サヌキとアワのサトリを勉強中

 

まえがき

まえがき ①

この記事では、
古代の文明「カタカムナ」にある
「サヌキとアワのサトリ」について

わたしの理解した(と思っている)範囲から、
自分なりに考えを深めて
日々の中で使っている内容を書きます。

シンプルなんだけど
あまりにも奥深い情報源なので、
解釈間違ってたらすまぬです。

まえがき ②

※わたしは原著を読んでいません。
見たのはこちらの2サイトのみです。

 

本文

サヌキ(現象・行動・男性性)と
 アワ(潜象・思い・女性性)のタイプについて

ロクでもないことをするのは基本、サヌキ人間だそうな

→『サヌキ人間は警戒するべきなんだな……』

→『いや、アワ人間もけっこうロクでもなく足引っ張ってきたりするぞ
行動しないぶん顕在化しにくいだけで』

→『てか、サヌキにもすばらしい人はいる。
アワも同じ』

→『そうか、だから重要なのは
「サヌキかアワか」のタイプじゃなくて
波動の高さなのか……』

行動(現象)と心・中身(潜象)のバランス

じっくり考えること、心や中身・質の高さを込めることは
どうしても行動を損なうし、

スパスパと行動や発言をすること、
現象に重きを置くことは
どうしても心や中身などの潜象を損なう。

この両バランスをとっていくこと

  • 心と行動のバランスをとっていくこと、
    サヌキ:心を伴わない行動を取らないこと
     アワ:心を伴わない行動も取れるようになること、
     
  • 行動に込められる心の量を増やしていくこと、
    サヌキ:行動ありきとして心や観察をおざなりにしないこと
     アワ:心が多くとも必要な行動を損なわないこと

重要なんだなあ……

自身の性質を入り口としながら課題を克服していくことで、波動も上がっていく。

波動の高い者は
行動量が多くとも中身の質も高くあり、
中身を多く込めながらも行動が止まってしまうこともない。

自分ペースで生きてたらこういう発想には至れないので

(行動したくない=行動しない、で終わる)

(これを「好みにふける」と言うそうだ)

古代人の知恵ありがたいやね

現象と潜象

現象から潜象を察して確定することはできない。

とはいえ、知見を重ね対象をよく観察すれば
高い確度での推測ができるようにはなる。

物事の裏側、潜象(見えないもの)を見抜く力、
これを「潜象勘」と言う。

なお、エネルギーや靈的な分野は
神秘思想の領域であって、
潜象(潜象界)には属さない。

波動が高ければ高いほど
潜象勘も鋭くなる。……のかな?

波動が低く知見が浅いままおこなわれた推測は、
これもまた波動が低く、的外れだったり偏見が混じったりする。
これを邪推と呼ぶ。

潜象勘であっても邪推であっても
本人は「正しく見ている」と思っている。
だから、潜象勘と邪推の区別はつけられないのではないかな。
波動を上げ、物事を知り、見える範囲を広げる他ない。

だけど真実の向こうにはさらに上の真実があって、
「自分に見えていない領域」をなくすことはできないから、
突き詰めると、何もかもが邪推となりうるって言えるのかな……

行動と心(中身)のバランス + 現象と潜象

「現象から潜象を察することはできない」ということは、

現象の世界に表現されていない潜象は
存在しない存在となる。

だから、自己表現は大切。
言いたいこと・やりたいことがあるなら
きちんと現象の世界へ持ち込むべき。

(他者への公開はしなくてもよい)

(特に、現象の世界へ出したものを他者と共有することは
溜めたエネルギーの流出にもなるため、力を溜め込みたいことに関しては機と氣と氣持ちが熟すまで出しすぎないほうがいいのかもしれない)

逆に、現象の世界に表現されたからといって中身があるとは限らない。
ハリボテの虎の罠を回避すること。
中身のなさを察知できるレベルの潜象勘を養うこと。

(ホントは罠でもなんでもないんだけど、
わたしはいつも、コレを見抜けない /(^o^)\

中身の伴わない発言や行動は慎むこと。


 

とりあえずは、こんなところかな。

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