昔この人に「2億円で片腕を切り落とせるか」という質問をされて「嫌ですねぇ〜」って答えたら「君の片腕は今2億円分の働きをしてるのかい?笑」みたいな詰め方されて、小学校の道徳の時間に大事なモノ忘れてきてるぞ!って思った🏫
●このツイートだけ見たら
『ひでぇサイコパスだな!』って感想になるけど
記事を読み進めたら
『あー これも面接者を試す質問として使ってる可能性あるのか……』って考えも加わるなぁ
●「稼ぎを生み出せない腕は切り落として売った方がマシ」という考え方を本気でしているわけではないだろうけど、
仕事を理寄りで進めすぎる男性を見ながら
割とそれに近い思考回路をしているなと感じることはあり……
人間の情や弱さを軽んじすぎでは!?って怖さが湧くので、近寄りたくはないですね。
※記事の方がそうだと言っているわけではないです
※男性って書いたけど、女性でもいるのかな…………
性別による差別の意図ではないのですが、そのように感じられたらすみません (適切な表記が思い浮かばないので、とりあえずこのままにしておきます)
●記事の方と直接関わってみたらどんな感じなのかは分からないけど、
「向き合っている相手の本質を捉えて適切な配置をしよう」という意図については賛同するし応援したいです……!
●で
「2億円で片腕を切り落とせるか」という問いにわたしも答えてみようと思うのですが、
まずは自分の思ったことではなく
質問に対する答えを述べますと。
『現状わたしの腕によって2億円の稼ぎを得てはいないが、切り落とすのは嫌だ』
です。
そらまぁそうなりますよねww
……という受け答えを済ませたところで、
『そもそもこの問い (の前提にある価値観) 自体がおかしい』ということについてコメントが3つ(+@@)あります。
というわけで、本題に入ります!
まずは、問いの前提にある価値観を明確にしよう
2億円で片腕を切り落とせるか
君の片腕は今2億円分の働きをしてるのかい?
これを読んだ限り、
「片腕を失えば大金をもらえるなら、
その金額分の働き(稼ぎ)がない場合
失った方が合理的なので失うべきである」
という価値観に基づいて話を繰り出していると解釈できますね。
ここまでハッキリと述べられてはいませんし、
「笑いながら詰められた」がツイート主さんの主観である可能性もありますが、
(ツイート主さんが嘘をついているとか勘違いしているなどとは思っていないのですが、主観に基づく感想を事実として扱うのは避けたい、このツイート以外に確認したことはなにもないし、ということです)
しかし、そういった主観の可能性やその場の雰囲気による解釈の余地を差し引いても、
このやりとりの言葉は上記の価値観に基づかないと出てこないので、
「切った方がいいのにー」と言われた(思われた)ことについては断定して反論を書いていきます。
……の前に、ちょっと脱線しますね。
片腕と引き換えにお金を得る手段
「片腕落として2億円♪」は
「その金誰が払うんじゃ」とツッコミ不可避で現実味のないお話ではありますが……
片腕を失うことで確実に得られるお金というのが実在します。
障碍者年金です。
片腕が完全に使えない場合、
1年間に受給できる金額は
約80万円ほどとなります。
*1
正確には 77万9300円/年 です。
(等級2級)
家族構成や、障碍認定を受ける前の年金納付金額によっては増えることがあります。
◆参考資料◆
NPO法人 障害年金支援ネットワーク 内
●平成30年度(2018年度)の障害年金の金額 > 障害基礎年金の金額
●3.障害認定基準 > 肢体の障害 > 上肢の障害
それを50年間受給すると……
約3900万円です。
*2
正確な金額は
3896万5000円
(77万9300円×50年) です。
(ちなみに、月額にすると6万5千円ほどです
*3
正確な金額→ 6万4941円
なんでいちいち注釈に正確な金額を入れるかって?
数字が苦手だからだよォ!
細かい数字を本文に入れると (๑д๑)??? になって読めなくなるからだよォ!
(でも内容的に正確な数値を省くのもアカンと思ったんだよォ!)
)
2億円には到底届かず
暮らしていくのに心もとない金額ではありますが、
税金や医療費、各種施設における優遇もあるため
健常者の金銭感覚よりは多く使える金額かもしれません。
しかし不便を補佐するための出費もあるでしょうから、結局は赤字と考えるのが現実的でしょうか……
とはいえ、この支給額が生活保護費を下回った場合
差額を生活保護で補填してもらうこともできます。
金額は地域によって異なりますが、
参考までに東京都23区の支給額を調べてみたら
約10万円+住宅扶助/月 でした。
*4
9万5600円+住宅扶助(5万3700円まで)
生活保護 金額 自動計算
障害等級2級の20~40歳一人暮らしで計算
こちらは、住宅扶助満額として50年受け取り続けると
8958万円になります。
こちらも2億円には到底届かないものの、
慎ましく暮らしていくぶんにはなんとかなる額で……
あれっ、片腕ない方がよくない?
そんな気分になってきちゃった(?)あたりで
なるわけねーだろ!!!
側の話に入ります。
本題:この問い(の前提)がおかしい理由
問いへの反対意見となるわけですが、
「世の中はお金だけじゃない」
「痛いから (不便だから) 嫌だよ!!!」
は除外するものとします。
「世の中が金銭と合理性だけで判断されていたとしてもおかしいだろ」
という姿勢で書きます。
概要はこちらです。
- 可能性を否定している
- 本当は脆い貨幣価値
- 全体最適が成り立たない
1つずつ詳細を述べていきます。
①可能性を否定している
現状の働きで2億円を得ていないということは、
今後もその価値を生み出す可能性がゼロであることを意味しません。
もしそうなら、金銭を得ていない人たち、
特に子供たちについては生かしておくだけムダということになります。
でも、そんな結論にはなりませんよね。
ものごとの価値は金銭だけで決められるものではないというのもありますが、
もしそうだったとしても子供たちには未来の可能性があるからです。
将来、2億円、それ以上を稼ぐ存在になるかもしれない。
そしてこの可能性は、子供だけでなく大人に関しても同じです。
子どもたちはまだ未成熟であり、社会で活躍の場を持つことも実質できないので可能性が大きい印象を持ちやすいですが、
実際には大人たちにだって可能性はあります。
もちろん、これらが大きな可能性とは言えませんが、
それでも、この“可能性”がある以上、
口減らしが必要な切羽詰まった状況になければ生かしておいた方が得なわけです。
いつ、誰が、どう化けるか分からないから。
そして、もっと言えば、
これは「未来の可能性」だけではなく
「現在で、既に成されている可能性」すらあります。
その人の手元 (や所属の組織など) に入ってくる金額と
その人の生み出した富、作り出したお金の流れが
一致しているとは限らないからです。
また、時差によるところもあります。
巨万の富を築いた人たちにも、準備期間や低調の時期はあります。
2億(以上)の収入へ至るまでの期間があり、逆に2億(以上)の借金を抱える時期もあったりするわけです。
“今”“見える範囲に”
2億円が入ってきていないという理由で、
その腕に2億円の稼ぎを得る力がないと断じるのは、
実はあまりにも早計かもしれないということです。
②貨幣価値は本当は脆いものである
お金が持つ力の正体が何かと言ったら、
「人間同士の約束」に過ぎません。
一人または少人数で生きていくのは難しいですね、
だからお互いのできることを提供し合いましょう、
でもあなたのほしいもの・提供できるものと
わたしのそれらは一致しませんね、
それでは何でも交換できる「お金」というものを
間に立てましょうか……
この約束が成り立たなければ
お金の力は存在しなくなります。
「交換券(お金)なんてものを使う気はないよ」という集落があったとして、
そこではどんな大金を持っていようとも
1円の価値すらないわけです。
さすがに現代の人間社会において
お金の力を無きものとして暮らすのは難しすぎますが、
「お金の価値は変化する」ということについては
抗いようのない事実です。
明治時代の頃、1円には今の2万円くらいの価値があったという説があります。 *5 参考記事(外部) ●明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?
技術革新により、物やサービスを提供する労力は変わってくるため単純に現代と比較することはできませんが……
それでも、2万倍の差があります。
つまり、将来的には
今1万円2万円とされている価値の尺度が
現在の1円程度になることが……
未来における2億円の扱いが、
現在の1万円ほどになることがありうるわけです。
そうなったら、今なら一生遊んで暮らすことが不可能ではない金額と言える2億円も、1ヶ月の生活すらままならなくなりますね。
そこまでの差が出るのは100年後150年後かもしれませんが、
でも、通過点である50年後が安泰とは言えないわけで……
たとえば、50年前のハードカバーの本に価格380円って記載されてたのを見たことがあるんですよ。
今だと10倍近くしてもおかしくないです。物価って上がるんですよ。
*6
参考記事 ●恐怖の信用創造
経済の調整……
まったくされていないことはないと思うのですが、
どのようにされているのかは存じないですが……
ともあれ、お金の価値基準は案外脆いものなので、
片腕を引き換えにするほどの価値を見出すのは危なかろうと思う次第です。
③全体最適が成り立たない
2億円 (以上) を稼いでいることはたいへんな希少価値を持つことではありますが、
その稼ぎをその人1人だけで作り出しているということはありえません。
必ず、その収入を支えている人たちがいるはずです。
それは共に働く人や取引先といった関係者にとどまらず、
その人の生活を支えるものに関わる人全てが当てはまります。
その暮らしを追っていけば、衣食住を始めとして
必ず誰かしらの協力を得ているはずなので。
しかし、それらを提供してくれている人達の収入は基本的に2億円へ届きません。
そして、片腕で提供することも困難を極めます。
たとえ質問者さんが5000兆円のさらに何倍も持っていて、
日本国民全員に、それどころか世界の全員に
2億円を渡すことができたとしても、
それと片腕を引き換えにしたならば
ご自慢の収入を支えてくれていた働き手は
もういなくなってしまいます。
片腕で働けないと決めつけることはできませんが、
それがいかに不便で困難なことなのかは
「だから障碍年金が出る」ということも示しているわけで。
(※日本以外でどうなっているかは分からないです)
隻腕が当たり前になればもはや障碍(ハンデ)とは扱われず、
社会の設計も合わせられていくんでしょうけどね。
それと同時に、2億円が特別な金額ではなくなります。
大多数の人が持っている額だから。
今の1万円くらいの価値になるかもしれませんね。
腕を失わずに稼いでいたほうが良かったかもしれませんね?
社会全体が、
失う必要のなかったかけがえのない腕と可能性を失って終わりです。
④おまけ:買い戻すことができない
すごいシンプルな価値基準を忘れていました。
買い戻せないですよね。
売る(?)ことができたとしても。
市場へ売ったものは、
必要 (と供給) に応じて買い直したり、
限りなく元の状態へ戻したり、機能を満たし直せるのが健全だと思うのですが……
(お互いの合意だけあれば取引は成り立つので、必ずしもそうでなければいけないという話にはできませんが……)
けど、腕、無理ですよね。
一度手放したらもう、何倍のお金を積んでも元には戻せません。
義手や移植の技術が進んだとしても、本来の腕に敵うことはないでしょうし。
この世にブラックジャックはおらんのです。
それってつまり、健康な腕には既に2億円10億円それ以上の価値があるってことなんですよ。
改めて2億円を追加で稼ぎ出していなくても。
大多数の人が持っているから特別に見えないだけで。
お金や財産は得ることばかりに着目してしまいやすいですが、
失わないことも立派な財産です。
「稼いで得た1万円も節約して残った1万円も同じ」というやつです。
金銭的には目先の2億円を得られても、
実際にはそれ以上の価値+可能性を失うことになるわけです。
まとめ というよりあとがき
以上、
「金銭を生み出さない片腕は金に換えた方が有用」
という考え方がいかにバカバカしくてありえないか、
大真面目に説明してみました。
ただ、
価値観としてはバカバカしくても、
冒頭に書いた通り、人を見る質問としてはアリだな〜と思います。
飛躍したもしも話は
内面を掘り下げたり発想を広げたりしてくれるので、わたしも好きです。
この記事も書いててめっちゃ楽しかったよ!
……とはいえ、この内容だと回答の99.5%が「嫌です ―完―」でしょうから、
聞くだけ無駄というか、効率悪くないのかな……
という点は、気になりますね……
コメントの添えようがないと思うんですよね。
冒頭のツイート&わたしのように悪い印象を抱く人も少なくないでしょうし、こんなふうに「人を見る質問としては面白いね」など考える人間も少数派でしょうから、評判を落としかねない点も割に合わないように感じますし……。
う〜んでも
世の中にはわたしの予想を軽く超えてくる人いるからな〜!
面白い回答があったら聞いてみたいですね。
約1年後に追記:お金に寄った話もしておこう
お金稼がねばいかん現実はある
この記事では、「2億円で片腕を~」という質問はおかしいよ!
という視点からのみ意見を述べましたが、
一番最初のツイートに入っているリンクの記事から引用しますこちら
「あなたが入社をすると、人件費などの経費が発生し、研修やOJTなどの教育コストもかかって、2~3年も経つと膨大なお金を投資していることになります。となると、会社としては2億円ぐらいどこかで返してもらわないと困るよね。これがビジネスの世界だよ」。
と、結構冷たく話をして、「いつ2億円返せますか」と質問をします。
これも、無視してはいけない要素なんですよね。
金額だけで物事を考えるのはとても冷たいことなのだけれど、
実際、世の中のかなりの要素がお金で動いているのだから、
これを回収することを無視してはいけない現実も確かにあるわけです。
雇われる側にいるなら見なくてもいい領域だったりするけど、立場が上がるとそうもいきません。
そもそも、人を雇ったり設備などへの投資を行う目的は、
「お金を払って、それ以上のお金を手に入れる」
に他ならないわけですので。
企業は、お金を稼がなければならない。
お金にならない“もの”に、お金を払うわけにはいかない……
この要素を踏まえずに、
「その質問はおかしいよ!」だけを投げるのは、
正しかったとしても、
理想論でしかないなあ、公平ではないなあと思ったので追記しておきます。
……というところを押さえたうえで
改めて言うのですが、
お金優位すぎて、
道徳とか良心の後回しが世の中の当たり前になったら、
嫌だよね……!!!!!
お金ばかりが優位の価値観から抜け出したい今日このごろ
そうはいっても現状のままだと、
「金、金、金が欲しい!」の価値観になりがちなのは仕方がないわけですが……
抜け出すために必要となってくるのは
- ある程度の景気の良さ
- ある程度質素でも満足できる生活スタイル
- 経済に関する知識 (が、政治を修正できるくらい一般浸透すること)
かなあと思いつつ
「『ある程度』ってどの程度やねん」という話は難しいなあと思いつつ
経済に関しての知識はわたしも勉強中なのですが、
- 実は税金って、集めた税金を使っているわけではない
- 政府は無限の通貨を発行することが (理論上は) 可能
- 政府……税金下げたり通貨発行して景気調整してくれ……
あたりが最近知った事&感想です。
でもそんな、単純な話でもないみたいですね。
お金は自然界には存在しなくて、人々の間でのみ通用するものですが
だからって人間の思い通りにできるかというとそういうわけではないし、
仮に日本国内だけならうまく運用できたとしても、海外、世界情勢を無視するわけにはいかないから……
お金で物事を測ったり進めていくことには限界が来ていると思うのですが、
だからって他のもっと適切なやり方が見つかっているわけではなく、あったところですぐに方向転換できるものでもなく、
難しい問題ですね。