心が無い == 悪 …ということではない
だけど、心無い言動が必ずしも悪いということでもないです。
心を動かしすぎる、特に、望まない過ごし方で心をずっと動かし続けてたら疲れちゃいますからね。
頭からっぽに、アホな言動、心ない言動、心置いてきぼりに適当な時間を楽しむことだって重要なんだなとも思います。
輪ゴムぱっちんは痛てぇしとんでもねぇですが、輪ゴムぱっちんしようとしてる猫ちゃんはかわいいし笑えますw
害がなければ、心のない言動ってのはむしろ
楽しくて良いものなんですよ。
軽くて、明るくて、面白い冗談として流せて。(いや輪ゴムぱっちん痛てぇけどとんでもねぇ痛てぇけど)
深い絆は深い話で築き上げるものだけれど、
浅い部分の繋がりや付き合い、連携などは
浅い部分でこそ築くことができるものですし。
問題は、何かの冗談(等)があった際に
流せて楽しい人と、そうでない人が……
そこに無視できない痛みがあって
流すことも楽しむこともとてもできない、笑えない……という人もいて
笑える人と笑えない人とで
その冗談(等)を共有することになった場合ですね。
冗談というのは突き詰めていくと
「あってはならないことを笑い飛ばす
(嫌なことや面倒なことを、笑い飛ばして軽くする、軽く扱う)」
みたいなところがありますから、
誰かの笑えること、軽く話せることが
誰かにとってはそうではない、ということが当たり前にあるんですよね。
それは事件事故に関することであったり、
劣等感の絡むことであったり、
障碍に関することであったり。
戦争、容姿、成績、人間関係、憧れ……
人間の精神を捕らえることは、すべて……
そこに心を置かずに話せる人と、
心を置かずにいられない人が存在する限り、
笑える話であり、笑えない話です。
時代はグローバルと多様性の受け入れとポリコレの遵守を善としていますから、特に注目を集める人々は話題選びや話運びを考えるのもラクではなくなっていますね。
わたしは脱落でござるよ……
こういうもの達を良いものだと考えた結果、『多様性を守るためにこそ、ある程度の排他性は必要だなあ』と最近は考えています。
話が逸れたけど、
「心が無い、またはあえて置き去りにするからこそ
臆せずに行動を起こせる、面白いことを言える」
という要素についてのお話でした。
なお、心の無さと言動 (行動(力)、内側のものを表に出すこと) の関係については、こちらの記事にてもう少し詳しく掘り下げました。
別の部分も分離してぇよぉ……
頭の中に流れてくる情報が多すぎて扱いきれねぇよぉ
一応形になってるだけでもすげぇなぁと思わざるを得ない……ので
なんとかできあがったものでなんとか妥協してゐる……