ホロスコープは読み手によって姿を変える

占星術の配置は読み手の精神性によっても見える範囲や解釈が変わってくるので、
読みを楽しみつつ配置で決めつけすぎないことも重要だと思う今日このごろ

「この配置だから……こうなんだ!!」が過ぎると、誕生図に囚われてその先へ続く可能性の扉を開けなくなる

例えば、山羊座は堅実で努力家というのが通説だけれど
わたしが一番スゲーなと思っている山羊座さんは
自分の事を「ギャンブラー」と称している
そして、その名に恥じない綱渡りへと結構飛び込んでいる

詳しく書いてたら長くなりすぎたので省くけど、
この人は一見すると確かに山羊座らしくないんだけれど

本質を追っていくとその言動はやっぱり山羊の性質から(も)出てきていて、超進化系なのだなってなるのだ

性質は占星術から読めても、
その表れ方や使い方は実質無限大に広がっていくので

「○座だからこう」に囚われるのはむしろ、占星術の意義に反しているのではないか、とすら思うようになった

誕生図から見える個性は、
人生を広げていくに当たってどこを入り口とするかが示されているに過ぎず、

人生の制限を決めるものではない、

人生の制限を決めるものであってはならない

入り口を示しているに過ぎない誕生図から無限大の可能性を読み取ることは
人間ごときに到達できる領域では到底ない

だから、読み手が受け取れる情報は、
知識や実践の量の他、人間としての幅も大きく影響する要素となってくる

読み手の人間理解が進めば、
乗り越えた苦しみが増えれば、許せることが増えれば、
そして心乱されることが減っていけば

同じ誕生図を眺めても見えてくるものは違ってくる

子供の頃に見た映画を、
大人になってから見直すと湧き上がる思いが変わるように

占星術は、
12サインだの感受点だの
知識で読むものと見せかけて実は、
読み手の人間性を総出して読むものなのだ

どこまで読めるのか、何を読み取るのか、
そして望ましくないものを読み取ったときに
どうひっくり返すのか
それともひっくり返さないのか

試されているのだ占星術師は

……といううるさい事を言い過ぎると
せっかくの読みがつまんなくなってつまんないので
そういう考え方もあるんですよ程度のお話

のびのびと読むのが楽しいよやっぱり!

 

補足いろいろ

他の占いも同じだと思います。
特に命占。
↑生まれたときにバチッと決まって、一生変わらないやつ。
誕生日で決まる系の占い。

ちなみに、一生スパンの長期占いである命占のほか、
もっと短い区切りの「相占(そうせん)」「卜占 (ぼくせん)」があります。

相占 … 中期。手相とか人相とか。
卜占 … 短期。タロットとかルーンとか。

という感じ。

でも違うのは視点の長さだけで、本質的には変わらないような氣もします。
知識(だけ)ではなく人間性でも語るもの、それは読み手によって変わるものということもそうですし、
重要なのは入り口 (次の一手・具体的に何をするか) であることも、
嫌な流れがあるなら変えていこうぜ!というのも共通ですし。

読まれる方の状態も重要だよなあというのもよく思います……
読み手が良い読みをしてくれても、それを聞く側が受け止められなかったら使える情報にならないので…………

なので、読み手にとって一番重要なのは実は
占術のほうじゃなくて「本人がどこまで受け止められるのか、どう伝えたら活用してもらいやすいのか」を見定める方なのかなという氣もしています。

でも、だからといって手加減のあまり占術の結果を、伝えるべきことを伏せてしまったらそれは占い師として誠実な態度じゃないなぁというのも思うんですよね。
今は聞き入れられなかった言葉が、十年後二十年後のふとした瞬間に生きるという可能性もありますし。

ほげぇ……

“神”ですね……!

人は神から出でた神の分割であって、
最終的に目指す先もまた、完全無欠の神です。

神はすべてを兼ね備えているのですから、
当然12星座だの個性だのといった小さな枠に縛られる存在ではありません。
12星座のすべてを、そしてそれ以上を内包しています。
なんせ世界のすべてはすべて、神の一部にすぎないので。

そんな神に対して人はあまりにも小さな存在ですから、
神の境地へ到達するまでには多くの経験と時間を要します。

そんな膨大な旅に、最初からすべてを選べてしまっては最初の一歩を踏み出すこともできなくなってしまいます。
なので、初期の指針として定められたのがその人の個性であり、
この個性の一部を読み解くための道具の一つが、占星術であると。

人がすべてを内包できないように、
占星術にもすべてを備えた図を表すことはできません。

となると、先には無限の可能性があるとしても
そこへたどり着くためには今どこを取り掛かりにするのか、くらいがせいぜいとなります。

しかし、このたかが入り口のみであっても、
人間が見渡すにはあまりにも広く、可能性が尽きることはありません。
ここにあるものをどれだけ得ても、たった一生で拾いきれるものではありません。

だから、占星術に示される誕生図は、一生活用していくこともできます。

見えなかったものが見えるようになり、そこにあるものを拾っていけば、
さらに多くを見ることができるようになり、拾えるものもまた増えます。

だから、「この配置だから……こうなんだ!!」を見出したとき、
方針として活用するのは良いのですが、
囚われ、出られなくなってしまってはいけないのです。

そこに示されているものは、入り口であり、出口ではありません。
可能性の始まりであり、終わりではありません。

視野を狭めることで集中でき、かえって可能性を広げることもありますし、
囚われることもまた一つの経験なので、
絶対いけないことではないのですが。

 


せっかく途中省いたのに結局長くなってしまった
けどこのテーマは大事な話だと思うし…………
占いで人生を狭めるのいくない

けど興味持つ人理解できる人きっとそんなに多くないだろうに『ここは抑えとくべき!!』みたいに言うのもあんま良くないんじゃないかという思いもある
物事にも、そして人の成長にも段階というものがある
“間違った”選択もまた貴重な体験

まあ、いずれにしても、あれよ

占いが人を振り回すのではありません。
人が占いを振り回す ──使いこなす── のです。

t=゛ょ

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