得意は分からない 〜面接というシステムへのツッこみ〜

* memo *
※未完成の記事ですが、そのまま上げています
(完成させようと気合入れると一生アップできないから)

以前、こういう記事を書きました。

使命・適性・才能は、向いていすぎて分かりにくい
ご相談をくださっている方から、ご質問をいただきました。 「なんだか最近、本当にこれでいいのか確信が持てなくなってきました。この状態って、大丈夫なんでしょうか……」 ご相談を始めてしばらくは、今まで無理にがんばっていたことを次々手放して、得意...

 

「当たり前すぎて分からない」のほかに、

「どう足掻いても満足はできない」もあるのかもなー など考えてます。

得意ゆえに次が次々に見えるので、「これでいいや」「やりきった!」と思える日が来ない、というか……

 

他人から見ればすごい事をしていても、本人の自意識はそうならない。

謙遜でなく、まして嫌味でもない。
本気で、「普通だよ」「もっともっとでもいいくらいなのに」という感覚でいる。

「普通」「当たり前」の基準がおかしいし、そこを歩くのが楽しいからこそ、すごい領域へサクッと着いちゃうんだろうなあと。

 

……ていうことを考えているとですね、
『面接の自己アピールって意味なくね?』
という気持ちに、なってきます。

だって、自分が何を得意かなんて分かるわけがないんだもん。

 

ちなみにここまでもここから先も、面接の役に立つ事は何も書いてない (むしろ毒な気がする) ので、もし検索で迷い込んできた就活生さんがいらしましたら帰られた方がエェですよ!というよりどうかお帰りください!!

ここのサイトは、この記事にも他の記事にも
未来ある若者のがんばる気を削ぐようなことしか書いてないですw
あまりさ……社会不適合な価値観は、知らないほうがまだ、やりやすいと思うんだ……

ていうか、日々お疲れ様です……
就活……それは自尊心削ぎ落としワーク……

 

「自分が何を得意としているか」ではなく「何をしてきたか」ならまだ言いやすいけど、それすら本当には分かっていない可能性があります。

同じ「たくさんの人と話すのが好きです」でも、
数多く上辺の付き合いを増やしてきたのと、
じっくり向き合う人間関係を増やしてきたのとではまるで違いますし。

そもそも、「たくさんの人」とは何人ぐらい?という話でもあります。
非社交的な私だったら、5人でも「たくさん」と表現しますw
がんばり屋さんな人だったら、「100人と名刺交換しました!」とかになるのかもしれないですね。

一方、本当のガチでたくさんの人と話すのが得意な人は
「そんなに人と話してるかなあ?」ぐらいのテンションで100人超えの関わりを持ってたりしますからね……

名刺交換と数が同じになっちゃったけどw
2度と連絡を取り合わない100枚の名刺と、
各々と個人的なやり取りのある100人は全然違うから……

そんなこんなで、「自分はこんなことが得意です」という自己申告、どんだけアテになるのかは怪しいものでございます。

 

しかも、技能や性質と
「分かりやすく明確に伝える能力」
「相手に好印象を与えるよう演出する能力」
は全くの別物だから、ますます説明には意味がなくなる。

まあ、説明そのものではなく
説明の様子を見て性質を見抜くのが
面接官さんの腕の見せどころではあるんでしょうけどね……!

面接する人が面接の専門家であるとは限らないですからねぇ。

 

あと、うん。
社会性を養うために伝える能力をある程度訓練する事は大事だね……とは……うん……思うよ……うん…………
私には社会性ないけど

 

しかし、
「自己評価はアテにならないね」ということを分かっていて

 

*面接っておかしい
*自分の強みが分かるわけない
*褒められても気づかない
*チームの中で生きるものであって

 

(記事の草稿はここで終わっている)

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