なぜ犯罪を憎み、犯罪者を憎むのか?

注意書き
犯罪にトラウマがある方や、重たいことが苦手な方には受け止めがたい、認めがたい内容だと思うので、読まないほうがよいです。
そんな記事です。

 

Q.なぜ犯罪を憎み、犯罪者を憎むのか?


認めたくないからじゃないかなあ。

①犯罪が自分たちを脅かす恐怖 とか、
②犯罪を行う者が身近にいるかもしれない恐怖 とか、
③犯罪の芽は自分の中にもあるんだ、っていう、恐怖。

 

①犯罪が自分たちを脅かす恐怖

お金取られるーとか乱暴されるー という恐怖。
分かりやすいやつ。

②犯罪を行う者が身近にいるかもしれない恐怖

もしかしたら会社の同僚が恐喝者かもしれない。
行きつけの店の店員は殺人者かもしれない。隣人は強盗かもしれない。
そんなことありえない!……とは言いきれない。

でも、そんな疑いながら生活してたらストレスで参ってしまうし、
態度にも出て人間関係が悪くなってしまう。

だから、犯罪者を攻撃したり追い出すことで
「これは自分の日常とは関係ないもの」って切り離して
心を波立たせないようにしてるんじゃないかなあ。

 

③犯罪の芽が自分の中にもあるという恐怖

これを書いている私は今、人のものを奪ったり、
お金を払わずに何かを手に入れたり、
誰かの尊厳を踏みにじって好き放題したいとかは思いません。

でもこれってあくまで、「衣食足りて礼節を知る」だと思うんだ。

3日間なにも口にしなかったら?
来月の家賃が心配でたまらなかったら?
毎日侮辱され続ける日常を送っていたら?

そうと知らず、ヤバい薬に手を出して依存してしまったら?
家族を人質に脅されたら?

私が犯罪者になる可能性もじゅうぶんにあります。

そしてそれは、私以外の人にも言えることです。

しかし、「自分も犯罪者になる可能性はある」と考えられる人はそんなに多くないでしょう。

②番の「身近に犯罪者がいるかも」が認められないなら、
「自分の中に犯罪者の素質があるかも」なんてますます認められません。

④本当はみな性善説で生きたい

サラッと項目追加。

犯罪は悪いことだ。
人間は、悪いことを選択しないという生き方ができる。
なのに、なぜ罪の道を選んでしまったんだ!

という憤りがあるのかもしれない。
あくまで理想論で、人間だからそんなに強くなれない場面だってあるけど、
それでも善の道を選んで欲しかったんですよ…たぶん



質問への回答から脱線してしまうけれど。

③番の「衣食足りて礼節を知る状態だから犯罪者にならなくて済んでいる」
という考え方については、もう少し思うところあって、

仮に、犯罪者と同じように生まれ、同じように育ち、
同じように過ごしていたら、現在が満ち足りていても
犯罪者になっただろうなーと。
そもそも、満ち足りることが実質不可能になっているかもしれない。

そこで踏みとどまれる“自分”だったとしても、
じゃあもし、肉体や知性、感性の傾向まで
その犯罪を行った者と同じだったら?

そしたらもう、犯罪者になるのは
ほぼ逃れられない運命ではなかろうか。

犯罪者は、私の代わりに犯罪者になる運命を
背負ってくれた人たちなんだと思っている。

 



ただ、考え方はどんなに情け深いところへ置いたとしても、
現実には断固として対処しなければならないです。

人の道を外れる者に「それでいいのよ」と言うことは
被害者はもちろん、本人のためにならないからです。
人の道に帰っておいで!

ただこの際、道を戻すのが目的であって、
責めるのが目的ではいけない。

理想論ではあるけれど、でも、そう、理想としては、
罪を憎んでも人は憎むべきでない。

また、被害者になったら立ち直るのが大切な仕事です。
被害者意識を持つことは、加害者となる入り口だからです。

被害者も試されている。
辛い思いをしている人を実際に目の前にしたら
こんなひどい事言えないけど、きっと試されてる。



最後に。
犯罪は、人々が目を背けている恐怖が
現実で具現化したものである気がします。

ある意味、妖怪みたいなもの?

(微妙なシメで終わる)

 

※この記事は、「インタビューズ (閉鎖済)」へ投稿した内容を書き直したものです。

 

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