前の記事
上記の記事で引用したツイートについていたリプライ
@white_cube_1014 私も「作家は産みの苦しみがあるけど鑑賞や研究は平気でしょ」と思ってたのですが見事に病みました。物言わぬ作品から何かを感じ取ることができる人は感受性が豊かで人間関係とか実生活でも色々ストレスを受けやすいのかもしれません………
これもすごいわかるなぁ……
アンテナが敏感な人は、
周りの怒りや病み、ストレスを察知したり自分が引き受けちゃったりするから病みやすいんですよね。
望む望まないに関わらず無意識に同調してしまうから、対応が難しい……
分煙がなかった時代、どこかの職場で
「1人を除いて全員がヘビースモーカー。
室内にはいつも煙が充満。
だが特に健康被害はなかった。
タバコを吸わないその1人が、肺ガンで死んだ以外には」
という話があったらしくて、
読んでてとてもやるせなくなったのですが、
でも、そんな感じ。
自発的・日常的にタバコを吸いたいと思わないことからは、
- 肺や血管がきれい
- その分汚れやすく、悪い空気への耐性も低い
- そういう素地があるため、悪い空気による負荷が大きい
という可能性が考えられます。
この話が実在したのかと、
本当にタバコ害で亡くなられたのかということは分からないのですが……
なので、「ありえそうな話だよね」までしか言えないのですが。
しかし、繊細な人にも上記のような要素があって、
- 心が細やかで揺れやすい
- その分ダメージ(刺激)への反応が大きく、耐性が低い
- そういう素地があるため、ダメージ(刺激)による負荷が大きい
ということは言えるはずです。
そして、ダメージを自覚できる場合には何事にもストレスを感じやすいし、
無自覚の場合は対策を講じられないまま、ダメージにさらされっぱなしとなってしまいます。
仮に耐久力が他の人達と同じでも、ダメージが拡大されるから限界に到達するのは早くなってしまうんですよね……。
アンテナの優れた人たちの大部分に、そういうところがあります。
負担の発生元となる人たちが大丈夫でも(潜在的な負担を無視できていても)、受信したほうがひどく消耗してしまう。
でも、受け取り口となるアンテナの繊細さは芸術的インスピレーションや感動の入り口でもあるから、感度を鈍らせると芸術家としての力は衰えかねないというジレンマ……
ダメージ負うからって、捨てられないと思いますし……
芸術性に目覚めた人間にとっては、肉体的な生存や快適さを追い求めることより
芸術に没頭するほうが価値あることになるので……(なるよね?)。
さらに突っ込んだ話。
スピリチュアルに。
感性が繊細で病みやすいひとたちでも、届いた情報 (をはじめとするエネルギー) の取捨選択をできるように補佐することで、「病みにくく、かつ芸術性は発揮できる」状態を目指すこともできるようです。
この方など、間違いなくそういう事例。
(潜在意識の) 浄化をしていただいて以来
まず、嫌なイメージが頭にふつふつわいてくる
というのが激減しました。たまに浮き上がりそうになることもあるんですが
スーッと流れていくようなイメージです。
その後の経過もお伺いしていますが、お話するたび元気になっていかれるので「かつて沈んでいた時期があった」なんて、初めて会った方には信じられないだろうなー という印象がどんどん強まっています。
同じようにいろいろを乗り越えて来た方でもなければ、ほんと、信じられないでしょうね。
余計な情報に振り回されなくなったためか、直感の方も日に日に冴えていってて (もともとの素質もあって、私よりよほど鋭い (ノ)^o^(ゝ) ) 活動の熱もあがっていくしでほんとすごいです。
※潜在意識の浄化・調整にご興味のある方はぜひ
相談室を覗いてみてね!
とはいえ、芸術に対してぶつけていたものが感性由来ではなく不満や不幸だった場合、元気になると途端に興味を失ってしまうこともあるので、
一般化して語ることはできないですけどね。
わたしの主観だと
「芸術(創作)が好きな人は元気になればなるほど制作に打ち込むでしょ」という感覚なのですが、
ご自身の辛かった経歴を漫画に描いた末に
一通り吐き出したら落ち着いたからもう積極的に描かない
とおっしゃられてWeb上の活動が途絶えた方も見たことがあります。
近年では理解も進んできたとはいえ、
心……見えない領域の話はまだまだ、あしらわれがちでもあります。
いつか、見えない要素の存在も当たり前に重視される世界になって
「1人を除いて全員の感受性がにぶい職場があった。
事務所はいつも追い立てられ、怒号が飛び、ハラスメントが横行していた。
だが特に問題とはならなかった。
たった1人繊細な、その人が自らの命を絶つまでは」
なんて話が理解とやるせなさを伴って広く受け入れられるようになることを願っています。
(……って、そんな実例がすでにあった気しかしない)
関連記事
作品を鑑賞していて制作側の心に触れてしまった(気がした)ときの感想。