- 話の発端
死ぬって痛い?
『死んだ記憶がないから想像なんだけど、
「痛い死ぬ」と
「痛くない死ぬ」があるんじゃないかなって思ってるよ。
「痛い死ぬ」はね、
死ぬときじゃないときに死んじゃうと、痛いの。
体はもちろん、心も痛いの。
すごく。
「痛くない死ぬ」はね、
じゅうぶん生きましたね、
思う存分、一生懸命にやり抜きましたね、
この体をこれ以上使い続けるのは難しそうですね、
って、自然な寿命を全うしたときに、痛くないの。
本当に死ぬとき、心も体も
死ぬための準備を進めていくんだよ。
それにお任せしてると、痛くないの。
まだ死ぬときじゃないのに死んだり、
もう死ぬときが来てるのに
心と体の準備に逆らって「死ぬ」からむりやり遠ざかろうとすると、
痛かったり苦しかったりする。
……だとすると、
「痛くない死ぬ」は
ちゃんと生きてちゃんと死んだときにだけ貰える
“特別なご褒美”で、
「死ぬのは痛い」が正解なのかもね。
でも、ちゃんと生きてちゃんと死ぬのは本当は当たり前なんだよ。
だから、「死ぬのは痛くない」が、更に正解なのかもしれないね』
- 後の質問
余談
当ページの公開準備がちょうど終わった頃、
わたしの元へこんな記事が流れてきました。
ある動物病院の先生が書いてました。
最後まで治療を続けた猫は苦しそうに死に、医療を受けない猫は枯れるように穏やかに死ぬと。
僕も同じ意見です。
上記の原著を見つけることはできませんでしたが、
代わりに、大変興味深い記事へ行き当たりました。
要約して抜き出すことは難しいと感じたので、
このページへの引用はしないでおきます。
- 後の質問