いつか死ぬのになぜ生きる?

ご質問

なぜ最後に死ぬのに生きているのでしょうか?
最近そればかり考えてしまい、不安や恐怖で頭がいっぱいになってしまいます。

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お返事

それは、生命の本質がそれ単体ではなく
様々な他の生命との関わりと
循環の一部を担っていくことにあるからではないでしょうか。

つまり、一つの生命が生まれて始まり死んで終わるのではなく、
その一つの生命が存在するために必要だった祖先の系譜や食物として取り込まれた者たち、
肉体が機能停止した後は土に還り、今度は自分が植物や動物たちの栄養となっていく様子 (火葬→骨壷→お墓コースだと当てはまらないですが)
そうやって続いていく様子こそが「生命」だから、だと。

個を保って永続するのではなく、
土地を生かし、惑星を生かし、もっと大きなものを生かすという
全体の一部を担いながら入れ替わっていくこと、その循環すべてを含めて「生命」だからではないかな、と。

息を吸うだけでは呼吸ではない、
吸って、吐いて、入れ替わっていくからこそ呼吸なのだと。

だけど、この話だと
「なぜいずれ死ぬのに今生きているのか」
の答えにはなっても

「人はどう生き、死の恐怖とどう向き合えば良いのか?」

ということへの答えは得られないんですよね。

「自分は全体の一部である」ということを真に知り、真に受け入れると怖くなくなるんだろうと思いますが
その境地へと至るのは並大抵ではないだろう、とも思います。

楽屋裏コメント

魂や死後の領域をあるものとすれば
この問いへの答えを出すことは割と簡単ではあるのですが

今回はその方向性ではなく、

『“人間”という小さな単位で見るから死が近くなる、
人類、惑星という大きな視点で捉えれば死は存在しなくなる』

という観点から回答してみました。

でも惑星もいつか死ぬだわそういえばw

しかし、惑星の寿命が尽きても他の惑星があり、恒星があり、銀河が…… と
宇宙が広がっているんですよね。

そしておそらくは、宇宙も生命の一種なのでしょう。

さらには、その宇宙の外側にもきっと何か……

それらすべてをひっくるめて生命と捉えれば、
そして自分自身もその一部だと思えれば、
死は存在しなくなるのですね。

「生命はかならず死ぬ」の反論が
思いがけずまとまってしまった……
そんなアホな

だけどやっぱり個体の死に関しては無力だし、
それに際する恐怖に対しても
一切まったく役に立たないお話なのでしたw

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