ある時、わたしの担当ではない、ひとの守護霊さんとお話をしていました。
その守護霊さんに守護されている人は、わたしから見て
『心を殺す事を善しとしている。それって人としてどうなんだろう』
という感想だったので、守護霊さんに聞いてみたのでした。
『人間が、あまりにも望ましくない方向へ突き進んだときは、ちゃんと本来の道へ戻れるように導いてくれるんですよね』
それに対するお返事は、下記でした。
「守護霊が導くのではありません。
人が守護霊を“使う”のです」
……わたしはてっきり、守護霊さんの守護って
「喉が乾いたら川辺に案内してくれる」みたいなものだと思っていたのですが……
実際には、
「喉が乾いたから水を飲みたい、という人間の意思に沿って案内してくれる」んですね。
守護霊さんはあくまでも補佐役で、主体は人間。
これ絶対。
また、
『ぅえ、あ、そしたら、あの、
“あまりにも望ましくない方向”へ行き過ぎてしまったら、戻る時に痛みを伴うと思うんですけど、
その時は、痛みを、和らげてくれるんですよね……』
て聞いたら、
「和らげない方がいい痛みもあります」
て即答されました…………怖ッ!!
めっちゃ即答だったよ怖ッ!!!!!
しかし、人は自分の選択の結果を受け取らないといけないから、単純に「痛くない方がいいよね」なんてやるのはよくないようです。
痛いからこそ分かり、痛くなければ学べない事がある。
痛みに値するものを世界へ投げかけておきながら、いざ適切に返ってきた時、回避させては本人のためにならない……
と、そういう話らしい。
(とはいえ、自分のしたことを理解するための仕組みなので、本当に理解したらその瞬間から急激に解消へ向かうようです)
何人かの守護霊さんとお話してみて思ったのは、
守護霊さんたちは、個人を見守ると同時に
世界を見守っているんだなあということです。
個人を見守っているから、もちろん個人に合った対応や想いや性質だったりするんだけど (守護霊さんにも個性がある)、
でもなんというか、個人の守護を通して世界を想っている感があります。
たとえば、上記の発言をしてくれた守護霊さん。
『あなたの守護している人が心を殺していますが、これは本来の有り様ではないですよね?』など、個人のこととして質問を投げかけても、
「そうですね。(誰であっても) 心を殺してほしくはない、感情を味わい、人生を味わってほしいと、わたしたち守護霊は思っています」
と、全体論一般論としか取れないお返事が返ってきました。
ついでに。
『守護霊をできるほど成長しちゃったら、もう人間たちの暮らしぶりを見ていて目新しいこととか、「なるほど~」と思うこともないんでしょうか?』
って聞いてみたら、
「日々学ぶことばかりですよ」
だそうです。
そっかー、守護霊さんもいろいろ勉強の毎日なんだね!
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このメッセージは“わたし”宛なんだけど、
そう、“あなた”宛でもある。
(って、この記事を書きながら思った)