この記事の内容は、人によっては不快感を覚えるかもしれません。
生ける褒め褒めbotである私の兄 (どの記事を見せてもほぼダメ出ししない、全肯定、「それで行け」って煽ってくる) に、
「この内容は、当事者 (似た経験をした人) を悲しませかねないから、公開するのはやめた方がいい」
とコメントされています。
それで、公開を差し控えていたのですが……
やはり大切なお話であって、
誰かに伝えておかなければならない気がしたので、
ここに記しておきます。
事の発端は、インターネット上でこういう嘆きを目にしたことでした。
「うちのじいさんが事故で死んだ。
長年コツコツ働いて、『落ち着いた土地で、庭のある家で静かに暮らしたい』っていう夢をようやく叶えたのに。
叶えてまだ半年だぞ。なんなんだよ、ちくしょう」
もう少し詳しく書いてあった気がするのですが、なにぶんお見かけしたのがだいぶ前でしたので、細部は失念してしまいました。
ただ、書き込まれた方の苦々しい想いが強く伝わってきたことは覚えています。
実際のところ。
この方のおじいさまは何を想われながら、その生涯を閉じたのだろう?
気持ちを向けたとき、下記の内容が伝わってきました。
この方は、満足して亡くなった。
確かに、望みを叶えてから、
客観的にはたったの半年しか経っていなかった。
でも、本人は、望みを叶えた人生を存分に味わって、「もう充分だなあ」の想いと共に旅立った。
望みを叶えるために働いていたといっても、
実際に心にあったのは、望みを目指すことだけではなかった。
働くこと自体にも喜びがあり、
それにより人様のお役に立てることも嬉しく想っていた。
真面目で長年の努力を続けられる方のこと。
そこには、自分への望みのためだけではない、労働への喜びも確かにあった。
望みが叶った喜び、穏やかな新生活への喜びももちろんあったけれど、
一方で寂しさも感じていた。
夢に向かう充実感、
懸命に働いた達成感、
人様のお役に立てること、
そういう喜びは、新しい暮らしからは得にくいものだったから。
この穏やかな日々もよいけれど、
あの充実した日々もなかなかよかった。
どちらも味わうことができてよかった。
自分の人生は、とてもよいものだった。
このような想いの中で、人生の幕を閉じられたのだと。
……真相は分かりませんが、わたしに伝わってきたのはこの内容でした。
ご老人がこの世を去ってからのますますのご冥福と、
それ以上に、
残され、やるせなさを感じておられるご親戚の方のこの世での福を、
ささやかながら、お祈りしております。