わたしなりの神社参拝をダラダラつれづれと

人様に聞いていただくほどの話でもないんですけども、何となしに言いたくなったので、そんな話をしてみます。

 

静かなところがいいのだ

まず、人の少ない落ち着いた神社が好きです。

人氣のあまり、人が多いところは避けています。
いただけるご利益よりも人波からのダメージのほうが上回っちゃうので。

(人波が悪いものだとか、人波=ダメージと決めつけられるわけではないです。
わたしにとってひたすら苦手である……という話です)

(何もかもが落ち着かなくて、嫌になってしまうのですわ……
自分のペースで歩けないとか、ぼんやりしてると邪魔になるとか。座るところが埋まってる or 隣の人と距離が近い、参拝中に次の人を待たせてしまう、人に姿を目撃される、などなど 全部イヤなのだ)

(『人に姿を目撃されるのが嫌だ』って、こうやって改めて言葉にすると笑っちゃうなwww でも苦手、美醜とかの問題でなく苦手。一部の人を除いて存在を認識されたくないですw 希薄な存在になりたい…… でも存在感って意思やら思考やら我の強さやらに比例するから…… 脳内の濃すぎるわたしにはどうも無理っぽい……)

なので、有名どころよりも近所の神社さんが好きです。
参拝目的ではない通り抜けのひとも、神殿に一礼してから立ち去っていくという、利用者さんたちのマナーの良さも氣に入っています。

そもそも通り抜け禁止ではあるのですが、それはここでは問いませんw (用のない人が多すぎると困るとか、マナーの悪い人が現れたら困るということなんだろうし)

日が高い時期なら、明け方の時間帯は道のりにも人が少なくていい感じです。
ただしタイミングによっては朝の掃除をしている人がいます。
レッツ全力回避!! (どんだけ

回避はしますが、おかげさまで境内がいつも綺麗でありがたいです。
単に掃除しているからというだけでなく、そんなふうにきちんと手入れしてくれる人たちに見守られている、というのも重要な点なんでしょうね。

わたしは真冬の参拝ってまず来ないですが (……って、それ以外の時期も適当だった)、早朝の掃除は年中無休でしてるんだろうし……
すごいなあ。

お賽銭

お賽銭には、100円玉を使っています。
わたしは100円玉が好きなので。

……という話を人にしたら、

「100円玉が好き!? 500円じゃなくて??
嘘だ、そんな人がいるはずない!!」と

完全否定されたのですがwww

それは500円玉そのものじゃなくて、貨幣価値を好んでいるんですよ……
わたしだって、貨幣価値としては500円のほうがいいですよw

だけど物体としては、重さ、形、サイズ、どれもほど良くて100円玉がなんか好きなのです。お釣りとかでぴかぴかのものが返ってきたときは、なるたけお賽銭用で別に保管しています。
平成20年(10年前) の後半代にはたくさんの100円玉が製造されたらしく、ぴかぴかのものをかなり見かけます。よいよい。

まあ神様からしたら貨幣はどうでもいいものでしょうが、
『わたしの大好きなもので、しかも綺麗な良いものをお贈りしますよ!』って考えると思いの外嬉しい氣持ちになるもので、そもそもぴかぴかの100円玉を持ってる時点で良い氣分でして、

この嬉しい氣持ちの方は喜んでもらえるんじゃないかと思っています。
猫とか幼稚園児のプレゼントに心和むあれ。内容自体は嬉しくなかったとしてもw

余談ですが、このエピソードがすごく好きです。

適切な心遣いって最高の贈り物ではないだろうか……しかも猫から うう うらやましすぎる うらやましすぎて爆発する (ボバーン

お願い事

さて肝心の願い事なんですが、基本的にはしないです。
『いつもありがとうございますー/お疲れ様です』か、
『○○することにしたので見守っててください』
みたいな感じ。

理由は『お礼に来るのがめんどくさいから』w

出不精のわたしが……『お願い叶ったよ神様ありがとう!』を言いたいがために、わざわざ家から出るわけが……ないッ…………!!

不心得者極まりないのですが神様にもそう伝えてまして、笑われている氣がしていますw

「まあそう言わず、いつでも歓迎じゃ、もうちと会いにきてくれても良いのだぞ」とも。

まあわたしの妄想なのですが。

妄想でもさすがに、厳しい神様相手に言ったら怒られる氣はしますけど……

わたしの信条は『明確な悪意のあるわけでもない人間が、個人規模でやる事程度でマジ怒りする神様は、わたしみたいな適当人間がご機嫌取りできるわけないから関わりたくない』なので、出会ったら『間違えました、すみません』で逃げたいです。いや、ほんとに。(信心のかけらもない……)

お稲荷様 (のところにいるお狐様)

さてさて、ここから先はさらに妄想激しくなっていくのですが……

神社に参拝したあとは、境内の隅っこにあるお稲荷さま (のところにいるお狐さま) にも話しかけていきます。
どちらかというと、こちらがメインになりつつある。

神社は落ち着く田舎の家で、神様は優しいおじいちゃんで、でも遊びに来た子供としてはそこに住んでる同い年のイトコちゃん達と遊ぶのが楽しい!みたいな感覚です。

…………書いてて思ったけど、わたしのセルフイメージ完全にオコチャマなのな…… (そうです)(3〜6歳)

お狐さまは、小さいお社の左右に1体ずつ、ちょこんと座ってます。
古いためか欠けてる部分もあるんだけど、ちゃんと補修されてたり保護されてたり、マフラーっぽいものを巻いてもらってたり、大切にされているんだなぁと伝わってきてほっこりします。

2人がそれぞれ油揚げ食べられるよう、ちっちゃなお賽銭箱に200円を入れて、しばらくお話していきます。

お社に向かって左側が元氣でよく喋る子で、右側は口数少ない落ち着いたお姉さんです (妄想)。
大体は、元氣な子がずーっと喋ってます。

この子達にもやっぱり「お礼が面倒だからお願いごとは基本しない」と伝えてあるんだけど、お返事は「ええ〜 もっと来てよー!」という感じ。

祀られてるひとたちというのは、寂しがりやなんですかね……w

(人々が明るい氣持ちで集まったり賑わったりしてるのが好き、という感じはする)

あるとき、いつも通りお狐さんとお話し (したつもり) してたら、

「ねえねえ、お社のうしろ見て、うしろ!!」と言われました (氣がした)。

え、ええ〜〜〜
お社の造り的に、行くのちょっと大変そうなんだけど……
万が一、君たちとかお社に体ぶつけて壊しちゃったらどうすんの……!
それに、見つかったらどうあがいても不審者 /(^o^)\
怒られそう……!
生きてる人間はそういうの、いろいろめんどくさいんよ……!

こんな感じで渋りに渋りまくったんだけど、

「いーからいーから!はやくはやく!!」ってワクワク&クイクイしかしてこない。

もぉーーー なんなんだよーーー
こんなとこに不法進入してどうしろというのだ
そもそも、本当に誰かに言われて行くならまだ分かるけど
『お狐様に言われてお社の後ろへ行ってみました』とか
見つかったときの言い訳にもならない
まじヤバみしかない \(^o^)/

なんてぶちぶち考えながら移動してたんですけども

あった

お社の真後ろ、正面はもちろん側面からも他の角度からも見えない位置に、正面のものとはちょっと違った2体のお狐さま像が、ひっそりと配置されていました。

『えっ あっ……え……これ……!?』

完全に予想外で……
うろたえながら正面のお狐さま (元氣) に意識を向けたら、「へっへーん」ってニヤニヤするだけで、返事はなかったけど……

後ろのお狐さまは、正面の2体ほどはっきりと意識を聞くことはできなかったけど、
こういう配置だからあんまり、氣づいてくれる人も会いに来てくれる人もいないらしい。

だから、氣づいてもらえて嬉しかったみたい。

わたしとしては混乱収まらなくて『お、お賽銭は引き続き200円でもいいかなごめんね……?』って目を白黒させてたけど……w

(油揚げ100えんひとりいっこのイメージ)

特に氣にされてなかったみたいだけども。
まあ油揚げにというのはわたしの氣持ちであって、実際にお賽銭使うの君らじゃないしな……

書いてて氣づいたけど、お狐さまはあくまで護衛みたいなもんだから、わたしってば肝心のお稲荷さまを無視してるよねwww
すみませんでした……

って思ってたら「氣にしていませんよ」的なお返事 (想い) 来た……

「いつもこの子達の相手をしてくれてありがとう。
近年はそのようにわたしたちと話をしようとしてくれる者は少ないから、本当にありがたいのですよ」

だそうな……

ああ……もっと明確に意識できたらなあ
本当に妄想と区別がつかないのだ

でも後ろのお狐さま見つけたのは事実だし……
でもでも本当に会話できていたとしても、都合のいいところだけ聞いてるとかボロボロ取りこぼしてるとかで、届いているのはごく一部だけかもしれないし

それでも会話の内容が合ってるのだとしたら、
祀られてるひとたちってやっぱり寂しがりやなのかな。
意識を向けると必ず「もっと会いにきてほしい」「会いにきてくれて嬉しい」的な氣持ちが伝わってくるから……

なんだろ、人間の寂しがりやとはちょっと違うんだけど……
人間の寂しがりは、会えないと悲しみとか怒りとか残念とかの氣持ちが湧くけど、神様たちにはそれがない。

ひたすら「会いにきてくれて (氣持ちを向けてくれて) 嬉しい」のみ。
プラスの氣持ちは湧くけどマイナスのそれは生じない。

 

そんなこんなで、神社さんを楽しんでます。

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