生誕30周年、節目の年でした。
わたしは、頑健ではないけれど病気や怪我とは縁がとおいです。
「自分はインフルにかからない、発症しない」と自信満々でいたので、とてもショックでした。
でも、納得もしました。
その頃のわたしは、毎日がつらくてつらくて、生命力が枯れていたから。
会社勤めをしていました。
朝、重たい目覚め。なんとか体を引きずって、5分遅刻で出社する。
でもこの時点で疲れきっていて、仕事に手をつけることができない。
資料も指示書も読むことができない。
日本語は理解できるのに、単語の意味はわかるのに、それを文章としてつなげて意味を受け取ることが、できない。
しかたがないから、単語を拾い、実際の内容ではなく想像で間を埋めて、「たぶんこういう依頼なんだろう」と予想をつけて、対応する。
イライラしながら。
目の前の仕事が理解できないこと、体の自由が効かないこと、何もかもが思い通りにならないことへ、攻撃的な気持ちになりながら。
あまりに集中できないから、興味のある分野でネットサーフィンをして勢いをつけようとするけれど、いつまで経っても集中できないから、毎日がネットサーフィンばかりになる。
さらには、疲労感と眠気に耐えられなくて、仮眠する。……タイムカードに記入できない、仮眠を補填するための残業時間が、日に日に増えていく。
終業の時間が訪れる頃には、座っていただけなのに心身がボロボロで、もう帰宅する余力すらあぶない。
仮眠分の残業すら、いつしかやめてしまった。タイムカードの休憩時間を長くつけることで、ごまかした。
日々の業務はなんとかこなしていたけれど、給料泥棒と呼ばれても否定できないこの態度。罪悪感が、募っていくばかり。
現場は多目に見てくれていたけど、いつお叱りが来るか、減給でもされるのではないかと、気が気ではなかった。時給だから、減給されるまでもなく、仮眠分の実入りは減っていくのだけれど。
でも本当に体がしんどいんだ。ごめん、がんばれない。今日は、早く帰って寝よう。明日。明日がんばろう。
どうせ明日も今日と同じなのにと分かっている自分に気付かないフリをして、
毎日、ただ、時間が過ぎていくのに耐えていました。
そんなある日、業務が1時間ほど早く片付きました。
まとまった余裕ができるのは久しぶりだったので、ずいぶんホッとしたものです。
でも
「手が空いたので、他にやる事はありませんか?」
その台詞を、投げかけることが、できませんでした。
わたしは、仕事が好きなひとです。
「責任がついてくるとはいえ、遊びの一環」みたいな意識でいます。仕事楽しいです。時間があまったらもっと仕事したいです。仕事そのものも面白いし、実力を伸ばして人に認めてもらえるのも、すごく嬉しいです。
でも、このとき会社での仕事は、わたしにとってつまらないものでした。はっきり言って、嫌いでした。
仕事人として言うべき台詞を言えなかったわたしは、
仕事人としてやってはならぬ、1時間のネットサーフィンをして、帰りました。
そして気づいてしまいました。
「嫌な仕事をがんばって早く終わらせると、余った時間で別の嫌な仕事をしなくてはならない」
「それなら、時間内でなるべく遅く仕事したほうが、仕事量を増やさずに済んで、トクじゃないか」
頭かかえた。
今までそういう人たちに、厳しい目を向けてきました。そういうの、すごくだめだって。お給料が出てるんだよ、って。お客さんが、お金を払ってくれてるんだよ、って。
だから自分だって、やりたくないのに。
そんな、見下げていた発想へ自分自身行き着いてしまったことが、心に重くのしかかりました。
そもそも、就業中のネットサーフィンだって、やりたくない。遅刻だって、したくない。…過剰な仮眠だって、取りたくない。
頭でどんなにそう考えても、現実では、身体がついてきませんでした。
休みたい。
次の連休はゴールデンウィークか。
まだ一ヶ月以上もある。
長すぎる。
でも、連休にたどり着いたら、その分の歳をとってるよね。この日常で。無為な、時間が過ぎていくのを耐えるだけの、日々で。
年齢にこだわりたくはないけれど、つまらない日々に若さを浪費していくのは、つらいな。
この現状維持な日々、どこまで続くんだろう。
生命活動を、止めないためだけの、人生。
食いはぐれないようにお金を稼ぎながら、連休を待つだけの、人生。
大した連休を過ごすわけでもないのに。連休が終わったら、また同じ苦役の日々を、繰り返すだけなのに?
いつまで続けられるだろう?
いつまで耐えられるのだろう?
耐えきれなくなったとき、どうなるのだろうか?
病気にならないかな。
でもそうなったら入院費、払えないだろうな。
借金は嫌だし、いつかは治らなきゃいけない。
治ったあと、私は社会に復帰できるんだろうか。
今の現場はもう嫌だな。かといって、新しい環境に飛び込んでも、どうせ同じ事の繰り返しになる気がするな。
記憶喪失になれたらラクだろうな……。
今までの事すべてを忘れたい。これからの事も、考えたくない。消えてしまえたらいいのに。
自殺は、周りに迷惑がかかるし、痛いのや苦しいのが嫌だから、嫌だな。
それに、あっさり逝ければいいけど、失敗して、後遺症でも残ったりしたら、それこそ行き詰まってしまう。
五体満足でも辛くて仕方のないわたしが、ハンデを背負って生き伸びる未来なんて、頭に思い浮かべるだけでつらい。
ぐるぐる
暗い可能性ばかり考えてしまって、でも考えるのがつらいから、ゲームに依存しました。
別世界で冒険している間は、現世の事を忘れられる。
クリアして現実に戻ってくると、すごい虚しさに襲われるから、間髪を入れず次のゲームにのめり込む。
時間が過ぎて、日付が変わり、夜更けすら終わりを告げ……明日もつらくなることが確定してしまう。
けれど、やめられない。
だって、寝たら明日が来てしまうから。また会社に行かなければならないから。
寝なくても明日は来る。そんなことはわかってる。けど、寝たら、今すぐ来てしまうから。
本当は、起きているならせめて、勉強するなり何かを創るなりして有意義に過ごしたかったのですが、帰宅した時点でエネルギーが尽きているので、受動的な活動しかできませんでした。ゲームか、漫画か、ネットサーフィンか。
焦るだけで何時間も何時間もだらだらと過ごし、苛立った気持ちが落ち着く頃には明け方近くて、朝がつらい……
その繰り返しでした。
なお、わたしのしんどさに反して、勤め先はすごくいい環境です。
横の人間関係が、まずいいです。嫌な人が1人もいませんでした。
縦の人間関係も相当いいです。上司が現人神です。
*1
参考記事:信仰の限界値は95%で!
仕事はできるし心配りもすごい。
福利厚生には結構予算をかけているようで、なおかつ総務担当者が優秀かつ思いやり深いために社内環境も整えられています。
よほどの事がない限りは定時で帰れますし、休日出勤もしていません。連休は、有休をつなげて大型連休にすることもできます。お給料も、不足なくいただいています。(残業代も、出ます)
……そんな好環境ですらやっていけない自分が、この先生きていける場所って、あるのか?
前はどうして、あんなに毎日が楽しかったんだろう?
階段を登るのが、つらくてしかたがない。
もう、自由に体を動かせる日々は、こないのだろうか?
仕事の資料どころか、好きだった本すら文字をまともに追いかけられない。手軽な内容の、ネット記事を読むのがやっとだ。
もう、思う存分に本を読める日々は、こないのだろうか?
机に向かっても、ただ座っているだけだ。だらけることしかできない。
もう、好きなものを好きなだけ作れる日々は、こないのだろうか?
もう、幸せだと思える日々は、こないのだろうか?
未来に希望が見えない。
ラクになりたい。
そのためには、もっともっと、がんばらないと、いけないの?
いや……そもそも、がんばったら、ラクになれるの?
がんばらないとだめだけど、がんばるだけつらくなる、んじゃないの?
ああ、今日も頭がぼんやりする。しんどい……
てか、なんか 熱い?
「熱が出てたら嬉しいな、だって早く帰る口実にできるから」と思いながら会社の体温計を借りると、39度が出ました。
嬉しいというか、「ああ、これで、帰れる……」と力が抜けました。「熱が出てるから、ぼんやりしてても、いいよね……」と自分に言い訳しながら、周りへ適当に報告して、会社をあとにしました。
フラフラしながらこれまた適当に食糧を買い込んで、帰宅。ベッドに手足を投げ出したときの、心地よかったことと言ったら!
体の隅々まで流れている血液を感じました。
全身の細胞が生命力で燃え上がっているのが伝わってきました。
普段冷えていた手足もぽかぽか温かいです。
ああ……疲労感しか感じなくなったこの体に、これだけの体温を生み出す力が、一体どこに残っていたというのか……。
私の体は、いざというときちゃんとがんばってくれるんだなあ。
というか、こうやって自分の体をじっくり意識したのって、いつが最後だったろう。最近はもう、「あれしなきゃ」「これしなきゃ」「次は……」「それから……」って追い立てられるばかりで、自分の体の状況がどうなのかなんて一切考えてなかったな……
その晩は、寝て、ちょっと目覚めて、水分補給してトイレ行って、を繰り返しました。
翌朝の目覚めはとても良かった。
休日も気持ちは追い立てられていたので、こんなに落ち着いて寝たのは久しぶりでした。
基本病院へ行かずに寝て治す人なのですが、このときはちゃんと行ってきました。だってすごい熱でしたから。もしかしたらインフルエンザかもしれないではないですか。インフルエンザだったら、今日も明日も会社を休めるではないですか!
先生に「違うと思いますけどね~」と言われながら、無理に検査をお願いしたところ。
結果は陽性。
いやっほおおおぉぉぉぉ出勤停止!!
心配してくれる周りをよそに、当の私は
「やったぁ連休やで!!!!」って気持ちでいっぱいに……!
一晩休んで病状も良くなってたので、
元気なのに! 合法的に!! 連休!!! とまぁ
学級閉鎖に大喜びな小学生ダンスィのごとく舞い上がりましたよ…!
てか何。
えっ何この安心感 幸福感 多幸感
なんか今めちゃくちゃ幸せなんですけど……?
あれ……? 不安が一切ないんですけど……?
いいのこんなに安心してて!!? 未来も現状も全く変わってないよ!! 連休が明ければまた、苦行の日々だよぉ!
あああ頭で分かってるけど不安になれないー!! あーーー!!
不安って、体調不良から来るものも結構あるんでしょうね。(そして不安のために睡眠が浅くなって、負のスパイラル)
どうも、発熱と水分補給 (及び排泄)、そして明日を心配せずに思う存分睡眠を取れたことが、私の体調を劇的に改善させたようです。心からの休息ってだいじだなー!!
ホコホコ幸せ感に浸りながら
ものすごく久しぶりに絵を描きつつ (※もう寝てる気ゼロ)、わたしは思ったのでした……
「インフルエンザって、案外大したことないんだな……
いや大したことなくはない。つらかった。
普段と同じくらい」
病状より、普段と変わらないじゃんってトコが衝撃でした……
周りの人たちが「39度やばい」って心配してくれたけど、
熱が出ていないだけで、普段そんな辛い状態で過ごしてんのか……私……
上記が衝撃すぎて、
仕事に復帰してからはいろいろ吹っ切りました。
まず、いっそ泥棒に徹する事にしました。
ネットサーフィンざっぶざぶにやってます。
「言われた課題は期限までに終わらせてるし、なぜか褒められるし、なぜか怒られないからいいんじゃね? 怒られるまで自由にやってやらー!! 怒られてから考える!!」
と思ったまま1年が経っています。ヒイィ
いや決して胸を張ってドヤァできることじゃないですよもちろん
バレてのクビは覚悟してます。
『それはそれで、きっと幸せコースだよ……合わない仕事と離れられるんだから……』
と、思ってます……。
思ってるんだけど気持ち悪いぐらい褒められるし気持ち悪いぐらい怒られないです。多分気づかれてる上でです。なぜだ
更には、ただでさえ↑の態度なのにド厚かましく勤務や業務内容に関していろいろお願いしました。こちらも気持ち悪いぐらい通してもらえて却って気持ち悪く思っていますが、ありがたくたまわりますグヘヘしてます(下衆い感じで)
※余談ですが、会社の人は何人かこのサイトのURL知ってます。こんな記事書くとか正気の沙汰じゃないよね!
そんな感じで、罪悪感やめるようにしたためか今は超元気です!
インフルちょっと前に受けた健康診断の結果がインフルちょっと後に届きまして、心電図異常が出てて、「ちょwww心臓wwwやばいwwwwしぬのwwww」となったりもしましたが (結果表にもネット上にも「改善させる方法は不明だから経過見」って情報しかなかった)、今年の結果では無事に引っ込んでましたし!
いやーストレスはホント、万病の元ッスね!ダヨネー!!
インフルー?
プギャーッファッファッファッかっからないかからない
(ヾノ-∀-`)ナイナイ!!
メンタルの方は正直自信ないですけどね! 情緒は不安定です!
でもセルフケアも覚えたしなんとかなるんじゃね!!
なんか、なんとかなる気しかしない!
セルフケアに加えて、1年前と確実にちがう点が2つあるので、日常がしんどいレベルの憂鬱さにはもうならないんじゃないかなーと楽観視してます。
確実にちがう2点 とは、
- 「人生の喜びを追いかける覚悟を決めた」のと
- 「助けを求められる他者が格段に増えた」ことです。
「人生の喜びを追いかける覚悟を決めた」について
この記事の最初で述べた精神状態って、もはやウツでしたが。
(「文字が読めない」とか「寝るのがもったいない、翌日が怖い」ってうつ状態の症状にあるらしいです/うつ“病”と言えるかまでは断言できない)
うつ病の原因をシンプルに述べると「自尊心の欠如」です。
そこからいろいろ派生して「自分が自分であることを、自分に許せない状態」と表現することもできます。
でも私はもう、「自分が自分であること」を、認めることにしたので。
判断基準はすべて、「楽しいか」「嬉しいか」「充実するか」「罪悪感を刺激されないか」。
総じて、「良い気分になれるか」。
今まで歩いてきた、ズレた道のすべてを即手放すことはできないし、これからも望まぬ選択が0%になるわけではないでしょうが。今自分が何を感じて何を望んでいるのか、常に意識していこう、少しずつでもいいから従っていこう、と決めました。
「助けを求められる他者が格段に増えた」について
これ、正確には、「他者へ助けを求められる自分になった」です。
「助けてくれる人が増えた」ほうが、じつは、おまけ。
もともと話を聞いてくれる相手には恵まれていたのですが、遠慮したり「こんな事言えない」って恐怖心があったり、こんな厚かましい要求言うだけ無駄……みたいな諦観がありました。
もうそういうの、捨てることにしました!
迷惑かもって遠慮するんじゃなくて、持ちかけるときに断りやすくするって努力にする!
仕事で困ったら現場の人たち、アドバイスが欲しい時はあの人、気持ちが落ち込んだときはこの人、人生の道に迷ったらあの人で体の調子が崩れかけたらその人……!!
自分の手に負えない困りごと別に、「こういう時はこの人を頼る」という地図が私の中にできてきました。私の不足を埋めてくれる人たちを、私の人生に配置するというか。
まだ空いてるポジションもありますが、今まで「困ったときどうしようもない、だから怖い」と諦めて恐れる以外できなかったのが、「ホントに必要になったら現れてくれるだろう、私にはその人を探す力も助けを求める力もある」と思えるようになったためか、かなり気がラクになりました。
それにしても恵まれてるな……という感想しか出ませんな……
同じように困っている人の参考になればなーという思いも含めて書いているのですが、「こんな恵まれてる事例参考にならないwww」と笑ってしまいます。