恐怖の信用創造

※ちゅうい

「恐怖の」と煽ってしまいましたが
信用創造は経済の仕組み上、すごく重要な要素なのですね。
内容も含めて、金融のことを何も分かっていない、知った当時の衝撃をそのまま書いてしまいました。

でも、何も知らない人が知ったときにどのような驚きを感じるか、知っていくにつれてどんな風に感想が変わっていくか、を残すことは
お金の仕組みを知っている人にとっても知らない人にとっても有用なのでは、と思ってそのままにしています。
ただ、途中までになってしまって続きが全然書けてない (´д`;)

 

信用創造って何かというと、
「銀行のお金がなくてもお金を貸し出すことができる」という内容です。

これだけだと
(´v`;) ん????? ですね。

 

まず、

「大抵の人は預金を下ろしに来ないんだから、
この金庫のお金、貸しちゃってよくね?

 返してもらう前提だから大丈夫!
利子分は儲けちゃうぞ!やった!!」

という発想から話は始まります。

 

又貸しいくないって
こどものころオカアサンに教わらなかったんですかね!
ぷんすこ!!

 

でもこれが更に発展して、

「なんかもう…………
金庫のお金……何人にも貸しちゃってよくね??

 だって取りに来るのごく一部の人だけだもん……
金庫の中身より多く貸し出しても大丈夫でしょコレ」

となったのが、信用創造です。

いやごめん、↑は信用創造を説明する的確な内容ではないんだけどさ。
本質的には同じことじゃ……

もうすこし具体的に説明すると、

「金庫にあずけられた100万円から
90万円をAさんに貸してもいいでしょ!」がまずあります。

Aさんは、その90万円をA’店で使いました。
A’店の人は、その90万円を銀行にあずけました。
→「90万円のうち81万円をBさんに貸してもいいでしょ!」

Bさんも、借りた81万円をB’店で使って、
B’店の人はその81万円を銀行にあずけて、
「81万円のうち72万円をCさんに貸してもいいでしょ!」……以下ループ。

本当にあるのは最初の100万円だけなはずなのに、
A’店の人が使えるお金は90万円増えてるし、
B’店の人が使えるお金も81万円増えてる。

もちろん、最初にお金あずけてた人も変わらず100万円を使える。
勝手に使われてるのに。

だから流通するお金が増えているという、
これが信用創造だそうです。

ちなみに、なんで貸し出す額が1割ずつ減っていくのかというと、
「全部貸し出したら、誰かがお金をおろしにきたときさすがに足りなくなるから」だそうな。

統計的に、1割残しておけば破綻せず運用していけるんだって……

(だから必然、銀行さんが一番恐れるのはこの統計を超える額を預金者さんたちが下ろしにくること、となります)

金庫に足りないものをどうやって貸し出すんだ、って話ですが、
現物じゃなくて書類(権利)でのやりとりになります。

 

ま……

又貸しってレベルじゃねーぞ!!!!!

えー えーー…… えーーーー…………

 

さらに詳しいお話はこちらのページにて。

信用創造部分を要約すると、

  • もともと商取引には金(ゴールド)や宝石が使われていたけど、持ち運びには盗難などのリスクがあった
     
  • だからゴールドは丈夫な金庫を持っている金細工師に預けて、金の預り証(これを持っていけば金と交換してもらえるよ券)で取引することがだんだんと浸透していった
     
  • 金細工師、「ほとんどの人が金庫の中身取りに来ないな……そうだ!(ピーン)」→ 又貸しを思いつく→ 信用創造思いつく→ 金融のはじまり

ということですね。

 

信用創造による貸付が増えるほど
インフレが起こり経済活動の発展が進み、減るほどデフレになるという動きも興味深いです……
そしてデフレ時に返済できなかった人から担保を(合法的に)手に入れるあたりもなッ!!!!!

 

興味深いんです……が……。

 

えっこれ……
ただでさえお金のしくみには利子っていう虚構のお金が発生するのに、
利子だけでもインフレを続けないと破綻する仕組みなのに、

そんな規模でなく虚構のお金が出回ってるって……ことでは……?

 

ちなみになんだけど今ではもはや
利用者の預金を使っての信用創造じゃなくて
何もないところから「銀行から○○円貸すね」ってやるだけで
お金貸せちゃうって仕組みになってるとか見た気がするんだけど
まさかねー!! いやー さすがにそれはー!! まっさかねーーー!!!!!

だって……えっ……えっ……だって…………
事実上何も貸してないのに……返済は義務なわけじゃん……

えっ……錬金術じゃん…………
あえて言うとしたら貸してるのは「銀行に対する信用」っていうか……
あっ……信用創造って…………あっ………………

 

通貨の流通量と、信用創造含む日本全体で動いたお金の量を調べて比べたいんですけど
日本銀行のこのページから調べられるっぽいんですけど
なんだよここ何言ってんのかわっがんねぇ”!! (訳:調べてないです)

(ちなみに、通貨…紙幣と硬貨は政府の発行で、信用創造は銀行の発行だそうだよ)

 

私、前の記事でこういうこと書いたんですが

投資家さんたちに集まるだけ集まって、さらなる投資にお金が使われるんじゃ、投資事業に関わらない限りお金の流れに乗れないのでは……?

世のお金はどこへ流れているのか?

「投資事業に関わらなければ」どころの話ではなかった……
世に出回ってる金額のかなりの部分が投資のお金 (銀行さんから会社さんに融資されたお金、そしてその出処は信用創造) ということになれば、
もはや働いてる人の大部分は投資のお金からお給料もらってるということで、
既に投資ノリノリでしたってことじゃないですか…………
すでに……すでに

 

ついでにさらに前の記事には

私は運良く“利子”に捕まらずに済んでいるけど。
“利子”は年々総額が増えていくから、実は簡単に捕まることができて。
しかもいちど捕まったら抜け出すのが難しいのかもしれないって。

なんてこった、お金が回る仕組みに絶望しかない!

って書いたですけど、

別ブログさんから孫引き引用するですけど (大元の記事がないから)、

借金をしていない人にとっては利子なんか関係ないと思う人もいるかもしれません。しかし、残念ながらそれは正しくありません。

利子の力はそんなに生易しいものではありません。利子の魔の手からは何人たりとも逃れることはできません。私たちが手にする商品には、利子の値段がたっぷりと含まれているのです。

お金の罠

 

そうですよねー!
物価がじわじわ上がっていくってー!! そういうー!! ことですよねー!!
/(^o^)\

 

……利子にもとっくに捕まってたのか……
個人としてではないにしても。

確かに、書籍ひとつとっても価格の上昇っぷりってすごいもんねえ。
20年30年のスパンでは、値上げあるながらもそこまで気にならなかったけど、
昭和初期の本で、価格に100円って書かれててビビった記憶があるような……

100円はさすがに記憶違いかもしれないので手元にある古い本を確認したら、昭和42年(西暦1967年) 12月発行の本が380円でした。ありえん。

文庫本じゃないんだよ?
サイズはA5、ページ数約300、
表紙はハードカバークロス張りビニール加工付きで、おまけにケースも付いてる本ですよ……
今なら2千円でも買えるかなどうかな?

(でも、この本発行の4年前である昭和38年(西暦1963年) 発行で700円の本もあるから、上記の本が特別安かったのかもしれない。
昭和58年(西暦1983年) 発行の本は1000円だった。
どちらもハードカバーA5、表紙の加工とケースはない)

西暦2018年のハードカバーA5の本が1500円だとして……
この差額が利子の値段かもしれないのか……ゴクリ……

(値決めにはいろんな要素がからむだろうから、単純な決めつけはできないけど)

(それでも揺るぎない価格差があることは明らか)

 

なんか……なんかな……うん……なんかな……

個人的には「信用創造 is 詐欺」って感覚になるんだけど……
でも今の世の中から信用創造をなくしたら、経済が停滞して多くの人が収入源を失ってしまうのか……

 

銀行さんが「いくらでも貸し付けできるぜー!! 俺は無敵ィー!!!」なのかといえば、それは違うのだろうし……。
さすがの銀行さんも破綻してしまうし、ハイパーインフレになるんじゃなかったっけ。

しかしお金が世に放たれたところで、閉鎖的な流れに行き着きやすいのか……なんという……地獄み…………

 

でも……でも、だからって、閉鎖的になるのを阻止するべく、
「経済を活性化させていこう」と言われたら、素直にうなずけない…………。

経済が活性化すればするほど、資源が費やされ、環境が汚れて地球が死んでいくから。
経済の活性化とか、文明の発展が、本当にいいものなのか?って、超疑問。

 

少し考えてみただけで、絶望しちゃったんだよ。
私は将来森に住みたいんだけど、そこに上下水道を通せるのか分からない。
だけど、食器や衣類や自分の髪を、洗剤や石鹸を使って小川で洗おうもんなら川が死ぬなって。

川(水)が死ねば土も死ぬし、
土が死ねば植物たちも死ぬ。
そしてそれらの恩恵を受けていた生き物たちも死んでいく。

 

生活のあらゆる側面がそんな感じで、
全てが自然を傷めつけていくから、なにからどうすればいいのか分かんないし、
目の前で分かりやすく起こっていないというだけで、
そんなにもひどいことを現にしてるんだよなって。

いや、だから処理場があるわけだけどさ……
実際に処理できているかいないかだけの問題じゃなくて、
「自分のしたことが、どこにどういう影響を及ぼしかねるのか」に無頓着になることがヤバいと思う。

髪を洗ったら川が汚れたという因果関係を目撃できないから、
髪を洗うのと、川が汚れているのは、切り離されたそれぞれの事象、みたいな感じだから、無頓着になるんだよね、どこまでも。

悪影響を及ぼしながらも無頓着、この状態が進めば進むほど、循環や調和から切り離されてくから、ヤバいと思う。
無頓着は無神経にもつながるから、自分の排水が処理場で処理されていること、またその処理能力にだって限界があること、そういうことも分からなくしちゃうしさ。知識としてはあったとしても。
そうなると、とても残酷なことを、なんのブレーキもなくいくらでもできるようになっちゃうんだよね。

なっちゃうというか、すでにそうなっているというか。
私はこの事を考えるまで、自分の髪を洗うことを疑ったことなんてなかったよ。

 

人間社会における土地の権利や環境保護の労働力はお金で確保できたとしても、
資源や自然環境はお金で買えない。

自然にお金を払えば成長や浄化が早まるなんて不自然なことは、絶対に起こらない。
“不自然”の呼び名の通り、それは“自然”ではない。絶対に起こらない。

 

現在のお金の大部分は金(ゴールド)ではないし、貨幣ですらない。
単なる数字データだから、無限に増えていく。そして増殖スピードも基本上がっていく。
それは自然の破壊スピードが上がっていくこととニアリーイコール(≒)である。

でも、自然の回復速度が上がることはない。

 

だけどこの状況は、自然がお金を取らないのをいいことに、自然から奪い尽くしてお金に変えてしまったためで、自業自得以外のなにものでもないわけで……

 

なんだよ。なんだよ。

経済発展しないと人間社会が死ぬ。

経済発展すると地球環境が死ぬ。

 

この矛盾をなんとかしないと、もう道はないじゃんか。

(森林面積の減りを見ていくと、数十年分も残ってないんだろうし…… → 世界の森林の減少速度 – 森林・林業学習館

 

必要なのは、
経済発展しなくても維持可能な社会のあり方か、
経済発展が自然環境を傷つけないあり方
なんだろうか。

誰がその流れを作るんだろう。
キーとなるその人物は、今どこでなにをしているんだろう。
何人ぐらいいるんだろう。
彼らが事を起こしたとき、日和見の大多数は自発的な協力を寄せてくれるだろうか。
流れの中で、私は何ができるだろう。

っていうかこういうこと考える時点で私もメンバーの一人な可能性高いよな……嫌だあぁ(嫌なんかい)
いやその 今を生きている誰もがそうだよ、ってのも事実だけどさ!!

 

話が逸れたけど

 

経済って……、
経済って……………………。

 

ごめん…………
話戻そうとしたけど、
なんも言葉が出てこねぇや…………

 

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