人間社会の至らなさ

なんか最近、人間社会の不確実さについて
よく思い馳せてる

今まで、人類が抱える諸問題について

『必ず誰かしらが解決策を持っているのに
それが実現されないのは、
関係者の無知や忖度や弱さが解決を望まず妨害に入るからだ』
と思っていたんだけど、

なんか、そもそも、
そんな人間の低い感情以前に、
解決のための知恵や策を誰も持ってないことも、案外多いのでは……?
もしかして

って、思うようになった

『やってみたらどうなるか分からない』

『そもそもアタリすらつけられない』みたいな

最近ちょっとだけ
近代史にふれているのだけれど、

 苦手分野だから本当に簡単にしか見ていなくて
解像度も荒ッ々、
理解もまだほとんどしていないのだけれど

その中でも人々が
間違えたり挑戦したり失敗したりと
右往左往している姿はなんとなく見えてきて

『あれ、もしかして今でもけっこう右往左往してたりする?』って
思い始めてきた

科学も法律も常識も
時間と共に変わっていくし

政治や経済も、そして他の事たちも
完璧と本質を目指してはいつつ
実現が難しかったり
その本質の方が日々、変わっていったり……

システムで規律を定める難しさが
一番分かりやすいのは法律なんだけど、

どうしたってどんな知恵があったって
行動や出来事という“表面”を見ての判定では
本当の規律は作れないのよな

表面から
内面を判定することは絶対にできないから

不可能なことを、
それでもやらねばならぬ、
表面のことで物事を決め、
しかし表面に囚われすぎて酌量すべき情状を無視することになってはならぬ、

という“内面”が、
法律の文章という“表面”からにじみ出ているのが
わたしは好きだ

(とドヤァしながら、法律文書に明るいわけでは全然ない
著作権法をさらっと眺めたことしかないw)

社会主義と共産主義のあり方が
何度聞いても分かるけど分からんなんだけど、

それらに
資本主義や民主主義を並べてみて、

詳細は理解できなくても

『どの主義なら社会を幸せにできるのか』の答えが
まだ見つかっていないことは
わかる

逆に、『どの主義が社会を不幸にするのか』にも答えがない
どちらの問いも、答えは「どれも可能」であり、「どれも不可」である
答えへより近い、より遠いは、あるとしても……

結局は、人々を幸せにするのは
主義ではなく人々自身だからだ

もしも人々のすべてが自身を幸福にする力を持っていたならば、
掲げる主義なんかなんでもいい
独裁政治ですら問題ない

(その独裁は人を傷つけないから)

しかし逆を言えば、
人々の状態が悪ければ何を選んでも幸福は遠いということになる
そして人間は完璧ではないのだ

主義やシステムで制御できないことを、
それでも理想の社会を実現するために
人々の状態を配慮しながらも左右されることなく
最適な主義やシステムを探していこうとする姿勢……

とても素晴らしいものだと思う

世の中はもう成熟していて、大抵の困りごとは検知と同時に解決へ動くことができる状態なのだから、
自分が役に立てる領域なんてもうねーだろ って思ってたけど、

自分が思ってたより全然完璧 (最適解) から遠いのだとしたら、
もしかしたらなんか、何か役に立てるところが
まだまだ残っているのかm文字数

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全然未熟で、だけど、長い道のりを進んできてもいる。

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