謙虚か否かは本質じゃない

 

この態度って元々は
傲慢にならないため、謙虚さを忘れないために
良しとされてきたんじゃないかなあと疑っている

ところが、いつの間にか謙虚の解釈に卑屈が混じり込むようになり、
とてもじゃないけど美徳と呼べる内情ではなくなってしまった

 

そう転じた理由は戦後教育だと思ってるんだけど……
いわゆる子どもへの教育だけでなく、成人へ向けられたメディアの情報発信も含む。

食や生活様式、言葉なども変えられていく中で、
分かりやすく変わっていったこともあるし、
↑の価値観みたいに、一見変わっていないように見えて内情がボロボロになってしまったこともある。

そうやって、元々の日本が持っていた真の美徳や、
力強さがじわじわと失われていったことが
さまざまな問題に繋がってしまったのではないかなーーー。

って、考えてる。

 

波長なんだよね。
すべてのことで、本当に重要なのは、
現象 (物理世界でどのように表現されているか) ではなく
その内情の在り方であると。

本当は、謙虚さも関係ないんよ。

波長が低ければ、謙虚も卑屈という傲慢へ転じるように
波長が高ければ、傲慢であっても問題にはならないのだ。
(まあ波長が高い状態の傲慢って想像できないけど)

 

そういう話を占星術や
旧漢字を通して書きたいんだけど
まあ、止まってるww

 


そう転じた理由は戦後教育だと思ってる

陰謀論ですやん!

 

陰謀論を見ていると、

『ちょっと過激じゃね? 決めつけてかかりすぎじゃね??
冷静に事実を見極めたいし、こういう空氣感は出したくないなあ』

と感じるので、あんまり肩入れしたくないのですが……

 

だけど、『日本は戦後に勝戦国を通して力を奪われていった』と考えるのが
わたしの中でしっくり来てしまうのだ、
うーん

 

なんとなーく、感覚的に、の域を出ないのになぁ……
論理面の判断を下せるだけの知識はないんだよね。
わたしは歴史が苦手で、明治時代のことも江戸時代のことも分かっていないのだ。

あー、昭和も知っておくべきか。
じわじわ侵食されていって、敗戦から一氣に侵食が進んで、
それによってもう手をかけなくても
自分たちで追い詰め合い波長を下げ合うシステムが構築された、という流れがありそう。

 

それでもなんとかやっている、有事に持ちこたえる力を発揮する、
素晴らしい人たちもたくさんいる日本という国は
本当に強いのだなあとも思っています。

 

それでも…………
やっぱり、もっとラクに生きたい。

わたしのような者でも、わたしが辻ヒールの対象者に選んでいるようなひとたちでも、苦しまずに生きられるシステムに流れが変わってほしいと願ってやみません。

 


『ちょっと過激じゃね? 決めつけてかかりすぎじゃね??
冷静に事実を見極めたいし、こういう空氣感は出したくないなあ』

 

ちなみに、菜食主義にも同じ空氣感があります。
菜食主義には賛成しているし目指してもいるけど、
それを主張する人たちの態度をわたしはあまり好きではない。

(特に主張の意思があるわけではなくそういう習慣で暮らしているだけ、って人はこの限りではない)

 

まあね、主義主張という行為がそもそも
こういった空氣感をまといやすいものですし、
菜食主義に関しては命にも関わることなので、仕方がないという思いもあるのですが……

 

だからってこの空氣感を疑わないままの態度でいては、
菜食主義とそうでない人たちの距離をいつまで経っても近づけられない、それどころか溝を深めるんじゃないかなぁ……とね……

 

まあ……
菜食や命の重要性を主義主張するより、
健康の重要性の方が伝わりやすくていいだろうし、
誰も何も言わずとも店の陳列品が菜食品に入れ替わってれば
もっと良いし、ラクだし、効果的なんですけどね。

 

意識的な生き方の修正も必要になるし素晴らしいけど、
やっぱりそもそものシステムから流れが変わるのが一番エェんだよなぁ。

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