努力がバカバカしく思えたら

努力をバカにするような風潮 っていうのがあって……
「なに頑張っちゃってんの?」的な。
若いうち……
学生のころは特に、この考え方に影響を受けやすいと思う。

わたしはコレ、言われたら悲しいけど、
一方でわたし自身も、例えば運動会とかは
「バカバカしい。頑張りたいやつの気が知れない」
って思うんだよね。

だから、自分が言われるのが嫌で
人にも言いたくない、思いたくない のに、
でも思ってしまう っていう矛盾が苦しい。

どうしてこんな風潮ができてしまったんだろう。



答えは簡単なことだ。

努力というものは本来、バカバカしいものだからだよ。

バカバカしいものだから、バカにしたくなるんだ。

『!!?!?
その言い分はすごく……!
反感を買うんじゃないかな……!!』

あなたたちはあまりにも、余計なことをさせられている。

好きでもなく、得意でもない、
興味すらないことばかりをさせられている。

物心つかないうちから
自分にとって価値のないことを大事にするように言われ、
わけのわからないまま従わされている。

そんなことに労力を傾けるのは
バカバカしいと思わないかい?

『それはおもう』

だから、
「努力するなんてバカバカしい」
「頑張っちゃって、かっこ悪い」のように
思っても当たり前なんだよ。

本当は、この思いと丁寧に向き合っていくと

「(自分の望みでないことを) 努力するなんてバカバカしい」

「(あれは自分がやるべきことではないから、) 頑張っている人がかっこ悪く見える」

という内容にたどり着くんだ。

自分のやるべきことをほっぽりだして、
自分にとってどうでもいいことへ労力を割くのは、実際、バカバカしいしかっこ悪いことだと言えるんだよ。

だけど、このような自覚を持つには
ある程度の内省が必要になる。

だがあなたたちは、教育の過程で
“反省”しなさいとは叩き込まれるが
“内省”に関しては存在すらまともに教えられない。

だから、本当にたどり着くべき答えに
たどり着くことが困難なんだよ。

特に後者の方は、投影が絡むから厄介だね。
「自分がやったらかっこ悪い」って話なのに、
相手をかっこ悪い扱いしているだろう?

がんばっている相手に自分を重ね合わせて、
あれは自分のやるべきことではないと気づきながら、
「あの人はかっこ悪い」と、相手の問題にしている。

やるべきでないのは自分であって、
相手は、「自分のやるべきこと」を全うしているかもしれないのに。

あなた達は言葉による思考の支配が強力だから、
一度このような考えに囚われてしまうと

「努力はバカバカしいし
頑張ることはかっこ悪い」と

刷り込まれ、刻み込まれてしまうんだ。

本当に問題なのは、努力や頑張りそのものではなく
「それを自分にとって大切な事へ向けているか」
なのに。

しかし気がつかないまま
努力や頑張りそのものを否定するから、
自分にとって大切なことにすら、力を割くのをやめてしまったりするね。

しかし、なぜこんなふうに投影で目が曇るかといえば、
無理させられているからなんだよ。

自分のやるべきでないことを、
「お前もやらなければいけない」と無理強いされるから
そこに歪みが生じるんだ。

やるべき……

“べき”という表現はやめようか、
あなたたちにとって受け入れやすく理解しやすい表現には違いないけど、
歪みを助長するから。

やりたくないことはやらない、
やりたいことをやる。

これを選択できている人なら、
バカバカしいのは努力そのものではなく
自分の大切でないことへ力を割いていることだというのがわかる。
感覚的に分かるようになる。

だから、自分にとって大切でないことへ力を割くことはないし、
自分にとってどうでも良いことへ誰かが労力を注いでいたとしても
理解を示し、応援を贈ることができる。
それがその人にとって、大切なことであるうちは。

努力そのものをバカバカしいと扱う者たちはこの限りではない。

彼らは惑わされ、迷い、苦しみ、
しかし自分がその状態にあることを気づけないでいる。

彼らは嫌なことへ反発しつつも、
嫌なことと距離を取れず癒着に苦しんでいる。
離れる方法が分からず、そもそも離れるという選択肢が頭に浮かばない。
そしてますます癒着も反発も深まり、その葛藤に自身が引き裂かれる苦しみも深まっていく。

若い人ほど影響されやすいのは、
経験の少なさや柔軟性の豊かさももちろんあるけど

それ以上に
「若い人ほど無理を強いられているから」だよ。

時間や服装や何もかもを指示され、押し込められる。
その枠を外れると、不快な思いをさせられる。

枠を外れても大丈夫な場所が世界に存在することは知らされず、
枠の中で生きられない者は落ちこぼれと思い込むよう誘導される。

この中で様々に恐怖心が育ち、
罪悪感が育ち、恨みが募っていく。

努力への否定は恨みのあらわれのひとつなんだよ。
遠回りした、否定や無理強いへの復讐心なんだ。

 

参考リンク

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本当にたどり着くべき答えに
たどり着くことが困難なんだよ。

 

参考書籍

あなたたちは、教育の過程で
“反省”しなさいとは叩き込まれるが
“内省”に関しては存在すらまともに教えられない。

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