世界の三大宗教

宗教と言えば

一般的には
キリスト教・イスラム教・仏教あたりになるのでしょうか。

わたしの思うところとしては、
それら (および古今や東西すべてのいわゆる宗教) はまとめて
世界三大宗教の第三位です。

宗教とは、信仰とは

そもそも
「宗教とは何か?」
「信仰とは何か?」という問いを立ててみたとき

まず信仰の定義は

『個人の心の内で、対象に力があると信じていること』

と言えます。

そして宗教は、

『同じ対象または方向性を信仰する者が集まり、
その集団を率いる者が発生することで成り立つ』と。

人が何かを信じれば、そこには力が発生します。

そのため、
宗教の信仰対象となったものには
力が持たされることとなります。
実際の力がどの程度あるかに関わらず。

世界三大宗教の第二位

という前提のもと、
わたしの考える世界三大宗教の第二位は科学です。

教義は「客観性、観測できるものこそ絶対である」。

本来はそんな信じられ方をするものではなく
人類の探究心と好奇心の最先端を担っていただけなのですが、

  • 導き出された結論が限定範囲下において絶対的な正しさを持てること
  • 結論の周辺まで興味や理解を示す者は少数派であること

という2点により、結論を引用することが説明や説得において有用であり、
しかも同時に容易であることから
「科学は正しい」という印象が強く広く浸透していき、
結果このような信仰を集めることとなってしまいました。

第3位の宗教を信じていないひとでも
第2位の科学は受け入れているのが普通です。

類似に、合理性や論理性を重視する思想があります。

世界三大宗教の第一位

世界三大宗教、堂々の第一位は「お金」です。

第2位の科学について、興味のない人たちは影響は受けつつも深入りはせずに済みますが、
第1位であるお金は社会のほぼ全域で暮らしの運用に深く組み込まれており、
信仰心の大小に関わらず否応なく巻き込まれていくことになります。

いろいろ思うところも説明したいこともあるのですが、
わたしの中でまだ重要な要素を掴んでいない感触があり、
言葉にまとめることもまだできなそうなので
ここでこれ以上言及することは差し控えます。

あとはぐだぐだ雑談

現状の考えはそんな感じなのですが

『いやァーー??
この発想でいくなら、言葉も宗教になるのかなあ』

と、書き終わったあとに思いついてしまい……
やめて書き終わったあとに根底から覆す思いつきくるの /(^o^)\
グアーでもやめないでそういうのめちゃ面白いから \(^o^)/

言葉は
うーん
統率の度合いが弱いかなあ

でも力を持っているのは間違いないですよね。

昔、なんかの折に見たんですけど、
こち亀の両津さんが手品師の舞台を見に行って、舞台の上に呼ばれて、
「絶対に暗示にかからないぞ~!!」
「タネや仕掛けがあるはずだ見抜いてやる~!!」
って息巻いて構えてるんですけど
手品師さんに「あなたは眠くな~る」されてアッサリグッスリしちゃうんですよ。

「なんで……!?」の答えは至極単純で、
眠くな~るのときにこっしょりと
「ここで寝たフリしてくれれば後でお金あげるよ」って
耳元で囁かれていたというwww

ふとした瞬間にその場面を目にしただけなので
これ以上詳しいことは覚えていないのですが。

バカバカしい話ではあるんですがw コレ結構
言葉に力を持たせるということの本質を行使した例だと後年思ったんですよね。

ほかにも、相手や状況によっては「愛してるよ」も同じような使い方をできますね。

(個人的な感情としては、そんな使い方あァすんじゃァねーーーーー と 思うけどw)

あれ待って……愛も宗教かな……

いやでも信仰対象が統一されてるようでバラバラだから、宗教にはなりえないかな……
あんまり具体例出さずにぼんやりと「愛」って唱えてゆるふわに率いることはできそうだけど。

そういえば、もともと第三位はほんまもんの宗教じゃなくて
「常識や礼節」を入れてたような氣がしてきたぞ???

なんか文章の入りを宗教にしたらごくスムーズだったので
自分でも忘れ去ったまま宗教三位にしちゃったけど。

あんるぇーーー???
 (適当やな……)

 

信仰が集まって集団ができて宗教になるんだったら、
逆に宗教を作りたかったら

「何かを信仰の対象に置いて、力があるように見せかけて人を集めること」で、

そこで権力を持ちたかったら

「信仰の対象に、他の人達よりも近い位置に自分がいると示すこと
(そして時に、『あなたは他の人達よりも信仰の対象に近い(わたしほどではないが)』と囁くこと)」

ですかね。

 

力なきものに力を持たせて

(とはいえあんまりハリボテすぎると信仰を集めにくいので、ある程度の説得力はあるものがいい)

実体以上に大きく見せて、従わなければいけないと思い込ませる。
浸透したらあとは信者たちが自発的にさらなる力を持たせていってくれる。
「本当はそれ、いらないんじゃない?」と思う者も言える者も抹消されていく。

できることなら、信者たちには
自分が信者であるという自覚を持たせずにいるのがいい。

権力を持つための手段やのう~

毒親が子どもを支配するための手段でもあるのう……
意識的にそうしているわけじゃないんだろうけど……

もちろん、すべての信仰がそういう道を歩むわけではないですが。
「科学は嘘っぱちだ宗教はでたらめだ!」とか言ってるわけじゃないですからね……!

でもそういうものたちが、こういう使われ方をしている場合はあります。ね。

この記事で挙げたもの以外、美でも健康でも育児でもなんでもかんでも、宗教にできますな~~~

“宗教”という言葉は忌避されがちで、避けたり拒絶反応を示す人も少なくないというのに
実際には結構、なんらかの“宗教”にはどっぷりになりがちですね。

人は信じるものなしに生きていけるようにはなっていないのでしょうから、仕方がないことですが……
信じるものをきちんと選んでいけたら良いですね。

関連リンク

「科学でない」と「正しくない」は同一とは限らないはずなんじゃ

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