芸術家と心の病み ① 作品に宿る影響力

 

元ツイート及びアカウントが削除されていたので、引用されているページをご紹介しますね (そっちも消されてはいるのですが)。


あらすじを述べると
芸術系の進路を決めたとき、母親に「気が狂わない?」と心配され
「何その偏見!大丈夫だよ!」と返したかったのに実際病んでしまい、
その中で「芸術が人を狂わせるのではなく狂いやすい繊細な人が芸術を志すのだろうな」と思った、
というお話でした。

わたしも同意見ですね……!

繊細であまりにも揺れる心は、吐き出し口が芸術くらいしかないんですよね。

分かりやすい、共感・共有しやすい吐き出しなら仲間内の愚痴で事足りるだろうし
繊細さと同時に頑丈さもあるなら事業にしていったりもできると思うのですが、

もっと手近に、心の赴くまま、人間社会の在り方に関係なく となると
芸術くらいしか行き着く先がないんですよね。

病みを芸術に昇華できるぶん、
「芸術家になったほうが病みにくい」とすら、言えるんじゃないかってくらいです。


 

不思議なのですが、
人の絵を眺めていると、上手い下手や内容に関係なく
見ていて苦しくなる作品とそうでない作品があります。

苦しくなる表現物は、見ていて「ウッ」となったり嫉妬を感じたり、厳しい指摘や批判を入れたくなったりします。

失礼ながら率直な表現をすると、
下手な絵と嫉妬の組み合わせが分かりやすいです。
羨ましいポイントが特にない絵に、激しい嫉妬の湧き上がる事があるのです。

一方で、技量はそんなじゃなくても
苦しみも嫉妬も指摘批判したい気持ちも全然沸かなくて、
心穏やかに「好きだなー」って眺めていられる作品もあります。

また、うまいのに嫉妬しないこともあり、
うまいのに指摘批判したくなるという場合もあったりで (指摘できるようなところなんてないのに!)
『これは一体なんだろう?』って疑問だったのですが……

もしかしたら、描き手さんの精神状態の差なのかもしれない、と、
思うようになりました。

鑑賞側であるわたしの中に嫉妬や苦しみや思い上がりの要素があるからこそ、反応しているのは間違いないんですけれども。

でも、この要素がどこまで反応するか?については、
作り手側の影響も大きいのでは?と疑い始めています。

出会ったころは嫉妬していた絵描きさんに、
その人の精神状態が良くなっていくにつれ嫉妬していかなくなった自分を眺めながら、そう思いました。

逆に、出会った頃は大好きで嬉しく眺めていたのに、
時が経つにつれ、新作を見るたび虚無な気持ちを覚えてしまうようになったという絵描きさんもいました。

技術は上がってるのに……
なんかこう、どんどん形だけ、上辺だけ、空虚な感じと苦しみが伝わってくるようになって……
作品は変わらず色鮮やかなのに、印象はどんどん色が褪せていって。

内情を確認してみたところ、どうも精神状態が悪化しているようで……

「画家が作品にぶつけたエネルギー」は、ぶつけていない部分も含めて
思いの外強く作品に宿り、見る者の深いところへ影響を映し出していくのだろうな、そのとき精神力も使われるんだろうな。

そのように、思いました。

芸術家と心の病み ② 繊細なひとたちの負荷
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