△「ちゃんと聞いてないでしょ」
◎「ちゃんと理解してないでしょ」

【パターンA】
あのねそれでこれでねそれでね
ふんふん
ちゃんと聞いてる?
聞いてるよ
じゃあ今何の話してた?
○○でしょ
(イラッ)
やっぱり聞いてない!!
(ムカッ)
そんな言い方ってないんじゃない?

 

【パターンB】
某兄
あのさ
某妹
なんだよ
某妹
あぁ
某妹
またなんか無駄遣いしようとしとるんね
某妹
別に私へ断りを入れる必要はまったくないんだけれども
勢いで買っちゃって後悔したら嫌だし
後でバレたときにネチネチ言われるのも嫌だから
先手必勝しておこうってことだね?
某妹
で、何を買うの
某妹
むしろもう買っちゃったの?
某兄
うわああぁぁぁぁ!!

 


 

さてこの会話、相手の話を聞いてるのはどっちですかね!
どう見ても【パターンA】のほうが相手の話を聞く姿勢あるよね。
いやでも【パターンB】も3文字は聞いてるし

でも、この例で「ちゃんと話を聞いて!」と怒られるのは【パターンA】だけです。
【パターンB】は、聞いていないのにも関わらず「話を聞いてくれない!」と怒られることはありません。
「おれのこころをよむなあぁぁぁぁ」とは言われる

でも、【パターンB】でも、聞き手の見立てが間違っていた場合には「そうじゃない!ちゃんと聞いて!」と言われます。
合ってるときには何も言われない、とても分かりやすい

 

ここから分かるのは、

「聞いて」という言葉が
「理解してほしい」という意味で使われている、ということです。

 

だから、もし「ちゃんと聞いてる」を
「話し手の発声を耳に入れている」
「話し手が喋った“言語の意味”を理解している」という意味で使っているなら、

話し手の目的と合致していない、意図を汲んでいないから、
話し手が不満(→怒る) になってしまうのですね。

(でもその不満を投げかけると、
「ちゃんと聞いてるのに」という不満(怒り)が返ってくるわけです。
この聞き手は最善を尽くしており、しかし“ちゃんと”にはなっていない、という自覚がないので)

 

なんか説明が下手すぎて何を言いたいのかよく分からんくなってるけど
要するにアレ

地味に見かけるんだ
話し手も聞き手も相手を分からず屋だと思ってすれ違ってる場面。

(にも関わらず、
「自分の言い分を相手は理解している」
「相手は自分の言い分を理解できるはずだ」という前提があって
ますます混乱していくというか……

 自分にとって当たり前のことを、
相手は本当に分かっていないのだ(分かることができないのだ)ということは、
本当~に分からないんですよね。

 「こんな当たり前のこと」だぞ!?
なのになんで大事にしないんだ、“分からず屋”め!!
って流れなんだけど、
(頭の中で言語化・意識はされていないんだけど)、

 そう、「分からず屋」なんだよ、
相手は本当に分かっていないからそこを大切にできないんだよ……)

 

こういったすれ違いが起こるのは、土台となる知識や価値観、好奇心の持ち方や感性やらあらゆる要素の違いに左右されるから、難しいんだけど……

 

聞き手の人が「理解しよう」という気持ちを持ってくれたら嬉しいなあと、個人的には思います。
言葉じゃなくて、相手の話したかった内容への理解な……!
“意図”な!!

それが現時点で持ったことのない視点だった場合、
とても難しい……というか、実質不可能なんだけれど……!

 

けど一方で、話し手の人も
「聞いてほしい」ではなく「伝えたい」という気持ちと意思をもって、
表現を試行錯誤してみたり、伝えたいことの核心を言えているか振り返ってみたり、相手が何を土台として人の話を聞いているのかよく思いやってくれたら、
同じく嬉しいです。

「聞いてほしい (理解してほしい)」というのは依存・相手任せの姿勢なのだな。
「伝えたい」は自立・主体性のある姿勢なのだな。

 

「聞いてるんだから感謝されて当たり前」
「話したことは理解されて当たり前」というところから、双方歩み寄っていけたらいいよなあ、というお話でした。

(あまりにも価値観や感性が違う場合には、無理をしないのも大事ですけどね。
また、ときには、
まだ“伝えたい”まで明確ではないゴチャゴチャした想いを“聞いてほしい”のも、とても大切なことだと思います)

 

お互いに話を聞いてもらいまくって「あのさ」3文字からすべてを理解し合えるようになったらその関係は素敵ですね

って〆ようとしたけど全然そうでもなくね?と思い直したのでなんでもないです

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