心理面からの行動力がなくなる理由 心と行動はトレードオフ

こちらの記事から派生して

[記事のリンク]

という導入をする予定だったんだけれど
元の記事がいつまで経っても仕上がらず
めんどくさくなってきたので
もうこの記事だけ先に上げてしまいます(爆)

 

「心が無い」ことはとても酷くて残虐で
悪いことのように思えるけれど、

実はそうとも限らない。

上記の記事に書いたこういう側面もある。

心を獲得したら素晴らしい一辺倒かと言えば、実際はそうでもないんだけど……

悪意・憎悪・嫉妬といった悪感情だって激しくなったりこじれやすくなったりするし
心が大きくなった分ね 抱えている心のすべてが拡大されて大きくなるんだよね

それから、新しく劣等感とか自己嫌悪とかいう嫌な思考と戦うことになったりもするんでね……

心があることは、
心があるゆえの深い喜びを味わえることであり、
心があるゆえの深い苦しみを味わうことでもある

 

大きな家や大きなぬいぐるみ、それから大きな組織など……

価値あるものの存在は、それが欲しい人にとって大きければ大きいほど
「わーすごいなあ、素敵だなあ」という気持ちを喚起する。

けれど、それはあくまでも手入れや管理が行き届いていればの話であって。

その中身が汚れ、腐り、雑菌にまみれれば
「大きくて素敵」という感想は一変して
「大きくて手に負えない」になってしまう。
そうなる前には想像もつかなかった、新しい問題も発生してくる。

だから、大きいもの、中身の詰まったものというのは基本的に扱うのが大変で……

心についてもそれは同じなのだ。

小さな心は汚れを受け止める幅が狭く、掃除もしやすい。
大きな心は汚れを拾いやすく、そして掃除にかかる労力も増える。

その結果として、
心があることによって引き起こされる問題がある。

それが見出しの「行動力を削がれる」という要素だ。

人は何か行動しようと思い立ったとき、
一緒に様々な思惑の浮かぶことがある。

それが行動を後押ししてくれる内容であれば進む選択に問題ないけれど、
挑戦や面倒事に対するやらない理由だったりすると払拭するのは難しく、
そして行動が阻害されていく。

考えや感情(内面、≒心) よりも
それを行動に差し挟まない要素()が勝れば
行動をしていくことができるけれど、

行動よりも心の要素が勝ってしまうほど
心理的な荷物はどんどん増えて、
行動に転じるのは難しくなっていく。

体よりも心の動きの活発な者が行動を優先したいとき、
何かしら、心を断ち切らなければならない。
心の優先を、諦めなければならない。

内面より行動力を優先させる要素例

  • まだ子供である
  • 先に手足が動く質である
  • 物事をあまり考えない性格である



「“忙”という漢字は
『心 (忄) を亡くす』と書く」

とは
よく聞く言葉だけれど

もう少し穏やかな範囲でも
「行動を起こすというのは、
 心を切り捨てることである」
のかもしれないね。

「巧遅は拙速に如かず」
「案ずるより産むが易し」など

「準備や心配をしすぎるよりもとりあえず実行してみよう」

「頭で不安なことも過ぎてみれば案外大丈夫」

系の知恵も、そのあたりを踏まえているのだと思われる。

……個人的には、
思い立ったら行動するのが絶対善とは考えていないので
何かを行動に移せないとき、それはそれでまあいいんじゃないかと思ってるんですけど……

とはいえ、日常生活やお仕事で必要となる範囲の行動が必要量に届かないのは困ってしまいますからね。

考える素質も長所である一方、
何も考えない、心を挟まないで体を動かす、飛び込める力も大事だなあと思います。

バランスよ、結局は最適なバランスなのよ。

行動が優先か、心に浮かぶものを優先か、の
「どっちが (何が) 正しいのか」 ではなくて

そのバランスをどこで取れば成果を最適化できるのか とか
どのように取れば負荷と行動量のバランスを最適化できるのか とか、
成果とは何が最適であるのか とかとか

状況や情報に応じて「最適」を探るのが命題という。

「どっちが (何が) (この状況において) 最適なのか」

心を優先しすぎると行動力がどんどん損なわれていって何事にも身動きが取れなくなってしまうし、

行動を優先しすぎると
子どものいたずらやスパム業者によるメッセージ、そして過激に煽り立てる報道のような
迷惑で世を乱す動きを量産してしまう。

……「仕事」の良いところであり悪いところの一つは、
「個々人の心よりも、目的を優先した行動を起こさせること」だなあと思います。

個人だったらやろうと思わない、疑問を覚えることが、
仕事の元では……
特に、規模の大きな仕事や役割や使命感の元であるほど、
当たり前に進められていく。

大きなことだったら環境汚染とかそうだし
小さなことだったら満員電車に乗るとか
不調をこらえたり、家族(大切な人たちとの関わり)の優先度を下げながら仕事に当たるとか、ですね。

仕事が補ってくれる行動力は
個人の戸惑いや恐れ、疑問を払って人々の生産力を上げ、
暮らしを快適に、そして楽しくする成果を生んでくれる
とても恩恵の大きなものなのですが、

一方で、
自然環境や心身の破壊に対する感性を下げて無頓着にしやすくもさせます。

だから結局は一長一短なのだと、
どこでバランスを取るか……
何を「最適」とするか、

無視せずに見つめるのは
大切なことなんだろうなあと、
そんなふうに思ったりします。

というようなことを考えてしまうわたしは
当然心寄りすぎ勢で行動力皆無勢です、てへっ

腰が重いって言葉ありますが
わたくしもはや頭が重くて敵わんので漬物石なので体も漬物化しているので
行動力あって、心もある人たちすげぇ~~~
って なりながら見てます。

でも行動に転じたら転じたで割とロクなことしないので
あえて頭を重くして落ち着けてるところも
あったりなかったり……する…………
迷惑行為を撒き散らすよりは黙って何もしない方が orz

心がきちんとあって行動力とのバランスも取れ……
そして行動が最適……
なんて……なんてしゅごいんじゃ……

心が重くなりすぎるんでなく
行動が軽くなりすぎるんでもなく、

心が行動を起こし
行動の中に心があり

適度に的確に適切にっ
動いていけたらよいですよね。

 

おまけの謎まとめ図

なぜか唐突な手書き

@行動力と心の関係@

❀推しに出会った人の心

心を殺してがんばる人の器

💧お水は心の象徴

※途中の画像はいらすとやさんより 
ペンライトを持つアイドルファンのイラスト(男性)

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