宇宙の叡智は、無知の知を照らされる瞬間を待っている

親子関係に大きな進展があった日の夜のことです。

あの、えと、ポエムになってしまったですww

 


 

寝る前に少しだけ、星を眺めようと思った

すがすがしい氣持ちで、自分と、家族と、友達の幸せを願った

そのほとんどが、星の見えない空の下にいる

 

まっすぐな、まじりけのない想いを星の輝きに向けると
その想いの実現を星たちが手伝ってくれるという

だから大切な人たちの幸せを願おう
星が見えないみんなの分を、
まじりけのない感性を忘れてしまったみんなの分を、
わたしがここから届けよう

 

ふと、
星の見えない地にいる父が
「手紙の答えは何だったんだ」と問いかけてきた

その手紙は、10年ほど前、
わたしが両親の理解を得たい願い、得られない苦しみの中でしたためたものだった

中には3つの問いが書かれている

両親が自力で正解へ辿りつくことは絶対にないだろうけれど、
いつか必要としてくれたときに渡してもらえるよう兄へ託していて、
今日この日に、ようやく出番がやってきたのだった。

 

わたしは

『もう必要ない答えだよ、
脳の負担が増えるだけだ
もっと大きな答えを知ったのだし、
それに今日、答えは変わっちゃったから』と返した

 


 

2つ目の問い、
「わたしが父に言われて1番嬉しかったことは何か」。

 

その答えは、
「(俺は)お前のこと、何も知らないんだな……」
だった。

 

中学3年のとき、
仲の良い3人を除いたクラスの女子から無視に近い扱いを受けていた。
中心人物の2人からは、面と向かって毒づかれることもあった。

日々、好意的ではない目線を向けられて
学校という場所がすっかり怖くなってしまったわたしは、
高校への進学をしたくないと思うようになった。

かといって、就職先を見繕っているわけでもない。
それなのに、中卒で終わりにするのもバツが悪かった。

せめてということで夜学を選んだわたしを、周りの大人たちはなんとか全日制の高校へ通わせようと説得してきた。
成績は良い方だったから。

父ももちろん、同じ行動をとった。

 

質問の答えは、そのためのご機嫌取りが上手くいかなかった末の言葉だった。

「(全日制へ行くことにすれば)寿司とってやるぞ」という投げかけに

『わたしは生魚が嫌いで寿司を食べられない』と返した際につぶやいていた。

 

「お前のこと、何も知らないんだな」

 

こんなに理解のある言葉を初めて聞いた。

わたしは、父がこの思いに至ってくれたことが、的はずれなご機嫌取りたちよりもずっと、嬉しかった。

 

それから20年が経った、今日……

 

わたしの子供時代の記憶をすこし共有された父は、その場で泣き出したらしい。
すべて兄に任せていたから、わたしは現場を見ていないのだけど。

兄の報告によると、

短い時間ではあったが脇目も振らずに嗚咽を上げて泣いていた

そうだ。

年老いたとはいえ、
空手柔道経験者で、
毎日筋トレを欠かさない、
マッチョな男が。

そんな状況に全く気づけなかったことを嘆いて、気付くことができなくて、なんとわるいことをしてしまったのかと。

 

わたしは……

 

受け止めるのが大変な、つらい情報を共有して申し訳ないという氣持ちもあったけれど。

父がこの思いに至ってくれたことが、
的外れな思いやりたちよりも、ずっと、嬉しかった。

 

だから今日、
「父さんから言われて1番嬉しかった言葉」の答えが、
変わってしまった。

いや……
加わった、かな。

 

変わった (加わった) けど、
ふたつを見比べたらどちらも同じじゃないかということに氣がついて、
すこし笑ってしまった。

 

そんなふうに、
星に想いを送りながら、
心に浮かんだ父と対話をして、
手紙の答えを、胸にしまった。

 


 

ポエム終わり。

 

……で、ええと、
目的は自分語りではなくてですね。

(父さんは完全にただの巻き添えです いい話からそんなんで申し訳ない)

(ストーリーと共に語った方が分かりやすくなること、あるやん…………)

 

「無知の知」は、何よりも知ることが難しいとされています。

 

わたしは、両親からの理解を渇望していました。

 

でも実際は、
「何も理解できていない」ことを氣づいてもらっただけで、すさまじく心が救われました。
真に理解されるところへは至っていないのに。

 

新旧のその思い出を重ねて観察しながら、

『宇宙の叡智は、
無知の知を意識の光で照らされた瞬間、
大きく喜ぶのかもしれない』

と直感しました。

 

わたしの感じた嬉しさは、
宇宙の叡智と同じものだったんじゃないかな って。

彼ら(?)のまだ発見されていない部分たちは、
人の知性に理解されるのを待っていて、
見つけられるのを待っていて、

見つけてもらった瞬間、こういう氣持ちになるんじゃないかなあ って。

 

いや、人間の感情で測れるものでも、擬人化できるものでもないと思うのですがw

そういうものに共感できた (かもしれない) のが、
とても嬉しかったのでした。

 

この直感も、星々がもたらしてくれたのかな?
ありがとうね。

 

父さんもね。
ありがとうね。

 

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「何も理解できていない」ことを氣づいてもらっただけで、すさまじく心が救われました。
真に理解されるところへは至っていないのに。

 

△「ちゃんと聞いてないでしょ」
◎「ちゃんと理解してないでしょ」
【パターンA】 【パターンB】 さてこの会話、相手の話を聞いてるのはどっちですかね!どう見ても【パターンA】のほうが相手の話を聞く姿勢あるよね。いやでも【パターンB】も3文字は聞いてるし でも、この例で「ちゃんと話を聞いて!」と怒られるのは...

いい話からこんなんで申し訳ない

(なんでここで謝るのかは
リンク先を見ればわかる)

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