昔よりも今の方が遺伝子を残しやすい のか?

 

>遺伝的多様性はいまより高かったそうです。

えっまじで

医療の進歩や社会福祉の充実があるからてっきり
現代の方が多様な遺伝子残ってるんだと思ってたけど……

当時の暮らしが実は思うほど厳しくなかったのか、
現代の方が実は生存(および生殖)が難しいのか

>現代の方が実は生存(および生殖)が難しい

これの可能性……、
いままで思い至ったことなかったけど…………、

案外あるのかも……
しれない……


ごくシンプルに考えてみたとき、
たとえば狩りや漁が超上手だけど他はサッパリ、
というような遺伝子を持って生まれた人がいたとして、

狩りや漁をできる地域で生まれて
情報に変に毒されることなく高望みせず暮らしていけば
きっと一生を安泰に幸福に暮らしていけるよね。

でも、こういう人が都会のただ中に生まれてしまったら、
それだけで8割方詰んでるんじゃないかなって。

動体視力や身体的能力に優れているという点の活かし用はあるとしても、
おそらくはいわゆる“多動”と呼ばれる性質もセットでついてきてるから
まず集団生活や学校生活を平穏に過ごすことが困難と思うのだ。

動作も思考も瞬発力に優れているだろうけど、
もう少し落ち着いた思考を必要とされる社会生活への適応は
難しいのではあるまいかって。

多分日々を「だめ」「だめ!」って言われながら過ごすことになるし、
思いついたり気にとまったことがあると
思考を通すよりも先に体が動いてしまうので、
だめと分かっても止めるのはきっと難しくて
「何度言ってもできない」という烙印を押されることにもなるのでは。

それを本人が気にすれば、自尊心を失って病んでしまい
価値観がこじれて、問題発言や行動を繰り返すようになりそうだし (そしてやっぱり、それが望ましくないと分かっていても止められない)、

本人がそのへんを気にしないなら、
自身の才能に気づいて、有用性を見出していくこともできるかもしれないんだけど、
そのための機会に恵まれるのがそもそも難しいだろうし、
特異性を活用せずにあくまでも一般社会への適応を選んだ場合、周りが迷惑を被り続けることになるわけで。



分かりやすいよう極端な例で考えただけで、
現実には、「それしかできない遺伝子」なんてものは存在しないけど……。

素質の組み合わせによって「そうなる可能性が高い」までは言えても、
あくまでも重要なのは“素質”であって、「そうなる可能性」の方ではないから。
素質はいくらでも応用が効いて活かし用があるから、うまく使える道を探せばいい。

素質の方向性が一般常識(および生家)から離れていればいるほど、その道を探すのが難しくはなるだろうけど……

それに、遺伝子の元となる両親がいる。
都会で生まれた子供の両親なら
それまで都会に適応して暮らしてきた実績があるだろうから、
そこまで極端な遺伝子の持ち主が生まれることは……
う……うーん…… うーん……?

親が極端な遺伝子を持っていても、
問題行動を発現させないほどの柔軟性や理性をセットで兼ね備えていれば、適応していけるんだよね……
子供のほうに引き継がれた極端さと適応力のバランス次第ではアカンやもしれない

とはいえいずれにしても、ある程度のしつけとか訓練とか適応が人間には可能なわけなので、あんまり極端なことには……

現実にこんなことには…………
………………う……ん……? ……いやぁ…………

(ちょっといろいろ思い返してたら自信なくなってきた)



人間の性質に多様性がありすぎて、
考えれば考えるほど
「絶対適応できない!」とは言えないし
「難しくても適応はできる!」とも言えない /(^o^)\

いやもうほんと、日々人間の性質について考えてるけど
多様性と柔軟性すごすぎて複雑すぎてまじ
「こうだ!」って言えないんだ、どんなことも

まあ……

わたしの物の見方や思考回路が悲観的寄りなだけで、
実際には↑ほど極端な例はないと思い……た…………
………………う……ん……?
……いやぁ…………

(やっぱりいろいろ思い浮かんで自信なくなってくる)

(わたしもかなり極端寄りめの人だとは思ってるけどさ、
それと同程度の人もそれ以上の人も
存在するかしないかを考えたら絶対に居るんじゃよ…………)



で、人間社会に適応できないということが何を意味するかというと
「遺伝子を残す機会の喪失」ってことだ。

社会的に望ましくないとされる遺伝形質が淘汰されていったら、
遺伝的多様性は当然、淘汰前よりも貧しくなるわけで……

現代って、冒頭にも書いたけど
医療の進歩や社会福祉の充実があるから
過去だったら遺伝子を残すどころか
まず自分自身が生き延びられないような人間でも
とりあえず生きていくことはできる。

だから、遺伝的多様性は昔よりもあるものだとばかり、
思うまでにも至らないまま思い込んでいたけど……

文明が進歩するほど

(というより「人と人が密集するようになるほど」、と表現した方が適切なのかな、物理的にも心理的にも)

社会的な制約と負荷は増えているかもしれなくて、

だとするとむしろ
遺伝子を繋げられる人間の性質は狭まっている可能性もあるのでは?

っていう……

とりあえず生存することはできても、
パートナーは見つけられないとか、
パートナーがいても仕事や経済身体その他の制約で
子供欲しくても産むことができないのも、そう。

そもそも、結婚出産育児周りを囲む社会構造が
人体の妊娠出産適齢期と合ってないところから…………
時期だけじゃなく……リソース配分とかも……

……………………

うーーーーーーん、まあ……………………

たとえどんなに淘汰されているように見えても
今在る素質が淘汰されきるなんてことは人類ごと滅びなければありえないだろうから、
実際には遺伝子の多様性はそんなに変わっていない、という気もするかな……!

劣性遺伝の性質なら発現せずに潜んでいることもあるし、
性質というものは短所として出た際に望ましくないとされても長所として使えれば評価ひっくり返るのが普通だし
性質の組み合わせ次第では難にならないこともザラにあるし
難ありとされる因子を持っているからといって淘汰されるとは限らないんだよね。

見た目(目や髪の色等)に対する差別なら分かりやすいからまだともかく。内面や得意分野に関してはあらゆる要素が複雑に絡み合って単純な判断下せないからホントそう。

考えれば考えるほど

『人間の性質
多様性と柔軟性すごすぎて複雑すぎてまじなんも言えない』

に尽きるのですが、

『過去よりも現代の方が実は生存(および生殖)が難しい可能性』について考えたことがなかったので、
思い至ってちょっとビビった!!

というお話でした。

ちなみに (余談)

冒頭の記事では、

「(メインで紹介している頭蓋骨と) 一緒に発掘された頭蓋骨は髪も肌も違う色だったとDNAから分かった」ことから

当時のスカンジナビア人の遺伝的な複雑さがわかる。

と記述されていました。

遺伝の多様性についての記述はこれだけです。

わたしは、ツイートの

同時の人々の遺伝的多様性はいまより高かったそうです。

という言葉 (※原文ママ) から
『じゃあ今は違うんか……!』

『淘汰されて過去より多様性が失われているのかも……! 特に気質について!!』と

この記事に書いたことを考えたわけですが、

そもそも

「当時、この地域では、たくさんの人種が入り乱れていたのかもしれない (今はそうでもない)」

くらいの意味しかなかったのかもしれませんねw

遺伝形質の淘汰

について考えるとき、わたしの脳裏に必ず横切るエピソードがあります。

なんの種族でもオスは身体的能力が優れてるとモテモテな傾向があるわけでして、
どっかの島のカンガルーも、オスは自身のムキムキっぷりを
メスたちにアピールしていたとかなんとかで。

でもあるときその島が水不足だか食糧不足だかに陥って、
そしたら生存コストのかかるマッチョカンガルーは見向きもされなくなり
ちょっとなよなよしい、いわゆる草食系なカンガルーにメスたちが群がるようになってしまったのだとか。

本人たちにとっては深刻な問題だと思うものの、
『マッチョwww涙目wwwww』と
なんか笑っちゃうのでした。

メスは現金だなあw 怖っwww
(環境への適応が的確すぎるのもビビる)

マッチョカンガルー

カンガルーは
ときどきスゴいマッチョが話題になってる印象

(でも昔話題になった子はもう亡くなられてるみたい)

 

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重要なのは“素質”であって、「そうなる可能性」の方ではないから。
素質はいくらでも応用が効いて活かし用があるから、うまく使える道を探せばいい。

もう1件、「クズ親から生まれたことを嘆かなくていい。クズの遺伝子なんてない」という見出しの記事が
あるというかないというか (文章にまとまらなくて永遠の下書き)w

ま、この見出しと当記事に書いた通りです。

同時の人々の遺伝的多様性はいまより高かったそうです。
という言葉 (※原文ママ)

兄貴が日々わたしの記憶へ誤字(等)を刻みつけていくために
兄貴が脳裏をよぎっていく話題が増えてつらい

兄貴風な ぁゃιぃ日本語 で表現すると

兄貴が脳裏をよぎっていく話題がたくさん増えるの事実がつらい

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