時間を忘れてブログ記事を書いて、完成したら深夜になってた。
窓の外には星空が広がっていて、よく見えた先日の七夕よりもさらによく見えたかもしれない。
とても眠いけれど、動けそうではある。
選挙行くために飲んだ薬もまだ体に残ってるみたいだし、行けるのでは……!
そう思って、久々の星見散歩へ赴くことにした。11ヶ月ぶり?
が、歩いている途中でひどい空腹状態を思い出して『まずったなあ』と後悔した。
体の不快感が尋常じゃない……ぐぬぬ。
着替えるまでは『食べてから行かなきゃ』って覚えてたのになぁ……
逆に、この不快感を使うことはできないんだろうか……
空腹や寒さによる不快感は、恐怖の身体反応にも似ている。
この身体反応を精神力で制御できたら、怖いものなしなんだけどなあ……
単純に良い氣分を保つという意味でもそうなんだけど、周りの不安や怒り、恐怖をもらいやすすぎるのをなんとかしたい……
暴れる人を前にしても、恐怖でパニックになっている人を前にしても恐慌に呑まれないような、座った肚を得たい。
精神だけなら大丈夫なんじゃないかなと思う。
災害や事件の映像を見て氣分の悪くなる人がいるらしいけど、自分にはそれはない。
人の動揺を誘うような内容でも、出来事であれば、ただの出来事として受け止めることができる。
(大量出血があるとちとキツいけど)
でも、その「動揺した人」が、画面越しでなく目の前にいると、ダメだ。
肉体のほうがどうしても、場の緊張と興奮に感化されすぎてしまう。
神経が過剰に高ぶって、そこから精神も乱されてしまって、自身を保つことができない。
人間誰しも、共感力のある分同調してしまうのは、当たり前のことではあるけれど……
いつでも肚の座った心身でいられれば、
その状態を逆に相手へ伝播させることも多分していけるので (切り替わりのきっかけとなる刺激を与える技術は必要になるだろうけど)、
っょぃんだけどなぁ……
暴れる人には、そうそう出会わないだろうけど……
自分の理想が自然暮らしにあることを考えれば、怯えた野生動物に出会う可能性は全然あるのだから、そういう力を会得したいのだが。
ということを何年も考えているけれど、
暴れる人や動物どころか
それよりもずっとラクであろう話の通じる人相手にすら、そもそも自分自身にすらできるようにならないのだから、己を情けなく感じる。
できない方が当たり前、超能力に近いと認識されるであろう技術だから、致し方ないんだけどさ……
一般から見て当たり前じゃない世界に住みたいのだから、一般の感覚を基準にしてるようじゃダメなんだよ。
だから“これぐらい”できるようになっておきたいのに。
はあ……
そんなことを考えながら、目的地である草原へと到着して、いつものように寝そべる。
着くまでにも着いてからも、体の不快感には振り回されっぱなしだった。
細胞のひとつひとつを落ち着かせようとするけど、全然だめ。
胃を中心にビッキビキな恐怖や不快感が全身を暴れ回る。
そもそも、細胞のひとつひとつすべてを意識するところから、わたしにはできていない……
意識ができれば、働きかけることもできるようになって、
状態を調節することもおそらく可能になると思うんだけど……
そうしたら、体調不良なんて無縁になるし、近視を治すなどのこともできるようになるのだろうし、なんならもう何歩か進んで瞬間移動も実現できたりするかもしれない。
超能力に (略) 一般から見て (略)
頭の中には、そんな無茶振りの劣等感と恐怖心が渦巻いている。
今日は怖い。
草原が怖い、虫が怖い、動物が怖い。
いつもだってそういったものたちへの警戒心は働くけど、今日は警戒心を超えて、恐怖心が尋常じゃない。
ずっと、「あちらから熊が来るぞ、腹を減らして氣が立ってるぞ、なぶり殺しで食われるのだ」ということを恐れてしまう。
「今年は熊の目撃が多いじゃないか。怖い、怖い」
去年はとんとなかった近所での目撃情報が、今月はほぼ毎日のペースで入ってくる。市街地でも目撃されている。
だから警戒を怠ってはいけないのは実際そうなんだけれど、目撃はすべて山林との隣接地で、わたしの移動範囲とはそれなりに離れているのだから、恐らくこちらまでは出て来ない。
距離的には余裕で移動できるので確実とは言えないけれど、確率的にはだいぶ低い。
と必死に自己説得するけど、全然だめ。
恐怖を理屈で説き伏せることはできない。
恐怖の感覚は、それも、頭ではなく体で感じている恐怖は、理性の管轄下にはないからだ。
なんなら今日は、熊だけでなくキツネも怖い。
「熊は来なくても、キツネが来ているのは何度も見ている」
「ただでさえ動かない体で、寝転がって無防備な姿勢で、襲いかかり放題」
「殺される、食われる」
そりゃ、キツネだって戦う力はあるし噛まれたら痛いだろうけど、集団で来ない限り人を殺せるほどではないと思うんだけど……
寄生虫の恐れがあるとはいえ。
とにかく、怖い。
もはや、草むらすら怖くなってきた。
草の変な汁で皮膚がかぶれるかもしれない。
潜んでいる毒虫が刺してくるかもしれない。
体を這い回られるだけでもおぞましい。
ああ怖い、怖い。
草に寝そべることが、氣持ち悪い。
衛生の問題は、それはある。
しかしいつでも、昼夜を問わずに寝そべっているではないか。
何を今更。
『…………』
今日は、ダメだな!!
全然、星どころではない。
細胞を鎮めて星に集中しようとするけど、全然ダメ。
体の内側にある恐怖にばかり意識が行ってしまって、外界を感じ取り、認識し、取り込むことができない。
ていうかいつの間にか空曇っとるやないかい。
星見えへんやないかい。
そんなことにも氣づかないくらい、恐怖でダメになっとるやんけ……
帰ろう。
動きにくい体でせっかくここまで来たのに悔しいけど、損切りだいじ……とほほ。
今日は窓から眺めよう。
すごすご帰って飲み物を一口摂ったら、恐怖感覚はスッと収まっていった。
窓からの星見は、空が狭いことを除いてたいへん快適であった。
ここが安全だからというのを差し引いても、ほんの少しの摂取でここまで違うとは……
悔しいなあ。
でもこれも良い経験だよね。
とほほほほ。