牛乳の生産と動物愛護 [前半] 生産過程

 

牛乳はダメなの?どうして?という疑問

菜食を目指しているという話をした際に、

「(その理由が動物愛護にあるのなら)
肉はともかく、牛乳はどうなの?
牛乳については『分けていただく』という感覚なんだけど」

と、聞き返されたことがありました。

「殺していない、苦しめていないのだから、大丈夫なはず」

ということですよね。

そのときのわたしは

『人に勧められて、なんとなく菜食を目指してる』

程度の感覚でおり、
情報も思考力も足りていなかったために、
返せる答えがありませんでした。

むしろ、同じ疑問を持っていたくらいです。

そのため、
『まだ分からないけどなんとなく避けてる』と、
正直に答えるしかできませんでした。

その後、情報を得ていくにつれて思いました。

これを“いただく”と呼べるものか、
明確に“奪っている”

「分けていただく」その過程

ここから先には、気分が悪くなる話も載せています。
耐えられない方は無理に読まないでください。

そういう、文字を読むだけで苦しくなるようなことが現実に行われており、その生産ラインを人間たちが使い続けているという現実があるわけですが。

(こういうこと言っちゃうから心が弱い人や正義感に燃えすぎてしまう人にはこの先を読まないでほしい)

お乳が出る前提には、妊娠出産が必要である

現代日本では学校給食に牛乳が出ることもあり
幼い頃から「牛 == 牛乳」と刷り込まれていますが、
牛のメスからお乳を採取するためには、成獣に育つだけでは足りません。

乳汁を生産する (してもらう) ためには、
妊娠(・出産) が必要になります。

一般的な酪農において、牛は、
メスが生まれると、しばらくは普通に育てられます。
そして、妊娠できる時期に達すると、種付けがおこなわれ、初めての出産を迎えます。

その後、毎日搾乳しながら、少し間を置いて次の種付けをおこない、次の出産を迎えつつ搾乳を続けていきます。
種付けの時期は、乳汁を出荷できる期間が極力途切れないよう調整されます。

まさに牛乳を作るため、人に捧げるための一生というか、
何もかもを人に管理された生涯ですよね。
種付けだって、オスを同じ檻に招き入れるなどではなく、人間の手によって注入されます。

(雄の精子は、別途取得されています。やはり人間の手によって……出が悪ければ、無理矢理に)

恋も同意も分からないまま、妊娠出産を管理される暮らし。
牛にとって、これは、どうなんでしょうか……

野生の動物達にとって、
オスが、メスに認められる喜びとか、
メスが気に入ったオスへ寄り添いたい欲求が、
湧いてくることは、ないのでしょうか。

個人的には、動物たちも、動物たちなりに、
好みや気持ち、そして意志は持っているんじゃないかなあと思うのですが……

昔、近所に全然仲良くしてくれない三毛猫ちゃん(女の子)がいまして、
しかし黒猫(男の子)を膝に乗せている間だけ一緒に膝へ乗ってきて撫で放題させてくれたんですね。
彼女はいつもこの黒猫の側にいようとあとをついて回っていたので

『この三毛ちゃんはわたしと仲良くしてくれているわけではなく、黒ちゃんの側にいたくてわたしの膝を利用しているだけなのだな』と解釈しましてw

あと、同じく猫の例として
猫が発情期を迎えると男の子たちは女の子を巡ってケンカして、それが終わるとカップル成立になりますが。
しかしこの際、選択権は女の子にあり、選ぶ相手は勝者とは限らないんだとか……笑

だから、猫(動物)たちも、
(性衝動だけではない、個体を選んでの) 恋心を持つことは、あると思っておりまして……
ということは、好きな相手がいる喜びとか、その相手とお近づきになれる喜びというのも持っているはずだ、と考えているのですが。

まあ、「恋も同意も分からないままに妊娠出産」なんてのは野生でも少なからずあることでしょうから、「牛の幸福を考えるなら、安全が確保されるだけ人間の管理下にある方がマシ」という考え方もありますが……

(使われるのは優秀なオス牛の種ですし、ということはメスに好かれやすい、モテる個体の可能性もありますし…… 誰もがモテる個体を好むわけではないとか人間の評価と牛の評価が違う可能性とかはありますが)

管理されているのは妊娠出産だけではないですし、
安全と自由とでどちらの価値が高いか、という問いを立てたら、答えを出すことは難しいですが。

(加減と個体差にもよるから、固定の正解はないでしょうけれども)

諸々、彼ら彼女らの一生では自由からくる幸せが存在するということを知る機会から訪れないわけで、
知らない幸せなど、欲することも、ないのかもしれないですが……

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