「モノのやり取りがないのだから、お金を払いたくない」という感覚があります。
でもこれは、本当はおかしいです。
なぜなら“モノ”はお金を要求しないから。
お金を要求・請求するのは人間であって、モノをさかのぼっていった先にある自然環境が、お金を請求してくることはありません。
植物が育つために水と光と栄養が必要……などの等価交換はありますが、水も光も栄養も、やっぱり無料です。
畑が収穫の際にお金を請求するなんて話は、聞いたことがありません。
お金を請求するのは、畑で働く人々です。
機械がやってくれる仕事には人の影が見えづらいですが、
その機械を実用化するまでに必要な設計・組み立て・金属加工や採掘/精錬/運搬/等々…には、たくさんの人たちが関わっています。
初期投資だけで数千万円の人件費がかかった上で、運用開始後の操作やメンテナンスを行う人員の人件費ももちろん必要です。
テレビやネットで見られるもののほとんどは無料ですが、
それは広告費を払っている人や、発信者さんからの“オゴリ”です。
オゴリの理由は「広告宣伝のために」「趣味だから」「生じた収入を管理する方が損だから」などで、納得ずみではあります。
しかし、その提供品を作っているあいだも飲食はするし、上下水道・場所代・税金などなど支払っているわけですから、“費用ゼロでできたもの”ではありません。
希少性などに対する価格というものもあるので、
「人件費」という言葉に収まりきらない要素も存在しますが……。
「価格を定めているのは人間で、自然は何も請求していない」という点に関して、ゆらぐことはありません。
だから、料金を支払うというのは
「私のかわりにやってください」と労力や能力、人間社会における権利などを買い取っているのであって、
「“モノ”とお金を交換しましょう」ではないのです。
本当はね。
このような捉え方をしづらい背景としては、
「様々なものが無料で提供されている」ことと
「モノは見えるから測りやすいが、情報や技術など、見えないものは測りにくい」ということが挙げられます。
しかし無料提供については前述の通り、
「提供に費用がかかっていないわけではなく、利用者以外の誰かが負担してくれている」ためです。
テレビもネットも基本無料だから、無料であるという刷り込み・教育がされているわけで、無料に見えちゃうのは無理ないんですけどね……。
「見えないモノが測りにくい」のも、まあ、仕方のないことではあります……
専門性が増したり、物質的(科学的)に計測できることから離れれば離れるほど、その領域に慣れ親しんでいない人が価値を測ることは難しくなっていきます。
私は一応エンジニアなので、プログラムを見た際に、書いた人の実力や思考回路が伝わってくることがあります。
でもこんなの、プログラムに慣れ親しんでいない人には全くわからないですよね。
だからたとえ中身がぐっだぐだのバグだらけであってもとりあえず動いててプレゼンが上手ければプログラマでない人やプログラマだけど書けてない人からは「すごーい!!」って大絶賛されたり高い給料もらえちゃったりするんだわ後日運用する人が全部尻ぬぐいすることになるんd
ごめん、今めっちゃ私情はさんだ
(そして、プレゼン能力は大事です……ええ……)
ともあれ、「人は見える部分で判断しやすい」ということです。
物とお金とのやりとりであっても、
たとえば野菜なら、大きさや味は評価できますが、栄養価や企業努力などの“見えない部分”になるともう、一般購入者では判断できないですね。
そんなこんなで、
「お金を払う先ってすべて“人間”なんだよ、ちょっとわかりづらいけどね」
というお話でした。
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