器を超えた無理はしなくていいとおもう

 

内容に対しては『同意しかない』という結論でいいとして

私もまず女性の中身を計る前に外見(肩書や社会的地位含む)で足切りするようになってしまった。
(中略)
正当化しようと思えば幾らでも出来るだろうが、それでも「嫌な感じ」なのは拭えないだろう。

 

しょうがないとしか言いようがないよコレ……

もしも氣に病まれているのなら、
『氣にしない方がいいですよ』とコメントしたい。

間違いなく足切りされる女性だけど、そう思う。

だって物理的にムリですやん

たとえば一日5人とお話したいと願っていたとして、
10人とお話できるというポテンシャルを持っていたとして、

実際お話する相手が一日ゼロ人だったらさみしくてたまらないだろうから、
そんな中でポツポツ話しかけてくれる人が現れたら感謝感激雨あられになるのは当然も当然である

それが5人までなら楽しいだろうけれども
その人数を超えたらありがたみは薄れるだろうし、
10人を超えたら「むしろうざったい」という感想が湧くようになったとしても仕方がない

そういう感情が湧かなくても、
人が増えればいずれ「物理的に無理」の領域にも達しざるを得ないやろ

人にはきっとそんなふうに、
自分に抱えられる範囲……器というものがあって、

その器を超えると
単なるいい奴ではいられなくなってしまうんじゃないだろうか……

上司とか芸能人とか、
人の上に立ったり人目に触れる人は顕著だよね

現場の、下っ端の一員としてならいい人でいられても、
人の上(人前)へ立つことになるとどうしても、
至らない点が人目につかざるを得なくなる

自分が嫌な奴になることは氣分のいいものではないけど、
自分の器を広げても届かないほどに超えてしまった先では
自分が嫌な奴にならざるを得ないことを諦め(明らめ)、
それと付き合っていくということが
必要になるのだと思う。

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