牛乳の生産と動物愛護 [前半] 生産過程

 

そもそも「殺していない」わけではない

出産サイクルを数回終えた牛は屠殺行きです。

出産……

生き物の出産では、およそ半数がオスに生まれます。
しかし、彼らが乳汁を生産できるようになることは当然ありません。
役に立たないので屠殺行きです。

しかも、肉牛と乳牛は違うということで、“屠殺”ではなく“処分”されることもあるそうです。

人に囲われ、人に管理された一生でありながら、
その人々に「食べて供養」すらされない命たち。

ごく一部の優秀な遺伝子を認められたオスは種牛となることができますが、
彼らももちろん、種の生産が思わしくなくなったら同じ運命をたどることになります。

……ちなみに、牛ではなく鶏についても、同じ流れがあるために
卵について「無精卵を選べば良い」とは言い難いことになります。
ヒヨコ用のね、あるらしいですよ、シュレッダー。

乳牛は、確かに一見、殺されてはいないように見えますが、
見えない部分には「お役御免になるまでの間」という前提がついており、
本来の寿命と比べれば半分ほどの期間で、その生涯を終えることとなります。

短さの理由には、「肉として出したいから味が落ちる前に」もあります。

そして、生かされている乳牛の裏には、劣らぬ数、オス牛の存在があるわけです。

さらに言えば、
乳汁の材料とは血液であり、生成したり供給するにあたっては体に負担がかかります。
妊娠自体もそうです。
これらは体力の要る大仕事です。

(人間でも、出産により受ける体へのダメージは、交通事故に遭って全治二ヶ月の怪我を負うのと同じくらい、なんて言われることがありますね)

しかし、動けない檻の中に閉じ込められた暮らしで体力などつくはずもありません。
そもそも乳汁以前に出産すら、人の助けが必要なくらいです。

(人間の出産が大変なのは二足歩行のための身体構造をしているからであり、四足動物の出産は人間よりもずっと容易で、本来助けなど必要ないはずなのです)

にも関わらず乳牛たちは、子牛を育てるために必要な量と比べて何倍もの多量な乳汁を生産しています。
本来生き物の母乳というのは、生まれた子供を育てるために必要な分と比べて、そこまで多く出るものではないのに。

これはもちろん、そういう“品種改良”が行われてきたためです。
生産の量を増やして、効率を上げるために。

また、種牛の数は多くないため
遺伝子の多様性も乏しくなりやすく、
環境の悪さや運動の不足とも相まって
病気に弱くなりがち、という側面もあるのだとか。

直接奪われる命があるだけでなく、
生かされている命たちにも、
大きな負担がかけられているようですね。

タイトルとURLをコピーしました