●テンションの高い文章が浮かんでいて
自分の氣持ちもそれに同調しているのに
体の方がついてこなくて
なんというかこう、文章を打ち込みきれなくて
困る
●物理的になら打ち込める、
ただ文字を打つことならできる……
けど……
こう、なんだろう、嘘をついているような不快感
この体がこの言葉を発するのは調和しない、
心も体に引っ張られて本当にはついてきていない、
その状態でその言葉を発するのは正直ではない、
そんな違和感……
この違和感はほとんどの人には分からないのだろうなあ、
「そんな細かいこと氣にするな」と言われてしまうやつだなあ、
そう思うと少し悲しくなる
自分の感性や思考を切り捨てられてしまうことが、理解や共感を得られないことが
でも、この感覚を分かる人が少数派かと聞かれたら、案外そうでもないのかもしれない
日本男性の大部分は、大切な女性に「愛してる」と言えないそうだけどw
多分その感覚に近いのだ
嘘ではない、ないんだけど、
言葉にするには強烈な違和感を覚える、
言葉にした瞬間嘘になってしまいそうで
その言葉に自分が追いついているのか確信が持てなくて
想いと表現の間に何か強固な壁があって、超えるのが容易ではないという
まあ この感覚を共有できたらなおさら
ごく大切なことでもない日常のあちこちでこれを感じてしまうことに
「そんな細かいこと氣にするな」と言われてしまいそうな氣もするけどねw
●そもそも
心と体が一致してないのだから
心も体も一致・調和・納得した言葉を発せられるわけがないのだが
●体の調子があんま良くないのは嘘でないじゃん
テンション高い文章を打ち出したいのも嘘でないじゃん
今の状態とは一致してないかもしれないけど
普通状態のときに自然と発せられるものの幅には入っている言葉なのだから
嘘には……
自分を偽っていることには、ならないんじゃん?
●嘘ってなんだろう……
言葉を発するときに、何か調和していない、どこか矛盾を感じるとすごい不快感があって、
それを嘘だと認識してるんだけど
●だけどあくまでも自分の感じ取れる範囲内だから、
正直に述べたことが後々嘘になってしまったとか、
盲点の中で氣づかなかっただけで実際は嘘だったとか、
言葉にしていないけど行動が“嘘”の基準に当てはまっているとか
なんというかこう
ぐるぐる
限界
●言葉でも行動でも
自分の内面と一致している言動をすることが正直さだと思っていたけれど
体調の悪さに引っ張られて真が嘘になるとしたら、
なんかもう、正直さってなんだろう
●元氣だったら活発に行動する人が
体調が悪くて寝込んでいるのは嘘なんだろうか
そういう時期が長引いて、
元氣だった頃をもう忘れてしまって
寝込んだ日々の中に暮らしていくのが当たり前になったら……
本来の自分と、かけ離れた状態になったとき、
それは嘘なんだろうか?
●そうなってくると「嘘」っていうカテゴリじゃないか、
意識的に自他を欺いてるわけではないもんな
●でも、「意識的に」だ
もっと広く、人間の認識を超えた視野からは
それも「嘘」と呼べそうな氣がする
人間の目線では、「偽り」が一番近いのかなあ
でもそれだと……
元氣で調子の良いのが状態としての正直さだとすると、病人は嘘つきなの?
●そんなことはないよね
自分を、自分の心や体を裏切り続けての体調不良は嘘への報いだけれど
病氣を体験したいとか克服したいという願いが根底にあったとしたら、それは自分への裏切りではない
●だけどすべての不調にはどこか
「そういう体験をしたい」という願いもあるのだろうから、
ということはすべての不調和に嘘はないことに
●矛盾や嘘が存在するという真
嘘を体験したいという真が存在する、という矛盾