何でも買えることで、何でも買える氣になるのは待ってほしい

たまたま乗り込んだエレベーター内で聞こえてきた会話。

「北海道から取り寄せたの?」

「便利だね〜
今ネットで何でも買えるもんね」

 

これから北海道へ向かうわたしにタイムリーな話題だな、
って思うのとほぼ同時に

「いいや、空氣は買えない」

という言葉が頭をよぎりました。

土地の名産品は買える。
水も買える。
もしかしたら、空氣だって買えるのかもしれない。

 

でも、水や空氣、大地があってこその“環境”まで取り寄せることはできない。

遠い距離を運ぶことで、
違う環境下に持ち込むことで、
「本来のまま」ではなくなることに氣づいてほしい。

何でも買える ことで、
何でも買える氣になるのは待ってほしい。

 

買えないもの、知らないこと、氣づけないことにこそ核心が、
そして必要なことが含まれている。

小さく小さく切り取られた、
それも変質しているごく一部分を手元に寄せただけで
味わった氣にならないでほしい。

 

どうか、騙されないで。

 

……って続けて頭をよぎったけど、

だからって取り寄せに意味がないとは思わないし
(一部だけでも味わえるのはいいじゃないか)
会話してたおっちゃんたちに投げかける話でもないし

なにより、
現場で味わったときと
取り寄せて味わったときとの違いは
今の人間の大多数には意識できないと思うよ。

 

「取り寄せ自体が悪いとは言わない。
けど、それで味わった氣に、
よく知っているという氣に、
手に入るという氣にならないでほしいの」

「会話していたひとたちのことは氣にしなくていいの。
あなたと、あなたを通じて聞いてくれる人に言っている。
彼らのための話じゃない、あなたのための話なの。
あなたへ伝えるために彼らがこの話題を出したの

「言っても無駄かもしれない。
聞く氣のある人は少ないかもしれない。
押し付けることはできないし、わたしが絶対というわけでもない。

 それでも、言わなくちゃいけないの。
必要が満たされるまで、諦めずに伝え続けなければいけない」

 

……なんか、そんな感じだそうです。

焦るような氣持ちが一緒に伝わってきました。

 

特に、
「騙されないでほしい」を
強く伝えたいみたいです。

と言っても、
「騙す人がいるから氣をつけて」的なものではなく……

自分に騙されるとか、
「勘違いして驕らないでほしい」ともちょっと違うような……?

 

「仕組みの罠にはまらないでほしい」が、一番近い表現かなあ。

手に入っていないものを手に入れたと錯覚できる、
そんなふうに整えられている仕組みと
鈍らされた感覚に
騙されないで。

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