価値ではなく値札で評価する世界

 

趣と時代感のある建物は保全すればいいのに……
してくれよ……


 

以前暮らしていた家の近くに「海喜館」っていうやべー旅館があってな、

「うみきかん」って読むのに「怪奇館」ってアダ名もついてたらしくてな、

めっちゃ古くて味わい深くて
お庭が広くて木々がいっぱいで
そして館内も同じように素敵だったらしいのだが

宿泊を申し込んでも断られるから確認できた人がほぼ存在しなくてな

参考情報


でも建て壊しが決まったらしい……
ショックだ……

って思ってたら
既に壊し終えてたらしい
超ショック……

しかも跡地には高層ビルを建てるそうで
えっ……バカなの……

いやすまん、
なんも知らんでバカ扱いする方がバカだ
だけど

バカなの…………

そりゃさ、大きいとはいえせいぜい2階建て、広い庭という“ムダな”土地の使い方をしている旅館を保全するよりも
土地に隙間なく高層ビル建てて賃料取った方が金にはなるけどさ……
五反田とはいえ山手線沿いの駅からすぐの場所だしさ……

でも…………

文化遺産…………

文化遺産の保全が趣味みたいな資産家はおらんのか
良い遺産は道楽で守ってくれへんか

みたいな超都合のいい丸投げ貧乏人発想するけど

資産を扱う者は、文化を保護するよりも
さらなる資産を得る方向に行っちゃう時代なんだろうからね、
しょうがないね

関連記事世のお金はどこへ流れているのか?

「本来投資家というのは、応援したい事業や地域活性化など、採算を度外視した投資もおこなっていた。そうやって世の中へお金を回すことが、投資家の役割だったから。

今の投資、投資家というのは更なるお金を追い求めるばかりで、社会貢献は二の次になっている。だからお金が世の中に出回らない。

投資家全員に言えることではないかもしれないが、『こういう投資、お金の流れが主流になっている』とは言える」


 

……むしろ、この旅館の元の持ち主さんが
そんな感じでここまで守ってきてくれたっぽさも
あるのよな……

文化の保全ではなく思い入れなのだろうけど……
生まれ育った場所であり、ご両親から受け継いで
お客をほとんど入れなくなってからもここで暮らしていたらしいし

何年か前にこの旅館が詐欺に使われたらしいんだけど、
その時点でだいぶお体を悪くされていたようだから……

いつかは手放さなければならない、
そして遂にその時が来てしまったと、
そういうことなのかなって……

ていうかその詐欺騒動も
知ったとき『ふざけんな馬鹿野郎』って思った……

カネばかり動かす馬鹿野郎たちには
そこに誰かが抱く価値になんて興味が湧かないのだろう
値段しか見えることはないのだろう

資産も人もそこにある個性や歴史なぞ関係なくて、
まして思い入れなんて関係なくって
ただ、通貨の代わりでしかないのだろう

でも社会的に見れば
個性や歴史や思い入れなんてものに価値を感じて
値段を見ないわたしの方が馬鹿野郎なんだよ
ちくしょう
ほんと馬鹿野郎

……と、
無知ゆえにこう考えられる可能性や
実は断腸の思いで関わられた人もいるかもしれない可能性を無視して
短絡的に怒りを振りまきたくはないのだけれど


馬鹿野郎だよ


守られてほしかったなあ


詐欺騒動:五反田の地面師事件

……を、知ったのはこちらの動画から

お気に入りのチャンネルさんを
いつもどおりぼへーっと流してたら
唐突に懐かしい地図と旅館の名前が出てきて
びびったよ…………

こうやってまとめてもらうと

『こんな超大規模取引なのに
契約実行まで現地への確認や挨拶は一回も行かないの?』

って思えるけど、

実際に関わっているとそんなもんなのかもなあ

なんせ通貨の代わりだからね、
土地でも建物でも人のいる場所でもなく
書類上に乗っかっている情報でしかないんでしょ
ペッ

海喜館、大切にしていると呼ぶには木や塀の手入れが行き届いてなかったけど
ぞんざいにしていると呼ぶには雑草とかがほとんどなくて、

もしかしたら、業者さん……外部の人 を
入れたくなかったのかもしれないなあ

(隙あらば土地売買の話をする輩が来たらしいから……)

おまけ:凝った建物は大正施工までの気がする

最初に引用した北千住の病院、
改めて、とても美しい建物だよねえ。

だからこそ思う。

周りに映っている建物たちの味気なさよ。

使われている建築技術や
中にいるときの快適さは、新しい建物の方が上なんだろう。

だけど、そういう、
必要なところにだけ力を入れて、節約と効率ばかりが追い求められていて……
「美しくしよう」という豊かな意識の、なんと乏しいことか。

こんなに美しく装飾があしらわれた建物、近代にはないんじゃないか?
よほど特殊な施設以外に、ある??
みんなシンプルじゃない? デザイナーズの建物ですらそうじゃない??
目新しさや構造的なこだわりはあっても、繊細な造形へのこだわりや手間は省かれてない???

知らないだけだったらごめんです……
美しい建築でパッと思いついたのが東京駅と御茶ノ水周辺なんだけど、
あのへんも明治大正だったはず……
海喜館も同じく、らしいです。

あっでもとりあげた病院さんは昭和57年だそうです!
若い!!ちょっと希望……!
しかし明治大正レトロに見えるということは、
やっぱり昭和以降こういう建物はほぼ作られていないという絶望でもあるような……

それにしても建物、わたしと同年代とは……
結構新しいじゃんか……ほんともったいない


単純にお金かかるからできない、というのも
あるだろうけど……

件の病院さんもね、前後は華やかだけど
別の建物で隠れていたんだろう側面は結構シンプルよねw

機能美は機能美で美しくて良いのだけれど、
そうじゃない選択肢がないというのは……

みんな似たりよったりの心に残らない建物ばかりに……
もはや建物だけでなくて街並みごとそうなっているのは、ちょっとさみしいなあとも思う。

関連記事個性を失っていく、世界の文明

中世……1700年くらい、日本だと江戸時代くらいまでは、各国の特色というか、個性があるんですね。
『この景色はこの国だな』って、見て分かるんです。

でもそれ以降は、どの国も同じような風景になってくるんです。
ビルが立ち並んで……



技術の躍進というのは確かに豊かさなんだけど、それは物的な豊かさであって、
心的な豊かさは、余裕と、無駄と、遊び心から来るものではないだろうか。

気密性のしっかりした建物に住み、豊富な食事を摂り、様々な機械を稼働させていても、
苦しく追い立てられていたらそれは、偏った……
貧しい豊かさだなあと思うのです。

(楽しく追い立てられてる人は全然いいと思いますw
納得いくまでつっぱしって……!)

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