この話ね……
いろいろとやるせないですよね。
事件の内容は、2018年に、教育虐待を長年続けてくる母親を31歳の娘さんが殺害した、というものです。
詳しい話を取り扱ってくれている動画を見て、改めてひどい話だなと思いました。
被害者である母親に関して
「何がなんでも娘を医者にさせたかった」
「9浪の末に断念するも、それでも進路を強要」
「『娘は医学部に行った』と嘘をつき、本人にも口裏合わせをさせていた」
という概要だけでも『うわーーー』なのですが、
その内情はさらに、
もはや『うわぁ』の声すらも出なくなるようなもので……
暴言暴力はまだ、想像できるのですが
いやこの時点でヤバいけど……
ヤバいけど、しごきが激化していってそうなることはありえるよなって、考えることは、できる。
でも
「風呂でも勉強しなさい」って、何??
サボらないように一緒に入っていた、って、何……??
娘さんもさすがに逃げるというか、家出も何度もしていたようなのですが
それを探偵を使って連れ戻すって、何?????
なんかもう、酷いとか怖いとかどころでなく、
気持ち悪い…………
しかも、暴力も事実は想像を超えてた……
「物を投げる、奇声を上げる、刃物を突きつける」
えぇ…………
完全にただの発狂じゃん…………
そういう話の中で、
(動画 8:03~)
で、これ、すごい印象に残ってるんですけど、
お母さんを殺めたあとですね
「初めて自分でテレビを見た」ってで、「すごく楽しかった」って
そこにお母さんの死体転がってるんですよ
なんかもう……なんかもう
可哀想すぎて言葉にならん…………
受験9年間の強要も相当長いしひどいけど、
そこへ至るまでの18年間だってずっとこの調子だったんだろうなってのが容易に分かってしまうから
『テレビ楽しくて良かったね』って
良くねえよ!! って
情緒が潰れそう…………
そこから続く話もさ……
(動画 8:23~9:39 黒板のまとめ)
・一審では娘は殺人を否認。
・状況を見て、一審で同情される。
・判決の後、
娘は「私がやりました」と控訴。
(動画 9:31~)
「普通は、控訴だったら否認を続けるじゃないですか。
違うんですよ。
控訴して、殺害を自供したんです。『何でですか』って聞いたら
『裁判所に言っても、どうせ理解してくれないだろうと、
私の生い立ちなんて、苦しかった事なんて』」「うんうん、否定されると思ってるっていう」
もうさぁ、世界への人間への信頼度ゼロじゃん……
「どうせ理解してもらえない」なんて、
どう考えても、
今まで理解してくれる人がいなかったからそう考えてるんじゃん…………
にも関わらずさ……
「『でも、第一審の公判の中で、いろんな人達が、すごい私の話を聞いてくれた。
で、「同情します」って言っていただいて、
「あなたもつらかったよね」っていう言葉で、
「ああ、ちゃんと本当の事話そう」と思ったから控訴しました』」
めっちゃくちゃ、いい子じゃん……!!
(成人年齢はとっくに超えているけれど、
彼女の時は中高生あたりで止まっていると思うし
“いい子”って呼ぶ)
そんな辛いとしか言いようのない目に遭ってきたってのにさ、
「誰も信頼なんかできない」モードからさ、そんな短期間でさ、
「信頼できるのなら、正直で応じよう」って……!
なにこの………… なにこの……………………
でもさこれさ逆に考えるとさ、
本当はそんなにも簡単に心を開いてくれる人が、
その簡単な機会すら、得ることがなかったって事じゃん……
まあ……そりゃ、得られるわけもないけど……
友達付き合いを禁止され父親とも遠ざけられてて
強迫観念で狂った母親に隷属求められながらずっと密着してたわけだから…………
そんな苦しい中を抵抗むなしくてもここまで生き抜いてきて、
しかも芯は歪んだりすることなく素直で他者に協力的で、
そんないい子が、それなのに事を起こしてしまった。
起こさざるを得なかった……って、
ほんと……なに?????
もうさ、ほんとさ……
この感想どう表現したらいいの?
情緒が潰れそう……
としか……
(動画 10:54~)
「高裁の方でも、
(あなたはやってはいけないことをしたけれども)『どうか、罪を償ったら、
新しい人生を、生きて欲しい』あんまり言われないんですよね
最後、裁判官がそんな事言うなんて
ほぼほぼないんですけれども、『最後ちょっと一言いいですか』って裁判官が言って、
今の言葉を言ったわけですね」
これもさ…………
裁判官の方も、本当に、
いろいろ思うところがあって、
何とも言えないけれどもそれでも何か言わずにはおれない、
そして言えたのがこの内容だった、
みたいな、
そういう葛藤もあったんだろうなぁって……
犯罪者が社会復帰する難しさも
ひどくない生育環境であっても生きるのが大変な世の中であることも
知らないわけではないだろう、と思うから……
それでなくてももうさあここまでの経歴でさあ、
何をどう生き直せばいいのか? なんて、そうそう分かると思えないし……
それでも、本当に、
「新しい人生を、生きて欲しい」って、
本当に、その一念だったんだろうなって。
事件に関わった人たち、見聞きした人たち、
良心を寄せるみんなの想いでも、あるよね……
(被告は素直で真面目で協調性高いし
締め付けが極端におかしかっただけだから、
「出所後ウチに来なよ!」っていう場所さえ見つかれば
きっと上手くやっていけるとも思うんだ……
有名になったことで、逆に居場所が見つかりやすくなったと願いたい
お父さんと一緒に暮らすことは決まっているそうで、ホッとした)
「やってはいけないことをした」という認識についてもね……
じゃあ他にどうしたら良かった?
ということに、答えを持ってる人、いないと思うんだよね……
外部に助けを求めれば良かった?
人付き合いを遮断され、携帯所持も許されず、行動範囲だって極端に制限され常に監視されているのに、どうやって?
仮にその機会に恵まれたとしても、彼女は助けを得られるような説明はできなかったのではないか? という気もするのだ。(これは完全にわたしの憶測だけど) (そういえば毒親の管理と先回りがひどすぎてあらゆる能力が幼児のままな女の子の話も聞いたことあるなぁ)
それなのに、ちゃんと逃げ出してもいるの、これすごく偉いと思った。
そして何が何でも連れ戻して閉じ込め直す母親の執念が恐ろしいと思った。
だからってさすがにさ……
「殺すしかなかった」「殺しても良い」
には……
ならないじゃん……
だけど…………
じゃあ他に、彼女はどうしたら良かったのか?
彼女への情状酌量の余地は、そりゃぁ皆様思うところで、
本来殺人罪へ適応されるだろう刑期から半分になったことを踏まえても、
それでももっと、どうか、なんとか……
という気持ちは、動画の中でもにじみ出てきています。
(動画 11:30~)
(上記裁判官の言葉に対して)「なかなか殺人犯にそんな事言わないんですけどね普通は」
「執行猶予にさせ…るにはちょっとなぁ……
死体……突発てk……計画性もあるし……(中略)
死体遺棄だけでは重い罪ではないんだけれど
やっぱり状況的には良くない……」「いろいろ、併合されちゃうと」
動画へ送られたコメントにも同じ気持ちが溢れていて
「加害者は母親の方、法律の方が追いついていない感ある」
「刑期は2,3年でもいい/無罪にして欲しい」みたいな内容もありました。
すごくわかる……
すごく分かるけど、あまり刑を軽くしすぎると今度は
「理由があれば殺していい!!」
「じゃぁ自分も殺しちゃおう!!」
「リスクが数年ならリターンの方が大きい」
みたいな手合いが増えて世を乱す可能性を助長してしまいかねないんですよね……
数が増えればその中には、同情を寄せ難い者だって出てきてしまうわけで……
ほんと……ほんとさぁ。
悩ましい……痛ましい。
この事件に関して、他でも聞いておりしんどい話なのも知っていたので、動画の視聴は覚悟して始めました。
(ちなみに、探偵の話と携帯禁止の話は他で知ったもので、上記の動画内には出てきません)
それでも『こんなにもしんどい詳細だったとは……』と、覚悟があったうえでもなかなかに来るものがありました……
その心情は、ここまでに書いた通りです。
それでもなんとか、感想もありつつ淡々と視聴していて、
そこまで感情は引っ張られていない、冷静だった、
つもりだったのですが。
(動画 12:27~)
「拘置所の方が楽しい」ということらしいです。
これを聞いた瞬間、涙がバッと出てきてしまいました。
一応それでも心の状態としては淡々としていた、
悲しいのは思考で分かることであって心までは揺らがせていないつもり、だったのですが、
ダメでした。
涙が流れて流れて止まらなくて、しばらくしゃくりあげてしまいました。
続く内容もさぁ……
「そりゃそうだろうねぇ……!
自分の……だって自分の空間で、誰も監視、こんな監視、
刑務官の監視なんて、親切だよ! ハハハハハ!」「『私は自由に人と喋ることができなかったから、
人と自由に喋ることができるっていうのはこんな楽しいものなんだって分かった』」
だからさぁ…………
もう…………
もう…………
自由ったって、親切ったって、
相手、刑務官とかじゃん……
話、職務の制限内じゃん…………
こんなの…………
情緒潰れちゃうよ…………
聞くだけでこんな反応なるのに
それを幼いころから
自分の人生丸ごとで体験してきた
被告……
ほんとに…………
動画最後のまとめにも
(18:47~ 発言の要約テロップ)
この手の問題は
いまだにたくさんあります
(19:00 発言の要約テロップ)
世の中と触れずに
医者に成れるわけなんてない
(20:00 発言の要約テロップ)
本当は、お母さんもちゃんと
看てもらうべきだった…
など、ありますが……
(この記事に必要なところだけ抜き出しているのですが
引用した部分以外も良い内容の動画なのでご興味ある方には全編の視聴をお勧めいたします。
改めてリンクを張っておこう……)
この母親のように強迫観念に取り憑かれてしまうと、
ひたすら詰め込み詰め込み、余白を許さない、人の話は聞かない になりがちなので
これを言っても分かるわけがないからムダではあるんですけど
実は過剰な詰め込み(負荷)って、
エリート(適切な行動)を教育する方法に限らず
犯罪者(不適切な行動)を教育する方法でもあるんですよね。
もうこの事件が、それこそまさに……なんですけど……
本人の許容量内に収まれば問題ありませんし
(それならむしろ世のため人のため自分のためになってイイネ! ですね!!)、
本人の中に強い内発的動機づけがあれば負荷の軽減もできましょうが
他人からせっつかれて、
しかも嫌々で、
無理させられちゃうと……
ね…………
……ということを、精神科医の先生の動画から思ったのでしたw
(冒頭)
エリートっていうのはいびつなんですね
いびつな存在なので、そこが、両親に自覚がないと
つい子供を傷つけるってことはよくあるかなと思います
「エリートはいびつな存在」
この考えしたことなかったけど、
ウワアアァァァ確かにーーー!!!!!
って、目からウロコが落ちて脳内で情報が繋がった感がありました
たしかに……!
子供を自然に伸び伸びさせてたらエリートみたいに成長する可能性なんてゼロだもんな
レール敷いて、枠に当てはめて、叩いて、伸ばして……
何か不自然に、とても不自然に“歪め”ないと、“まっすぐ”に正解だけを引き当てていくはずがない
「良い家柄とか高学歴とか教師 (要するにエリート) の子がグレる」
という話はちょいちょい聞くけれど、
それって優秀で品行方正な両親への反発・反抗とか
両親忙しくて構ってもらえなかったとかから来る
“感情”の問題でそうなるのかなと思ってたんですけど
いやそれも無関係ではないと思うんですけれども
実際には、
「親にとって当たり前の水準が、
子供にとって高すぎになってしまう」
という、
素質の問題でも、あるんですね……ッ!!
まじか…………
しかもコレの何がヤバいってアレですよ
親の水準とやらは多分、
「これくらいできてほしい」
という、理想(高水準)を満たさない不満じゃないんですよ
「なんでこんなことが分からないの?」
「この程度ができないはずはない」
という、最低ラインを満たさない不満になるんですよ
なんでかってーと
親が天才だから
努力の天才だから
(当ページで紹介した事件の被害者については、子供に対して押し付けたのは頭の中で膨らみ続けた理想と妄想であって、
ご自身が努力家であったわけではないと思いますが)
「まあ所詮 (自分の) 子供だし、こんなもんか」になることがない
「自分の子なのに、なんで、(自分みたいに) うまくいかない?」って
「どれだけ努力できるかも、遺伝が決める」
らしいことに、あまりピンと来ていなかったのですが……
積み重ねることってなんだかんだ
誰でもできるもの、できるはずのものみたいな意識で見てしまって
もちろんすごい努力に対して
『すごいなあ、追いつけないなあ』って尊敬を抱くことはあるんですけど
他分野の才能と違って
何をしているかは見えるじゃないですか、努力
他分野の天才だと『なんでそうなる!?』という飛躍がありますが……、
開始から結論へ至る道の間に謎のブラックボックス通っててワケワカランなことがありますが、
努力だと、見えるじゃないですか、通った道は
距離がどんなに長くても、道のりがどんなに険しくても、どういう道を通ったかは、分かるじゃないですか、一応
だからなんだかんだ、
「理解できる == 一応、誰でも、時間と根性があれば為せる」
ような気が、していたのですが……
だけどなんかこう……
エリート家庭の親子問題にイメージが繋がったことで一気に、
「努力の才能」というものが
理解できた気がしました……
やっぱ才能だわ
天才には敵わないわ
優位な形質というのも、あまり平均から外れると、
世代を追うごとに、平均へ収縮していくらしいんですよね。
(これも、上記精神科医の先生の動画から教わったと記憶しているのですが、どの動画かは失念してしまいました)
つまり、親御さんが優秀であればあるほど、高い地位へ上り詰めた人や自己制御をきちんとしてこられた方であればあるほど、
お子さんは親御さんの当たり前についていけない可能性が高まるのですね。
普通の人の努力水準を100パーセントだとして、
親御さんの努力水準が200パーセントだとして。
お子さんが120パーセントだとしたら、
親御さんは、「まだ子供だから」という手加減を考慮しても、それでも
150パーセントを求めてしまったり、するのでしょうね。
「子供は親と違う才能を持って生まれてくる」っていうのは、
なんかこの辺の影響もあるんでしょうね。
得意分野も苦手分野もズレる、というか……
エリートや努力の人という存在は、めっちゃカッコいいと思っています。
たくさん積み重ねてきたものが垣間見えるとか、姿勢も立ち居振る舞いも洗練されているとか、FF4のセシルとか、
好きですとも、ええw (突如ねじ込まれるゲーム話)
……セシルも息子くんに、無意識の無理強い、してたんかな……
彼自身はなあ、期待の苦しみとは無縁だったろうからなぁ……
だからってなんかさすがに息子君に反発されすぎでないかなというか
父親関係なく環境まるごとからその圧食らってたせいかもしれないけど
続編は冒頭しかやってないせいかもしれないけど
セシル殿が好きな者としては、見ていて結構かなしいのであった
でも、努力が当たり前とか、努力すればできるはずとか、
そういう風に考え(すぎ)たら、よくない結果につながりかねないんですね……。
「天才と秀才と凡人」の三つ巴でも思ったんですけど、
秀才から他への想いって、悪感情を向けるばかりなんですよね。
秀才同士でも、想像するにライバル関係……
と言えば聞こえがいいけど、
蹴落とし合いになりがちなんだろうしなあ。
努力を重ねすぎた、どこか無理をしていることによる恨みの念が、どうしても生じてしまうのだろうなと解釈しています。
もちろん、そうならない人もいますが…… (セシルとか)
あと、努力によって攻撃的になったのではなく、元々攻撃性高めの素質を持っていたのを努力に振り向けて発散してる場合とかね。
こういう書籍もあります。
誰だって、それこそ実際の犯罪者でも、
悪者扱いとかダメ人間扱いをされ続けたら、嫌ですよね。
……と思いながら、久しぶりに書籍の試し読み部分をパラパラしていたら
当ページの事件にも……当てはまり過ぎてて…………
もう、ね………… orz