占星術って当たるの?

さあ……。

当たるんですかね。どうなんですかね?

わたし自身は、占星術にどっぷり浸かっておきながら、当たるか当たらないのかよくわからないし、興味もありません。

外した場合に読み直すと当てはまる解釈が浮かび上がるので、自分の読みが浅かったなあ、と反省はします。
でもそんなふうに後出しを持ち出していいなら、何でも言えてしまうので……

なので、当たるか当たらないかの観点ではさほど重用していなくて、別視点での活用がメインです。

「思考の幅が広がって楽しい」というのが、その動機になっています。

 

思考の幅 [1/2] 自分がどう使うかに視点を置く

すこし占い好きな人なら持って当然の疑問に、

「TVや雑誌に星占いが載っているが、すべての人がたった12通りの内容に当てはまるわけがない」

というものがあります。
至極当然そのとおりですね。わたしも同感です。

しかし、“すべての人”のうち、その占いを見るのは果たして何割でしょうか。
そして、同じ結果を見た人々でも、心に引っかかる部分・思い浮かぶものは各々で全く違うはずです。
結果をいつも確認して惰性で受け取る人と、偶然目にして強く氣になり頭から離れない人では、こころに染みこむ度合いも違うことでしょう。

占いというのは、伝えられた内容だけでなく
“何を求め、そして何(誰)と出会ったのか”から既に鑑定が始まっています。

それに、内容が「当てはまらない(誰にでも当てはまる)」としても、よいではないですか。
「交通事故に氣をつけてね!」ってあった時、
「それ、星座関係ないじゃん……」って思うより、「そうだね氣をつけよう」って受け止めたほうが建設的ではないですか!

というかんじで、星座別などの一般向け占いは、
『その情報が今の自分にどう引っかかるのか?どう活かせるのか?』という視点で使っています。

余談ですが「交通」は水星の管轄であって「情報伝達」も同じ領域なので、交通事故に注意の日は情報に関するミスも氣をつけるとよいということになるんですかね……見落としとか伝えそびれとか。言ったけどうまく伝わってない、みたいな。
おそらく太陽にトランシットの水星がスクエアしてるかなんかなんだろうけど、逆行してたらなお注意!なのかな。いや毎日の占いだったら太陽じゃなくて月か?
事故には怪我も含まれるだろうから、火星も関わってきてんのかなあ、だとしたら情報伝達はべつにそこまで(どっぷり

思考の幅 [2/2] 多様性を理解する補助

人はついつい、「自分の感覚は世界の常識」と捉えてしまうところがあります。

(逆バージョンもあります。「自分はおかしい。だから自分が信じるものは世界にとっておかしい」と)

たとえば、わたしの性格はとことん引きこもりです。
さすがにそれが世界の常識とは思わないけど、
「天氣がいいからなんとなく遊びに行きたくなる」という人間が実在すると知った時には『なん……だと…………!?』と盛大におののきました。まじで。

わたしにとって、外に出ることは苦役です。
どうしても片付けねばならない用事のためにすることであり、天氣がいいという理由で起こされる行動ではないのです。
唯一の例外は、やりたくもない仕事をするために会社というコンクリートの箱に軟禁されているときでしょうか。ってコレ「天氣がいいから」じゃないのでは

追々、実感を持って『そんな人もいるらしい (しかも珍しくないらしい)』と知っていくわけですが、
それでも長らく心のどこかで『自宅が居心地悪いとか、嫌な氣持ちよりも友人に会いたい氣持ちが勝ったとかでそうなるんだろう』ぐらいに思っていました。
だってコレといった理由も目的もなく外に出たくなるわけがないもの。
あるわけがないもの!!

かたくなに自分の発想から抜け出せません。
でも体験したことのない感覚なんだもの理解できないよ!

占星術を学びはじめてようやく、『本当に外出好きな人がいるんだ!!』ってことを納得しました。
同時に、わたし自身がいかに自宅大好きで動きたがらないかも分かりました。
性格を図にして客観的に見られるってすごいですね。

(占星術が当たらないものだとしても、いろいろな情報がつながって『少なくともこれは言える……( ㅎωㅎ)』と実感できたので受け入れています……
ちなみにね、不動宮。不動宮です。
メイン感受点10個のうち7個が不動宮です……!!
でもって風以外それぞれかなり重いの!! 重い感じなのッ!!!! アスペクトもつながってるし!!! 重ッ!!!!!)

友人と会う際、『移動なんて苦を強いるのは申し訳ない』と思ってお互いの中間地点か相手の近所で会うようにしていたのですが。

配置を見ると移動が好きそうだったので、思い切って『ごめん、ご飯代は出すからこっちまで来てもらってもいい?移動が苦手で』とお願いするようにしてみました。
わたしからは恐る恐るの頼みなのですが、実際のところ毎回喜んで来てくれます。

喜んでどころか、むしろ「なにもしてないのにご飯おごってもらうわけにはいかない!」とまで言ってくれます。なにもしてなくないよ移動してくれてるよおォ(´;ω;`)ブワッ!!! (移動が“したこと”に入らないって……どゆこと……) (交通費という名目でおごらせていただいています) (友人は移動が苦じゃないけどおカネないない、わたしはおカネ出せるけど移動マジ苦痛、
it’s… win-win……)

いやぁ。ほんとに。
ある人がつらくてしょうがないことを、全く苦としない人っているんですね。

もちろん、占星術で読めるからと決めつけてはいけないのですが。
素質を持って生まれても、使わずに錆びていることもありますし、
それにそもそも、占星術が当たるかどうか(略)

ともあれ、占星術を学ぶことで、
このように自分では思いつかなかった領域の仮説を立てられたり、
取捨選択のアタリをつけやすくなって仮説を組む速度・精度を上げられるので、ありがたいなあと思いながら活用しています。

現状の認識、方針の決定、そして覚悟を決め、行動。

占いの内容が当たろうが当たるまいが、
本当にやりたいこと、やるべきことはそんなに変わらないはずです。

でもなんらかの情報があったほうが、その通り進むにせよ違った方向を目指すにせよ、考えの軸として使えますよね。

そしてその軸の選定は、早く的確に越したことはない。

占星術に限らず、“占い”は
人生をより良い方向へ促すための指針の一つにすぎません。

決して、人生を決めつけて従うためのものではないのです。

占いが人を振り回すのではありません。
人が占いを振り回す ──使いこなす── のです。

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