなく、
双方の配置がそのまま両親の関係でもあるのでは?という疑問が湧いてきたのです。
まずは自分のホロスコープを確認してみる
自分自身の内面が関わるので、
客観的に見られていない部分もあるかもしれないのですが。
わたしから見た両親は、仲の良い人たちではありません。
いがみ合ってもすれ違ってもいませんが、会話は噛み合っていないし、気が合うわけでもないです。
でもそれがあまり気にならないのと、夫婦に配置されたからそんなもんだと受け入れて生きている感じ。
……ホロスコープの配置を特に意識せず、そういう感想なのですが、
太陽と月の配置を見ても、自分としてはしっくり来ますね……

わたしの☉太陽は♌獅子座、☽月は♉牡牛座です。
サインだけ見るとスクエアですね。
でもオーブ12度なのでアスペクトしているとは言えません。
わたしはこれを
『衝突はしていないが仲がいいとは言いがたい、気は合わない』と解釈したのですが……
当てはまりすぎているから、見立てが正しいのか先入観でこう見えているのか判断に困りますw
……というわけで、兄にも聞いてみました。

兄のホロスコープでは、
☉太陽が♋蟹座で☽月は♓魚座です。
『なんだエレメントが調和してるじゃないかー』と一瞬思ったのですが、
よく見るとセスキコードレイトしてるんですよね。
オーブ0.46度!
ここからは、『一見調和していて仲もいいけど、意識の底には違和感もあったのではないか』と推測。
これを兄に共有してみたところ、特に異議はなしということで。
個別に見ても納得感があるのですが、時系列で見るとなお納得が深まるような……
「兄が生まれた頃は、仲良くしようとしていたが足並み揃わなかった」
「妹が生まれた頃は、合わないながらも家族として収まり落ち着いていた」
こう考えると、これまたわたしとしてはしっくり来るのですな……
なので、
『……これ、もしかして、
「子供(自分)から見た親、両親の関係」である他に
「両親の当時の状況」でもあったりするのでは……?』
という疑問も、湧いてきますね……
……というか、であれば、我々の母、負荷を背負いすぎでは……?
どちらも、月が結構しんどいんですよね。
状況の影響によるところが大きかったのか、本人の素質によるものなのかは何とも言えないのですが。
兄の月は、頂点ではないとはいえ月がTスクエアの一端を担っていますし、しかもその構成は♂火星と♄土星です。
妹に至っては、グランドクロスに巻き込まれています。しかも構成する感受点には相変わらず♂火星がいて、♄土星はいなくなったものの代わりに♇冥王星が入っているという……
残り1点が♃木星であるのがハードながら救いですが…… どんどん重くなってない??
妹の月は他にミスティックレクタングルも構成していますので、不協和の中で頑張っていたのだろうな、ということも伺えるように思います。
これらの複合アスペクトいずれにも太陽は関わってこないので、まあやっぱり二人三脚の夫婦ではなかったんだろうなということも思います。
そんな太陽の方は兄時点では冥王星とハードアスペクト、妹時点では土星とハードアスペクトしています。月と逆感ある……
なお、どちらにおいてもこの☉太陽は♅天王星と△トラインしています。「なんか笑える」って感じでしょうかね。わかる(わかる)
(月の方から読み取れるものも「わかる」なんだよなぁ……)
以上の内容を、当の両親へも直接ヒアリングできたら良いのですが……。
ふたりともあまり会話が通じるタイプではないので、遂行できぬのが残念であります。
(それ以外にも、わたしがコミュニケーションの通じないふたりと関わることが苦痛で近寄れない、というのもあります。
会話が通じなくても気にならない人同士だからこそ、ズレがあっても長い間一緒にいられるのもあるはずなので、コミュニケーション能力が洗練されていないこと自体は必ずしも悪いとは思わないのですが……)
親御さんの立場からはどうだろう?
子供視点で親に確認せず検証するのは限界があるので、
ふたりのお子さんをお持ちの知り合いにご協力を要請いたしました。
第一子さんは、コンジャンクションです。
オーブ10度だけど月と太陽だからアスペクトになりますね。
(……8度まででしたっけ?? まあいいや、アスペクトライン出てるしw)

(プライバシー保護のために月と太陽のみ表示しています えらいアッサリしてしまった……)
第二子さんは、オーブ4度のトライン。

ここには表示していませんが、月と太陽の真ん中にも惑星があって小三角を形成しています。
月と太陽のコンジャンクションは、
「公私の境界線があまりなく、お互いの意味を強める。
太陽の方が力が強いため、公のために私を犠牲にする傾向がある」
という意味を持ちますね。
で、トラインは THE・調和。
☉太陽☽月でこのアスペクトを持つと、精神的に安定し、人から好かれる円満な人格になりやすいと言われています。
というわけで、そのままご夫婦の関係に変換して聞いてみました。
- すごく仲のいいご夫婦というのは一貫している
- 第一子が生まれた時、
『お互い歩調を合わせてがんばってます!でもわたし(妻)の負担のほうが大きい……』と感じていた (客観的にどうか、ではなくお母さんの気持ちとして) - 第二子が生まれるときには
『もうすっかりなじんでます!阿吽の呼吸!』みたいな感じ
という感じだったりしましたか? (`・ω・´*)
お返事↓



慣れない子育ても私寄りだったので不満もけっこうあったから



わおわお!!└( ゚∀゚)人(゚∀゚)ノ
どうやら子供のホロスコープには両親も記されているようだ
もっと実例を見ていくべきではあるのですけれども。
とりあえず、わたしの中ではこの結論に。
しかし、
両親の調和度合いがそのまま子供の太陽と月 (≒精神状態) を形成してしまうだなんて、
こいつぁーーーえらいこっちゃーーですよーーーーー
だって調和していないカップルの子供は、
一生その不調和を心に抱えながら生きていかないとならないですからね。
夫婦には離れるという選択肢もあるけれど、子供が自分の心から嫌な部分だけを切り捨てられる日は絶対に来ない。
……という書き方をすると、めちゃめちゃ絶望的な気持ちになりますが……
あの、これは、受け止められる方にしか受け止められないお話だとは思うんですけど、
こういう子供は、
その不調和を解消することを、使命・役割として選んでいるところがあるっぽいんですよね……
両親が生み出した不調和を、その心身を以て昇華する役割を買って出た……と言いますか。
ホロスコープのハードな要素は、
その子が幸福に塗り替えたいと願った要素
「人は幸せになるために生まれてきた」と言いますが、
実は、本当に選んでいるのは、“幸せ”ではなく“体験”ではないか?
そのように感じることが、少なからずあります。
もちろん、最終的には幸せを目指しているのですが、
その過程として大きく長い困難や問題を通らざるを得ない人生を目にすると、
その最中にいる人たちに対して「人が生まれるとき、必ず幸せを目指している」と伝えるのは適切ではないように、感じてしまうのです。
そんなとき、「“体験”を増やしたがっている」という表現であれば、しっくり来ます。
現世を生きるわたしたちが芸術や物語を求めるとき、必ずしも幸福な内容を選ぶわけではなく、そうでない様々な作品にも心を惹かれ、のめり込むことがあるように、
心より更に深くにある魂も、現世に対してそのように見ていることがあるのでしょう。
「子供は親を選べない」という嘆きは昔からあり
近年は「親ガチャ(に外れた)」という言い回しが流行っていたりもするわけですが、
親子の縁が結ばれる理由は、必ずしも円満な関係のみを目指しているわけではありません。
生まれる前の予定表は、その“外れ”とされる要素、不利による苦悩を、
覆すためにこそ、あえて設計されていることがあるのです。
一人ひとりが一人ぶんずつ、世界の不幸や困難を幸福へと、塗り替えていくことをするために。
そもそも親子だけでなく、両親……夫婦の方も、必ずしも仲良くなること(だけ)を目的に縁を結んでいるわけではないんですよね……。
こちらも最終的には「仲良きことは美しき哉」を目指してはいるのですが、
だからこそ、目標の達成が難しい相手を選んだり、
己の弱さ、ひいては家系の弱所を助長するような縁談がまとまっていくことも、
少なからずあると言いますか。
生まれてくる子供は、そんな両親や家系の在り方に対して
受け入れることがあり、気に留めないことがあり、反発することがありと、反応は様々ですが……
そうやって縁を紡ぎながら、
課題が引き継がれたり、解消されたり、そしてまた新たに表面化したりしながら、
世代が進み、家系が進歩し、
それと共に、世の中も進んでいくという……
背負う課題の重さや難易度、そして方向性はまちまちですが、
課題をその身に、心の中に引き受けることは大変です。
先にも書きましたが、
他者との葛藤には離れるという選択も取れますが、自身の内にある葛藤をそこだけ分離することはできないからです。
しかし……
だからこそ。
自分の心は分割できないからこそ、逃げる道がないからこそ、とことん向き合うことが可能になる、という側面もあります。
その不調和をやり過ごすなり、突破するなり、むしろ調和へ活かしていくなりの術を身につけていかざるを得ない、その必要性を“得る”ことが可能になる。
これを解消していくという個人の成熟がそのまま、
先人の不調和、家系の課題を解消することにもなるわけです。
……まあ、
そうは言っても
なんか道のり厳しすぎない!!?
無理ゲー!! もう捨てちゃいたいリセットしたい!!
ってなってしまうことも、少なくないわけですけれども……
無理は禁物、一歩ずつ
人間個人として苦しみの最中にあるとき、それよりも大きな視点で物事を眺めることは難しいです。
だから、課題をもたらした相手個人に文句が湧いたり、恨みを抱いたりすることもあります。
課題の仕掛け人は彼らではないのだ、彼らはただの役者に過ぎないのだ、ということに思い至っても、
次には「運命」や「人生」といった言葉で呼ばれる、脚本を呪う気持ちが出てきたりもするでしょう。
こういった気持ちは不愉快なものですし、人間関係等を損ねますから、持たなくて済むなら持たないに越したことはありません。
でも……
「持たなくて済む」ものでもないんですよね。
願わくば、こういった気持ちや困難を通らなければならないとき、その期間ができるだけ短く、そして受ける痛みができるだけ小さくありますように。
その先にある“最終的な目的地”は、実際にたどり着いてみるまで想像もできないほど、そして、
味わった気持ちに見合う以上の、
素晴らしい場所であるはずですから。
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覆すためにこそ、あえて設計されていることがあるのです。
どうもこの子達、こんなどうしようもないお母さんを助けるために生まれてきたっぽいのです。
って、人間視点からは思うけどさ…………
「和らげない方がいい痛みもあります」
この出来事が何の現れであったのか、
自分にとってどういう意味があったのかが明らかになり、
不快感の解消へたどり着くことができます。誰が悪いという話ではなくなるため、もう他人も自分も、誰も責める必要はありません。