「愛されたい」を叶えるのはきっと簡単で、そして難しい

ご相談をいただいた方からのお話に、

ついこの間、友達と「私たちって愛されたいのに愛されるのを怖がってるよね…」という話をしました

という内容がありました。

ふむふむと拝読しながら、ご相談に関して『どんな対応になるかなー』と探りながら、「愛を受け入れる」という事に関して、浮かんできたことがありました。

 


 

なんだか……

『実は、愛を受け入れるのって、すごく難しいことなんではないだろうか?』
ということに氣がつきました。

男性も女性も、老いも若きもいろいろな人が「愛されたい」と願っているから、叶えてる人も多そうな感覚になりますが……

 

お家に人を招いて、喜んでほしいなあみたいな氣持ちに近いと思うのです。

↑この「喜んでほしいなあ」が「愛されたいなあ」につながります。

 

で、実際に喜んでもらえるよう (愛されるよう)
お家をきれいにして、飾りつけをしたり、お茶やお菓子を用意して、おもてなしのシミュレーションをしてみたり……

 

でも、いざ実際にお客様が来てくださったら、

「これでいいのかな」
「氣に入ってくれてるかな」
「ここ、変じゃないかな」みたいに

いろいろ氣になってしまいがちで。

準備に氣合いを入れていればいるほど。
丁寧な性格をしていればいるほど。
あんなに歓迎したくてがんばったのに……

 

そうすると、お客様が心から喜んでくれていても (愛してくれていても)
そのことを受け入れられなかったり、
「本当かなあ?」って疑ってしまったり、
「自分にはその氣持ちを受け取る資格がない」って引いてしまったりしますね。

人によっては、
「もしかしたら家の中を見せると嫌われちゃうかも」
「相手にお家の中を荒らされてしまうかも」ということが怖くて、
最初からお客様の来訪自体を拒否するかもしれません。

 

……そんなことを踏まえて、
「お客様が喜んでくれたこと (愛されること)」を受け入れる方法を考えてみると、

「喜ばれないわけがないと思えるほどお家を大事に素敵にして
まずは自分が大好きになる!

に突き抜けるしかないのかな、と思うのです。

 

そして、そこまで行けたら、おもてなしできる喜びだけになるので
喜ばれる(愛される) ことへの抵抗ってないと思うのです。
そもそも喜ばれる(愛される) かどうかがどうでもいいので。

ついでに、仮にお客様に不満が残っても
「そっかー、合わなかったんだね」と割り切れたり
「お客様には嫌われても自分はこの家が大好き!!」って、傷つかない……
まではいけなくても、回復が早いと思うのです。

 

……というわけで、

人の愛を受け入れてもいいということを自分に許可できるようになるにはどうしたらいいのかなぁと思っていまして…💦

こちらの答えを出すとしたら、

「人の愛がいらなくなるほど自分を愛しましょう、
愛でて愛でて愛でて可愛がって大切に扱って大好きパワーで包みましょう!」

となりそうです(笑)

 


 

「自分が好き、素晴らしい」を意識するのは、
最初は氣持ち悪かったり恥ずかしかったり抵抗がすごかったりしますけどね……!

馴染んじゃえばなんてことないです。
なんだろう。
「自分大好き!!」って感じではなく、
ただ自然になると言いますか。

 

『人は、自分で自分を愛せる量しか
他者からの愛を受け取ることができない』というのは常々感じていたのですが、

きっとこういうことなのでしょうね。

自分を誇れる量しか、他人からの承認も受け取ることはできないし、
自分を誇れるようになったら、もう他人からの承認がなくてもやっていける。

「まずは自分で自分を愛すること」というのは
スピ界隈でもよく聞く話ですが、
知識として頭での理解でなく、全身で深く腑に落としこむことができたように思います。

ちなみに「よく聞く」というのは
わたしがその辺の情報を漁りまくっているからであって、
そういうのないのにこの内省へたどり着くのはすごいな……!というのも思いました
格が高い……!

 

わたしも『このお部屋サイコー!あなたも褒めに来て』くらい言えるようにがんばろう
いや、褒めてもらわなくてもサイコーに自分の居心地がいいんで良いのですけどね!

 

ちなみに

喜んでもらえるよう、
お家をきれいにして、飾りつけをしたり、お茶やお菓子を用意して、おもてなしのシミュレーションをしてみたり……

 

女性の場合は
「準備は充分だが、相手が不快ではないか心配をしすぎる傾向」、

男性の場合は
「自信満々だが、実際には配慮が抜けている傾向」

を持ちがちに感じています。

 

もちろん個人差・性格による差があるんですけど、

超マイペースな女性でもさりげなく細かいところまで氣にかけてくれていたり、
とても氣遣いのある男性でも『なんでソコが抜けとるんじゃ』みたいな事が
多々見受けられるので……

目線を相手に向けるか自分に向けるか、
性別による脳の氣質的な差はやっぱりあるんじゃないかなあと思う今日このごろです。

(それとも社会的に求められる役割によるのかな……
子供の頃は男女共に配慮不足な方面の氣がする
脳のつくりのせいかもしれないし、まだ子供で広い視野を持つことができないからかもしれないし、教育が途中だからかもしれない。
それ以外の可能性もあって、真相は分からないけど)

 

だからこそ、
女性(女性的に相手の事ばかり氣になる人) は自身の軸をしっかり持つことが大切で、
男性(男性的に自分の世界観から出られない人) は相手の反応をしっかり観察してみることが大切になってくるんではないかなあと

そんな風に思うのでした。

中庸を尊ぶ。

 

余談

「自分大好き!!」って感じではなく、ただ自然になると言いますか。

「自分が好き」系の話に触れると、過去に対面で施術した人のことを思い出します。
「対面で施術した」……と呼ぶほど、仰々しいものでもないのですが。

知り合いが「潜在意識の調整がどんな感じなのか見たーい!(からやってほしい人を連れてくるね!)」ってノリでご飯会を設けてくれてw
その時に初顔合わせした方でした。

 

『よーし、んじゃ、試しに「自分が好き」って言ってみてください』とやってですね。

言えないんですよ。

 

それでお互い、しばらく黙り込むわけです。

 

不自然な間が流れたあと、その人は

「そ、そ、そんな……言えない……
だってそんな……、心にもないこと…………」

って、すごい震える声でようやくこぼしたんです。

 

で、それを聞いたわたしはすーごいニヤニヤしながらうんうんしながら施術を始めるのですw

 

馬鹿にしたニヤニヤじゃないんですよ、
だって、他人事じゃないですもん。

この、言えない感覚は、わたしにも心当たりがあるものですから。

『そうだよねーそうだよねー最初そんな感じなんだよねぇ!!』

って思って、ついついニヤニヤしちゃうのでしたw

 

そんなわたしも、一応言えるようになっています (恥ずかしいけどw)

あの人も言えるようになったかなあ。
会ったのはその一度きりで、名前も他も忘れてしまって、呼んでくれた知り合いとも疎遠になってしまったからその後は分からないんですよね。

良くなってるといいんだけどなあ。

 

ちなみに
「潜在意識の調整がどんな感じなのか見たーい!」については、
わたしが少しの間目を閉じて、筋反射へ問うために手を動かしつつ心の中であれこれするだけなので、

「それで終わりだったらヤバいっしょー」
『あ、すいません、終わってます』
「まじで!?」

みたいな感じになりましたw

 

「もしかしたら家の中を見せると嫌われちゃうかも」
「相手にお家の中を荒らされてしまうかも」ということが怖くて

『人は、自分で自分を愛せる量しか
他者からの愛を受け取ることができない』というのは常々感じていた

自尊心がめった刺しされたような状態になっている人は、何を言ってもどのように接しても
「何か裏があるんだ」「どうせ壊れる関係だ」「信じたら痛い目を見る」という結論を出して
自分から破滅の道を辿っていく (上記の結論を現実化していく) のでやるせなくなりますね。

手も足も出なくなって、下手な刺激を与えないよう見守る姿勢をとれば「無視された」「どうせ自分なんか要らない人間なんだ」「裏切りやがって」と荒れてしまいますし……

 

ただ、だからといって無限に手を差し伸べるわけにもいかないというか
「もうこんな自分は終わりにするんだ!何からすればいい?」って本人が肚を決めてくれないと
周りは協力のしようがないので (協力すればするほど破滅の材料を提供してしまうことになるので)

補佐したいからこそ見限る、という選択肢も
ときには必要になるのかなあと思っています。

完璧な対応をすれば回避できるのかもしれないけど、
わたし自身も1人の弱く不完全な人間なのだから
完璧を前提とした対応なんてできないし……

 

でもまだこの結論には納得いってなくて、さらに最適な解はないのだろうかと探っている日々です。

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