贈り物 [2/2] 最後には心しかないのかもしれない

わたしの生家では兄と両親のほか、父方の祖父母が同居していました。

祖父はわたしが成人して間もない頃に亡くなり、
仲の良かった祖母も半年後、後を追うように旅立っていきました。

その頃のことは、あまり知りません。

同じ家屋の中に住んではいましたが、
学校や仕事、そして趣味など自分の生活にかかりきりで、何年もほぼ没交渉の状態でした。

祖父が亡くなったときにそのことを少し後悔し、
せめて祖母とはもう少し近い距離にいよう……

と思いつつ、結局自分のことばかりで
実行してはいなかったのですが……

なぜだったっけ、と考えてみるのですがサッパリ思い出せません。
その頃には祖母は入院していて、自宅にいなかったのかもしれません。

(お見舞いに行くという発想はなかった……)

だけど何よりも、祖母が亡くなることを考えられなかったのかもしれないです。

わたしから祖母の印象は、
勝ち氣でいつでもチャキチャキしていて
「あんたと駆けっこしたらアタシが勝つんだからね!」が口癖な
小学生のわたしよりも元氣いっぱいな姿しかなかったので。

 

ある日、祖母が退院してくるという話になりました。

わたしは

『それはいいね、病院だと自由がないけど
家に帰ってくるなら好きなもの食べたりもできるね!』

と何氣なく言いました。

それを聞いた父は、
苦く弱々しい声で

「それは、無理じゃねえかな……」

とこぼしました。

なんで?せっかくなのに

とは思いましたが、
深く追求することもないまま
退院の当日はやってきました。

祖母と共にレンタルの介護用ベッドが運び込まれ、
布団育ちのわたしはベッドが自宅に設置されているという見慣れない光景へゆるくテンションが上がっていましたw

一通り落ち着き、両親も去ろうとしたところで、
わたしは祖母のそばにいようと、ベッドの隣に椅子を持ち込みました。

父には「なんでいるんだよ」と聞かれましたが、
『なんとなく』とだけ答えておきました。

そして誰もいなくなり、祖母と二人きりです。

何か会話をするわけでもなく、ただなんとなく、時間と空間を共有していました。
(暇なので本を読んでいました)

しばらくして、祖母がうめき始めました。
何か伝えたいようなのですが、言葉になっておらず、聞き取ることができません。

『どうしたの?』と何度も尋ねながら、
頭の中は『どうしよう』でいっぱいで、

『こんなに喋りづらそう苦しそうなのに何度も言い直させてしまってどうしよう、
でも何言ってるか分からない、どうしよう、どうしよう、
父さんを呼んだ方がいいかな、でも目を離したことで何かあったら!?
だからってここにいても何もできない、どうしよう!!』

……と、
混乱するばかりでした。

その状態でいたのが30秒くらいだったのか、それとも5分くらいだったのかは分かりません。
ようやく理解できたのは「ティッシュ」「口」でした。

何も考えず慌てたまま、そばにあったティッシュを取って口へ持っていきました。
途端に、祖母はゴボゴボと痰を吐き出し始めました。

要は、これを吐き出せなくて氣持ち悪かったのだと思います。

今思えば大したことではないのですが、
当時はいきなりのことだったので驚きました。

そして、情けないことですが……

その時の心境を正直に書きますと、
氣持ち悪いと思ってしまいました。

そして、大好きだった祖母が
得体の知れない化物になってしまったかのような恐怖を感じました。

祖母の口元を拭い終わったわたしは、この怖さにどうしても耐えきれなくなってしまって、
自分の部屋へと逃げ帰りました。

いきなりの痰に面食らったのもそうなのですが、
でも、それ以上に、
祖母がそんな状態になってしまっていたのが怖かった。

祖母は自立心旺盛で、強い人で、
「痰を拭いてくれ」なんて誰かに頼む人ではなかった。

それが、あんな普通に頼むようになってて、それどころかまともに声すら出なくて、
ジェスチャーしようにも手だって動かず……

わたしの知ってる祖母は
「かけっこしたらアタシが勝つ!」って堂々と啖呵を切ってくる人なんですよ!
夏はよくプールに連れて行ってくれて自分も泳いでたし、
自分に厳しくてわたしにも「アンタそんなんじゃ情けないよ!」みたいなダメ出しをバシバシ飛ばしてくるし、
働き者で、体を動かしていないと落ち着かなく……

…………。

父の言った

「それは、無理じゃねえかな……」

の意味が、
痛いほどよく分かりました。

人間は、あんなふうに弱っていくのだと。

あんなにも弱ってしまうものなのだと。

父は、まめにお世話をしていたから、
ここまでずっと、その様子を、見てきたんですね。

 

後年、たまに、

病院でご老人が亡くなられると
ご遺族が「医療ミスじゃないのか!」と
怒鳴り込んでくることがある……

そんな話を聞くようになりました。

「あんなに元氣な人が、そんなあっさり死ぬわけない」とのお怒りなのだそうです。

しかしこれを言うのは決まって“お見舞いに来なかった人”で……

お見舞いへ訪れたり、ご自身で介護をされたりで
亡くなられるまでの様子を見ていた人は、「ありがとうございました」と丁重なお礼を述べていかれるのだそうです。

どちらの氣持ちも分かります。

わたしも、あの短い時間がなければ、
怒鳴り込む遺族のような認識でいたことでしょう。

苦情は入れないにしても、
「あんな元氣な人が」死に至るほど弱る様子を、想像することも信じることもできなかったと断言できます。

だから、『好きな食べものを』なんて
“無神経”な発言を、できたのです。

目の当たりにしたら……

もう、あんな、無理じゃないか。

もう、あんな、
医療の手が届くわけないじゃないかと。

苦情だなんてとんでもない。
そんなの、現実を知っていたら言えるわけがないじゃないかと。

身をもって知りました。

 

この体験から得たことを受け止めて整理するには、しばらくの時間が必要で……

それは、祖母の存命中には叶いませんでした。

それ以降顔を合わせることはなく、
帰宅から3日ほどの時間が経った頃
祖母の容態は急変し、
救急車に乗せられる様子を見送ったのが
今生の別れとなりました。

あのとき抱いてしまった恐怖心や
逃げてしまった後悔と折り合いをつける傍らで頭をよぎるのは、

『あの状態になった人間を喜ばせたいと思ったところで、
もはや何をしてあげられるのだろうか?』

ということでした。

旅行が好きでも連れていけるわけがない、
本を読もうにも目はロクに見えず、
耳だって同じようなもので……

好物を食べることも、もうできない。

こうなってしまったら、
「一緒にいて、手を握っている」くらいしか、
できることはないのではないか。

そして、本当はそれこそが、
一番の贈り物なのではないか?

そんなふうに、思うようになりました。

話の結びをなんとしたらいいのか分からないので
半端ですが、終わります。

 

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祖母はそれなりには枯れるように逝けたと思います。
大切な人とほぼ同時期に逝けたのも、良かったと思います。

だからこそ、
わたしの振る舞いが、傷つけることになっていないことを願うばかりなのですが……

いや、たぶん、ばあちゃんは、悪く思ってないんだ。
ないから、わたしの心の整理がつかないという話なんだけど…………

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