善意でいるには、強い意志が必要だ。
だが、強い意志は強い者しか持つことができない。
弱いやつには強い意志がないから、
善意を選び続けることができない。
幸せな世の中だったらこんな考えはしなくていい。
だが、今の世の中は普通にしていたら
あまり幸せを感じられないようになっている。
その中で、弱いやつはすぐ悪心に流されてしまうのだから、
弱いやつを信用しすぎるな。
上記は、靈媒師の先輩が
ある靈から受けていた忠告です。
先輩は、善意的というか、
いつも関わった人を信じきろうとします。
そして、弱いひとは特に守ろうとします。
その結果、守ろうとした“弱いやつ”に
背中から撃たれているのを、何度か目撃しました。
(“弱いひと”たちは、先輩に依存して、
都合よく扱ったり罵ったり、先輩が自分の思い通りにならないことへ文句を言いつらねたりするようになるのです)
そのあたりを見てきたわたしとしては、
とても重要な情報だなあと、思い返すたびに噛みしめてしまいますね……
まあね、ただね、
「どうしても信じたい」という想いは
先輩の長所であると同時に、弱さでもあるんですよね。
相手に良くする、信じきるという選択を
「流されず強い意思で自ら選んでいる」とも言えるんだけど、
「その考えにどうしようもなく流されて這い出せない」とも言えるのです。
わたしから見て先輩のこの部分は、
『そりゃぁ、そういう人たちに
そういう接し方をしたら、
そういう扱いが返ってくるよ……
適切な言動をできていないよ』
という感想でしたが……
そう思う一方で、
でもそれ以外の選択をできないんだもんねえ、
先輩は……
ということも、分かります。
一般的に良いとされることや、善意からの判断は、
意志でもって選んでいる強さなのか、
流されているだけの弱さなのか、
判断の難しいことがありますね。
だから、
わたし自身も先輩を見ながら見出しの件はよく思ったのですが、
あまり強く言う気にはなれ……
ないと一瞬おもったけどゴメンそうでもなかったわ。
めちゃむちゃ苦情入れまくってたわ
文句言いつらねてたわ……!
先輩はこんなわたしの文句すらもおだやかに聞いてくれます。
懐の内で大荒れしていく“弱いひと”たちにあまり構いすぎないでほしいと思う一方で、
その懐の広さ、深さのおかげでわたしの弱さも許されてのびのびしていられるんだよなあと思うと歯がゆいかぎりです。
まあ、なんだ。
わたし自身も、善意とまで表現できるかは分からないけど
悪意に流されないくらいの強さは持ちたいと、この話を聞いて思ったのでした。
ただ、強くなっても文句は言いつらねる気しかしないんだよな……!
(そしてその後、わたしも背中から撃つ側に回ってしまったという……
HAHA HA…)