7月の日記

7月11日 ザマァぷぎゃー & 星見未遂

昔少し関わった人の事をふと思い出して、
『近況はどうなんだろう』と氣になったから確認してみた。

わたしと関わりが無くなったあとで、結構痛い目を見る出来事があったらしい。
ざまああぁぁぁぁプギャアアァァァァ (おいこらw)

結構いろいろな人へ痛い目を見せている人で、わたしも見せられたうちの一人だったので
しっぺ返しがやってきたらしいことにプギャアアァァァァした (おいこらwww)

んで、それから間もなくしてすごく良い出会いをしたらしい。
えっ そんなことがあったの!!?そんなことが起こるほど高い状態に達してるんだ!?
プギャアアァァァァ (ヴーメラン自爆)

ええええぇぇぇぇすごいねえぇぇ良かったねえぇぇ
人に痛い目を見せまくっている一方で、それに負けないくらい尊敬も集めていたり、なにより頑張って来ている人だから、良い事があったなら良かったねえええぇぇぇとも素直に思ってしまうな……

その人がどうこうという想いよりも
発したものが返ってきてほしいという想いの方が強いから、
嫌な出来事にはザマァしちゃうし素敵な出来事には良かったね!しちゃうw

相手の人を羨みながら、自分にはそういうことが起こらない、低い状態から抜け出せる兆しもないことに劣等感もある。
悪いなりに、良い部分はすごく良いと思うんだけどなあ…… (´ε` )

……でも実際は、来てるんだろうな。
裏では幸運ばかりが起こっていて、わたしが氣付いていないだけという……

あと、なんだかんだ、転機や幸運って人からやってくるよね。
わたしは今、人との関わりをほぼ拒絶しているし、
もし最高の幸運を誰かが持ち込んでくれても、受け入れられないと思う。
だから入ってこないのだと。
あの人はなんだかんだ、「どん底」とか言ってても、周りにはいつも人がいて、拒絶することもないもんなぁ。

まっ しゃぁない。
わたしはわたしの良さと情けなさを引きずりながら、
やっていくしかないもんな。

そんな脱線をしながら日記を書いて、
星を見て眠りました。

 

7月12日 脳内叱り屋だいぶ減ったけどまだいる

ブログで借りているデザインテーマに変更があったので、反映の作業をした。
定期的にやってるけど、今回の更新は一部レイアウトが崩れてしまったので調査と修正をしなくちゃいけなくて、コードの読める日がなかなか来なくて長いこと放置していた。
ようやく対応できて、良かった。

作業をしていると、容易に時空を超えてしまう。
そして氣が付くと夜が更けていて、

「その生活態度はダメ、規則正しい生活をしましょう」

と医者の先生から注意を受ける場面を想像して、落ち込んでしまう。

報告しなけりゃいいんだけど、代わりに何を言ったらいいのか分からなくて、結局バカ正直に報告をして、たしなめられては凹んでしまう。
ホントバカなんだよな。

だけど、幸せに暮らすために通院してるはずなのに、
調子の良い報告をすると駄目出しされて、
逆にどん底へ落ち込んでいると優しくされる傾向があるので、
なんだかなあとは思っている。

さすがに「一日14時間ゲームしてる日々でした」はそりゃ叱られるよねと思えるけどw

DQビルダーズしてた時期) (でも心の中で、『生きていることがつらくない、生きていたいと曇りなく思える時間をせっかく見つけられたのになぁ』ってガッカリしてたw)

そこまで極端じゃないことでも、医学の正解に当てはめよう枠に押し込めようとされている、とても窮屈だと感じている。

そしてその正解からはずれた事を言うと、
先生が関係ないと判断することなら流されて無視されるし
関係があることなら

「そうじゃないんだよなー」
「あーそっち行っちゃったか~~~」
「矯正しなければ、黙らせなければ」

という、言葉にしていない思いと声に現れた不機嫌(または焦り)が飛んでくる。
氣がする。

ただの被害妄想であってほしい。
けど……

そりゃ、医学の正解に患者を導いていくのが医学なのだから、この対応は何らおかしくない。

けど、そんなお行儀の良い生き様ができるならとっくにやってるんだよ、自力では無理でも薬の力を借りればなんとかという希望は敵いそうにないんだよ(少なくとも今は)、
適応できないならできないなりにやっていける暮らしを見出していくことは、認められないのだろうか?

そう思うけど、そう主張したいのならやっていける暮らしとやらを早う自力で見い出せよ、っていう話なんよな……
特に、経済的に。
あと病院通うのもうやめなよ(または変えなよ)っていう。
人の力を借してもらっていながら文句をつけるだけなのは違うでしょ、
わたしの主張への理解や『もう少し寄り添った案内をしてほしい』という甘えを先生に押し付けるのは求めすぎでしょ、
っていう。

依存しながら文句つける自分も嫌だし
心情的にも能力的にも指示へ従えない自分も嫌だし
権威と不機嫌へ己の感情を明け渡してしまう自分も嫌だし
対処方法が分からない、やり過ごすことやごまかすことすらできない自分も嫌だし……

どうせやらないできないのだから、
厳しくするのやめてほしい……脳内……

そしてやめたい。

それでも割り切れないのは、
わたしには常識的な考えや感覚が分からないから。

自分に対してならゆるゆるでもいいし、実際そんな感じだけど
他人に対しては、何が相手を怒らせるか、悲しませるか、困らせるかが分かんないので
関わる際には自分の思った通りに振る舞ってはいけない、相手の生きる世界を見極めてその正しさに寄り添わなければいけない、
わたしの難点へ相手を巻き込んではいけない

そんな信じ込みが、なかなかしつこい。

その割には、振り回されてるだけで別にできてはいないんだけどさ。
どうせやらないできないのだから、
もうほんと……脳内……

わたしが話すたびにしんどいってことは先生にも同じくらいの負荷かかってると思うんだけど(だから声色が変わるわけだし)…… どうなんだろう。
繊細な感覚を理解できる人ではなさそうだから、全然氣にしてないかもしれんけど。
先生からわたしへは氣に病む程度には影響力あるけど逆はないだろうしな。

どちらにしても相性は悪い氣はしていつつ、わたしが平均から外れすぎてて (要するに“頭おかしい”から) 相性の良い医者なんていねーよ病院や医者を変えてもムダだよ探す氣力もないし みたいな諦めがある
世界のどこにもいないとまでは思わないけど、その人たぶん医者って立場じゃないんじゃないかなぁ……

なんで人間、人間の中で生きて行けるんじゃい。
しゅごいや。

7月13日 プログラマ見習い

昨日の更新作業のついでに、少しだけプログラムの改造をした。
人様のスクリプトを触るのは久しぶりだ。
出力文言を変えるだけだから、触ったというほどには触ってないけど。

でも、文言いじりは改造の基本であり、制作の入り口でもある。
初めてスクリプトに触った頃もここからだったなと思い出した。
またいつか、成長しなおしていけるのだろうか。

プログラムの覚え始めは、本当に簡単な文言変更や教本の写しで、
そこから既存のスクリプトで機能改造したり自分で最初から作っていくようになっていったような。

それでできた掲示板を、当時の友人がデバッグと称し軽く楽しそうに壊してくれて慌てたのもいい思い出だ。
悔しい思いも湧いたけれど、それを遥かに上回る楽しさと感謝があった。
自分が予想しない使い方も想定すること、デバッグを考えることはこのいたずらをきっかけに始めていったと思う。

……元氣かな。
他にも本当にお世話になって、ご迷惑もおかけしたから
いつかお礼とお詫びを、とは思いつつ……
そうこうしている間に貧窮生活に入ってしまって、
ずっと後回しになっている。

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