両親への印象、兄とわたしで全く違う景色

最近兄がブログで、両親のことについて少し触れていました。

父も、今回は触れませんでしたが母も、二人とも少々生きるのに不器用ではあるものの、僕にとってはよい親でした。毒親とかじゃなくてほんとよかった。


しかしながら、妹にとっては違いました。

 

『兄がブログ上で両親について語ることはないだろう』

となんとなく思い込んでいたので少し驚き、
そして同時に、
触発されて兄との景色の違いについて書いてみようかなと思いました。

いずれ書きたいなという思いはあったのですが、
あまり良い内容ではないので『こんなこと書いてもいいのかな』という気持ちもあり。
あと単純に、面倒だったのもありw


わたしは「毒親」という言葉を知った時、自分の両親にも当てはまるだろうと思いました。

しかしそれはわたしが
子供時代の記憶に悪い印象を持っていて、
また両親と良い関係を作っているとはとても言えないためであり、
「両親自体は善良な人々」というのが客観的な事実なのだろうなあと、
近年は考えています。

一時的にとはいえ
両親を毒認定したわたし(妹)と
そんな風には思わなかった兄、

なぜその違いが生じたかの理由には

  1. 妹は神経質で、兄だったら気にならなかったことを気にしたり傷ついたりした
  2. 妹はいじめを受けたことがある
  3. 親から子への対応力が、兄に対しては足りていたが妹に対しては足りていなかった

あたりなのだろうな、と見ています。

 

①妹は神経質で、兄だったら気にならなかったことを気にしたり傷ついたりした

父は気が短く、性格的にはすぐに怒鳴ったり手が出るタイプです。

日常的な暴力、虐待はありませんでしたが
兄は1度だけ、殴られたことがあります。

小学校に入って低学年の頃、父のメガネだか時計だかをうっかりで壊してしまい
カッとなった父に殴られたのだそうです。

わたしはそれを聞いた時、怒りを覚えました。

まだほんの小さな子供に?
空手柔道経験者で毎日筋トレを欠かさないマッチョな男が?
カッとなって、勢いで?

なにやってんだよ、とんでもねえな!!

と。

話を聞いただけで、自分が殴られたことはない、
それどころかその場面を目撃すらしていない、
完全に無関係なわたしが憤慨する横で
当の兄は「そういやそんな事もあったかな?」程度で忘れているのでした。

被害の有無があってもこの反応差なくらいですから、
兄だったら軽く流せることが
妹にとってそうではない、気になることであり傷つくことである、という場面は多岐に渡りました。

自覚しているだけでも多数あるので、
自覚のない領域ではさらに多かったはずです。
当然、両親に対しても。

②妹はいじめを受けたことがある

小学校低学年の頃、家の近かった2人から、嫌な扱いを受けていました。

学校ではそうでもなかったはずですが (嫌だと思った記憶がないから)、放課後毎日のように遊ぶので、その中で。

わたしは彼女たちと一緒に過ごすのが嫌だったのですが、
遊びに行かないと家まで来て、大声を出して呼んだり何か言い始めたりするので、恥ずかしくて……

それでも応答せずに寝てるフリをしていると、母が
「友達が来てるから行きなさい」と
促すのでした。

そして行った先でお金を取られたり、
危険なところ (高くて歩きにくく、落ちて怪我をしかねない場所) を歩かされたりなどするのでした。

名目としては

「ここにお金を投げるといい事があるんだよ、だから投げなきゃいけないんだよー!」

「ここを渡りきるといい事が(略)」

だそうで、
だけどそれをするのはわたしだけで、ふたりはやらないのでした。

「わたし達はもうやったから!」

とのことで。

それが嘘であることも、
「お金代わりに投げてあげるね!貸して!」とわたしから受け取った小銭を
投げたフリしながら掠めているのも伝わってきたのですが、
わたしには何も言えませんでした。

なんだか、今思い返すと
お金を取られたことそのものよりも、騙そうという明確な意図を持って堂々と嘘をつかれたことの方に傷ついていた気がします。

危険な場所を歩かされたのだって、今ならむしろわたしから進んで
『えっ面白そうやるやる渡る!!』って言い出して
周りから止められまくっても決行しそうなんですが(……)、

じゃあ今、同じような場面に出くわしたら楽しんでできるか?と聞かれたら、
そうはならないし、とても傷つきます。
だって、悪意を向けられているんですから。

やりたいとも面白そうとも微塵も思えない、
怖いことでしかなかった当時は、なおさらです。
わたしはね、体を動かすのがあまり好きではないし、
運動神経も、そんなに良くないんですよ。

この時に取られた50円玉や100円玉は、
成長して、働くようになり、
数万円の出費を当たり前にできるようになってもなお、
失った悲しさと、苦しさを、引きずることになるのでした。

投げるためのお金を持ってくるように言われたとき、
母に、『お金ちょうだい』と言いました。
お小遣いがまだ残っているのに、しつこく言ったのは、
今思えばわたしなりのSOSだったのかもしれません。

母は、「お小遣いがあるでしょ」としか言いませんでした。
あるのになぜ言うのか、なぜしつこいのかを問われたことはありませんでした。



3年生になったばかりのある日、駐車場で、
いつものふたりに転校生が加わって、
座ったわたしを3人で囲んでいました。

そして「目を閉じて~」「上向いて~」と言われて従ったところ、
口に醤油を流し込まれました。

量は大したことありませんでしたが、たまらずに吐き出しました。
お気に入りの服にそれがかかり、汚れました。
顔を上げられずにいると、わたしの様子を見て笑う声が聞こえてきました。

そこへたまたま、担任の先生が通りかかりました。
わたしは『これで助かる!』と思いました。

先生は、「そういうことしちゃダメなんだよ~」とだけ言うと、そのまま立ち去っていきました。

3人は口々に「はーい」と返事をして、しかし先生のいなくなった後は何が変わるわけでもなく、続きが行われるだけでした。

わたしは『大人に助けてもらえることはないのだな』という学びを得ました。

帰宅してから、母に
『醤油で服を汚したので洗ってほしい』と訴えました。

母は「お醤油で汚したんなら落ちないよ」と言いました。

『お気に入りだから、どうしても落としてほしい』と何度か食い下がったのですが、
母は「醤油は落ちないよ」を繰り返すだけでした。

その時やりとりした内容はそれだけでした。

『なぜ母はあのとき、

「落ちにくいものだけど、がんばってみるね」とも何とも言ってくれなかったのだろう
汚れを不自然だと思ってくれなかったのだろう

「そんなことある??」と思って、たった一言、

「どうしてお醤油で汚したの?」と聞いてくれれば、事情を説明できたのに
どうして聞いてくれなかったんだろう

それとも、自分から言えなかったわたしが悪かったのだろうか

それも否定しない、
言わなければ分からない、

でもまだ子供だったんだ、幼かったんだ
自分から言うということが思いつかなかった、
それどころか、
どうしてこうなったかを知ってほしいという事すら、
あのときのわたしには分からなかったんだ』

わたしが成長して知能が育ってくると、長い間、
このことが頭をよぎって苦しむようになりました。

不思議ですが、わたしはいじめっ子たちのことはあまりひきずっておらず、
助けてくれない母にばかり恨みが募っていきました。

兄がよい親と見ている人たちは、
わたしにとっては、無理解で、愚かで、背中から撃ってくる人たちでした。

③親から子への対応力が、兄に対しては足りていたが妹に対しては足りていなかった

父もだいたい同じような感じです。

あるとき、わたしといじめっ子のひとり (Aちゃんとします) と
普段はあまり遊ばないクラスメイト (Bちゃんとします) の3人で
わたしの家で遊びました。

その日の天気は雨でした。
AちゃんはBちゃんを気に入らないのか、
「Bちゃんの傘を隠そう」と持ちかけてきました。

わたしはそれに応えて、家の分かりづらいところにBちゃんの傘を押し込みました。

当然帰るときには問題になり、傘は取り出して返しましたが、
父からわたしへはカミナリが落ち、強く叱られました。

事情聴取がされることはなく、
情状酌量も一切ありませんでした。

ただ、
「友達の傘を隠したこと」、
「それは悪いこと」だけを言われました。

当時、罰は廊下で長時間正座することだったので、
そのときもそのようになりました。

しんどい時間であったのは確かですが、
抵抗や屈辱は感じませんでした。

言われたことを疑わずに鵜呑みする子供だったためですが、
加えて、その罰に慣れていたこともあります。

わたしは度々、門限を破ってはこの罰を受けていたからです。

その理由は、
「門限だから帰るね」と言ってもいじめっ子たちに受け入れられなかったためで、
言いつけを破るまいと強引に帰ろうにも、2人がかりで体を張って止められたり、靴を隠されたりするので敵わなかったのでした。

門限が過ぎて30分くらいして、
彼女らの気が済むと解放され、わたしは走って帰ります。
しかしどんなに急いでも、間に合うはずはありません。

当時のわたしに、「急いでも間に合わないのだし、もうゆっくり帰ろう」と考えられる賢さはありませんでした。
運動が苦手なわたしは途中で息を切らし、それでも立ち止まることなく懸命に走りました。
その先に待っているのは、門限を破った罰であるわけですが。

事情聴取なんてありません。
「門限を破った」
「それをしたら罰を受けることになっている」という、その2点のみでした。

一度傘を隠されたBちゃんはわたしの両親に守られましたが、
日々靴を隠されるわたしを守ってくれる人は、誰もいませんでした。

このことも、知能がついてきてから、
苦しむことになりました。

『わたしは、自発的に悪いことをするような子供ではなかった。
なのに、一片の確認もなく叱られた、罰を受けた。

もちろん、人が持ちかけて来たからといって、悪事に乗ることをしてはいけない。
でも、それを自分で計画するような人間でなかったことは、分かって欲しかった。
警察や司法だったら、それを知らなくても仕方がない、他人だから。
でも、親だぞ、……親だったのに。

「そんなことをする人間ではないと思うのに」、

「一体何があったんだ?」と、
どうして少しも考えてくれなかったのだろう、
わたしはそんなに信頼がなかったのか、
それとも「子供だからそれくらいすることもあるだろう」という判断だったのか?』

そういう考えが、長い間離れませんでした。

 

傘を隠すとき、わたしが乗り気だったのか嫌々だったのか、何も考えていなかったのかはよく覚えていないのですが……

わたしもBちゃんのことはあまり良く思っていなかったので、もしかしたら記憶にないだけで乗り気、悪意ありだったかもしれませんね。

だってBちゃん、わたしを家に呼んで部屋を暗くして性行為の真似事をするような子でしたから。

まだ幼かったから生々しいものではありませんでしたが、
「何してるんだろう、嫌だな」と思いながら終わるのを待っていました。

この記憶もまた、
意味が分かるようになってからおぞましく感じるようになったのでした。
幸か不幸か、他のことに比べると軽いというか、深く傷ついてはいないのですが。

もちろん、だからといって嫌がらせをしてもいい、傘を隠されても当然だ、犯人は無罪放免だ、ということにならないのは分かります。

わたしだって、罰を受けたことについては苦々しく思っているわけではないのです。
叱られて当然で、罰を受けるのも当然で、
ただ、そこにひとかけらも親からの信頼や事情の確認がなかったことを嘆いているのです。
罰を科すのは当然だけれど、事情が分かった上でそうしてほしかった。
何も分からないまま、機械的に、一方的に、裁きだけを与えないでほしかった。

……親よりも、他人、警察や司法の方が、マシなのかもしれません。
いきさつの確認を、入れるはずですから。

母も父も、何も知らなさすぎではないか。

知ろうと、しなさすぎではないか。

「なぜ?」と思ってほしいと、
ほんの少しでいいから考えてほしいと、
確認してほしいと、
ずっと、ずっと思っていました。

そうしたら、おかしいと分かるはずのことがたくさんあったから。

どうしてそうしてくれなかったのか、
わたしは2人にとってそこまでするほどの存在ではなかったのだろうなと、
ずっとずっと思っていました。

だけど実際には、これはふたりの“限界”であって、
意図的に軽い扱いをしているわけではなかったんだなということが、
今なら分かります。

『どうして知ろうと思わなかったのか』の理由は、
「そんなことは思いつかない、本当に分からない」んです。
幼い頃のわたしが、抵抗を思いつかなかったのと同じで。

他人の内面は断言できないものだし、したくないのですが……
だから普段は避けてるけど、
これについては断言できてしまいます。
……残念ながら。

そしておそらく、知ったところで、分からないのでしょう。

対処はおろか、理解も、認識すら、たぶんできないんです。
それをできる人たちじゃないんです。

あるとき、

『親との関係がこのままなのは嫌だ、だからきちんと話さなければいけない、ずっと話せないでいたことを』と決心が固まり、

兄の助けを借りながら実行しました。

そのときの反応は、
『あ、この人たちには土台無理なことだったんだ』という確信を得るのに充分なものでした。

わたしの苦しみを放っておかれたのが意図的ではなかったという事実は、
正直なところ、意図的に無視されていたよりもキツいことではあったのですが……

どうしようもないことです。
仕方がありません。
盲人の目に景色を映せだなんて要求は、できるわけがないのです。

一方で、「彼らは彼らの精一杯を尽くしてくれていた、軽んじられていたわけではなかった」と分かったのは救いでもありました。
……そう、言うしかありません。

それでも……

幼少期の兄には、こういうこじれた出来事や人間関係はなかったのでしょうね。

両親の精一杯、そして心は、
兄には足りていたけれど
わたしにとってはそうではなかった、
子供時代を終えてからはますますそうだ、ということです。

恨む気持ちは過去のものとして解消できても、今現在なお心が足りていないことについては、どうしようもありません。
この感覚は分かる人が少ないかもしれませんが、心の要素が多い人間にとって、そうでない人間と、壁のない近い距離感で関わることは、それだけで苦痛を覚えてしまうんです。

まとめ

そんな感じで、
兄には良い親と見えている人たちですが
わたしにとってはどうしても、それだけでは済ませられないのでした。

母は、わたしのことを
「手のかからない良い子だった」と言っていました。

確かに悪いことや厄介事を持ち込もうとはしませんでした。
しかしただそれだけであり、
実際には、かなり対応の難しい、難易度の高い子どもだったのではないか?
という気がしています。
成長してからの内面や、占星術での配置を考えるとね。

ただ、手や目を的確にかけられない場合の次善策は放っておくことであり、
それはかなりの理想通りに実現してもらえたので、そこは良かったと思っています。

子が両親を選ぶという説にも納得しています。
わたしはきっと、『細かいことを言わず、ある程度の物資を与えて放っておいてくれる』『兄の妹として生まれる』を主目的として、この両親を選んだのでしょう。

温かい理由ではなく、両親への想い入れもありませんが、
しかし感謝はしています。

それはそれとして、関わりを持つと尋常でなく消耗するので、
現在、わたしは、彼らとは没交渉にしています。

時々向こうから電話や手紙やお金が来ますが、
わたしからは応じていません。

距離を取らせてほしいことを伝えても
『せめてお金は送らないでくれ』と言っても
没交渉にしている理由を丁寧に話しても
聞こえていないので……

どうしようもないので、
直接の突撃をされない限りは放置するつもりでいます。

一応は善良な両親から、
成人したとはいえ希求している子供を引き離したら可哀想だ、くらいは思いますし、
実際に、わたしの振る舞いを知った第三者からは「親をもっと大切にしろ」とお叱りを受けることもあるのですが……

……あのね、
悲しいのはね、両親だけじゃないんですよ。

わたしだって、失ってるんですよ。
本当は欲しかったんですよ。
助け合える、信頼できる、仲良くできる、親。

 

 

 

おまけ書き

わたしの思い出はもちろんこれだけではありませんし (良いことも悪いことも)
自分自身が悪縁を呼んでいたところもあるのだろうなと思いますし (助けを求められなかったというだけではなく)

いじめっ子たちや先生、両親の背景についても
いろいろ思うところはありますし

そういった情報を加えて総合的に見ると
この記事から受ける印象とはまた違った景色が見えてくるとは思うのですが
(わたしに見えた領域が全てではないはずなのでなおのことです)

主題がブレるので、
この記事はこの記事としてまとめて終わりとします。

 

過去の苦しみを長く引きずるということ

「そんな昔のことは忘れろ、水に流せ、もう許せ」という言葉を聞くことがありますが、
それは痛みが分からないから言えることだなあ、としか思えません。

深く傷ついた記憶は
一生残ってもおかしくないものだし、
それが恨みになってもおかしくないものだし、
その結果刺されたり火をつけられても
『まぁそうなりうるだけの痛みはもたらすよね』と認識しています。

刺したり火をつけたりしたらダメだけど、
その倫理観を超える程度の感情がそこに生まれていることは、否定のしようがないと思うんですよね。

「もう何十年も経っているのだから」という言葉は、
その何十年をちゃんと過ごしてこられたからこそ言える内容です。

時間薬が苦しみにとって有効な処方であることは間違いありませんが、
それはきちんと傷ついた感情と付き合ったり、その感情を解消させてくれる行動を一分ずつ、一歩ずつ、積み重ねられた場合に限ります。

それを不可能にするほどの深い傷は、時の流れを止めたり著しく鈍らせたりします。

苦しんでいる人にとって、何十年前の苦しみは、何十年前の苦しみではないのです。
それは、ほんの数ヶ月前であったり、数週間前であったり、なんなら昨日や今ですらあるのです。

わたしは復讐をするつもりはありませんし、
そもそも今ではいじめっ子たちのことも両親のことも恨んでいませんが、
その理由は何だかんだ今が幸せで楽しいからです。
あの頃には想像もできなかった境地へと達することができたからです。

しかし深い傷を持ってしまうと、
その状態へたどり着くのが難しいということもまた、
よく分かるのです。

わたしが恨みを抜け出せたのは、運が良かったからに過ぎません。
そのきっかけや要素といくつも出会うことができたからであり、
それがなかったら一生恨み続けたのだろうと思います。

なぜだ なぜわたしからの訴えがまったく聞こえていないのだ

距離を取らせてほしいことを伝えても
『せめてお金は送らないでくれ』と言っても
没交渉にしている理由を丁寧に話しても
聞こえていないので……


どれくらい聞こえていないかというと
何度『会う気はない、連絡もしないで欲しい』と明確に伝えても
次の連休には連絡が来て
最後は必ず「遊びに来てください」で締めくくられているんだ

それだけなら「時間を置いたから気が変わっているかも」という考えをしている可能性があるかもしれないけど、
会う気がない理由を真面目に話した日 (ちなみにコレがそう) も別れの挨拶が「また遊びに来てね」で
おい数十分前にわたしが懸命に話したことなんだったんだよ!!って

こうなるんだろうなって分かっちゃいたけど改めてガックリ来たというか
もう……これもう……どうしたらいいんだ……どうしたらいいの…………
えぇ……伝わらないの? やっぱり放っとくしかない???
親ってこんなもんなの???
みんなこんなん真面目に相手してんの???? すごいな?????

知能の障碍なのかな…………
でも大学出てるし、知能指数ではないはずなんだ…………
わたしも兄も知能指数は問題なさそげなので、知能に原因があるとは考えづらいし
でもそれだと知能の問題でなく知性の問題ってことになるからむしろやるせない
やるせない

 

この伝わらなさ……
最初は困ってたけど、
だんだんホラーに感じてきて
今は一週回って笑えるんやがwww

 

まあね、話してもわからない人達ではあるけど、
攻撃的なこととか突撃とか悪質なことはしないから、
ガチの毒親じゃないしね、
放っておくことができるからね、いいよね……

と思ってたら最近
「今年はあんたのところへ遊びに行こうと思ってたのに、コロナだからしょうがないね」と言われてビビりました
いよいよ突撃されてしまうのでしょうか
なんでわたしの気持ちどころか予定都合すら確認せず相談も一切ないままに遊びに行くこと決定事項してるんでしょうか……!

(この発言だけだと「予定は後から確認するつもりだった」という解釈もできるのですが、なんと言ったらいいのか分からんのだけど断られる可能性が微塵も脳にない感じがすごかった 自分が「そうしたい、そうしよう」と決めたらもうそれは決定事項という感じが……

そもそもここ10年弱一度も「会おう」に応じてないのに
「会いたい、遊びに行きたい」でなく「遊びに行こうと思ってる(決めてる)」とこからおかしいのよ
認知症なのかな……
同居時代にしっかりしたコミュニケーションなかったから認知機能が下がったのか元々の性格なのか判断つかないのよねwwwww もともとやってても違和感ないなとは思うwwwww 笑うわwww 笑えんwwwww)

飛行機が必要な距離を引っ越したことは知らせていないので
まあ、大丈夫だとは思うけど……
大丈夫だと思いたい……
怖いよ~~~
やっぱりホラーだよおぉ (;ω;)

 

なんでこんなに執着されるんだろう……
あの人達はわたしを通して一体何を見ているのか…………
いや……何も見てないんだろうけど…………
良くて「娘という器、役割、情報」あたり……かな……
良くねぇ

そして「娘という器」に関しては、
“無条件に”
“確認もすり合わせも要らずに”
“思ったとおりの関係になるもの”と認識してるんですかね……。
うーーーん
長年に渡ってこんな「ちゃうやん」って事実を突きつけられてるのに……?
いやでも………………うーーーーーん

「ならないなあ、ならないなあ、おかしいなあ」とは思っても
「なんでだろう?」とは思わなさそう…………あの人達…‥……
というか疑問を持てる人たちだったらわたしの態度がこうなってないんですよ
う、うーーーん
うううーーーーー~~~~~ん

もう自分の運命だと思って諦めるしかないのかなあ
思い返すとこういう態度の人、ちょいちょい現れてるんだよね……
大概の人は知性と理性がちゃんとあるから、こんなふうにわたしの発言を無視はしないんだけど…… (……という言い方をすると、両親には知性と理性がないことになるのだが)(いや、理性はあるよ……突撃してこないし(今のところ))(知性は??)

 

ケンカとか暴力とか、侮辱とかはないんですけど…………
悪質な人たちではないし、揉めるほど会話が噛み合うことがないので

でも分かることで都合が悪い内容だと父はキレるし母は嘆く
ワイ、この家庭でもう何も言えなくね???

(でもそれで黙るとますます向こうにだけ都合のいい娘像になるような……)

(いや……自己主張の有無に関係なくそうなるし、既になってるのか…………)

 

兄がいてくれたことはホント、
あらゆる要素からめっちゃ救いだった…………

そしてなんで兄は両親といい関係を作れてるんだ……
あーーーーーうーーーーーーん
兄は社交的だし寛容だからというのはあるか……
あまり立ち入らないし両親に何か求めたりもしないし。
妹は神経質だし基本一人でいたいし人間関係を楽しむ気もあんまりない
でも関わるならガッツリ心の底から関わり合いたい
どれも両親には理解も実現もムリなやつ

ていうか兄、執着されてないっぽくて羨ましい
いやちょいちょい自発的に会いに行ってるからかもしれんけど…………
それとも男女の差なんだろうか……
「娘は特別」って言うよね、良くも悪くも……

兄のご両親は毒親じゃないらしくて……
羨ましい…………

いや、わたしの両親も毒親じゃないはずなんだけど……

ガチ毒親持ちさんのエピソード聞いてると自分は平和すぎるので申し訳なくなる

わたしが毒子ってことでも、もういいから…………
毒を持っているのはわたし側なのだと認めてしまえば、
他人が無理解でもわたしがワガママ認定されても割り切れるし
親を見捨てるにも気楽でいいなあってことに最近気がついてしまったのよ

(記事をまとめてから3ヶ月後) 訴えが伝わったという追記

(2021/2/15)

いろいろあって、この記事の内容(の一部)が
両親の知るところとなりました。

2人ともにようやく届いて、
真摯に受け止めてくれて、
わたしの心情も一応は伝わったようです。
現在地も知られましたが、もう大丈夫。

期待していたけどしていなかったことがいざ実現してみて、わたし自身の気持ちもとても落ち着きました。
そして、『「ホラー」とかひどい事を書いたなあ』という反省心も湧いてきました。

ただ、このページの内容は伝わる前の率直な想いとして残しておきます。
突き放したかったよね。向こうからの心理的距離感が、わたしが望むよりも近すぎて、侵入者だったから。

なんだか、肩の荷がどっしり降りた感じです……親子関係って難しいよね。
親って、息子娘の成長冒険譚の中でラスボスだもん。

ただしラスボスの先には裏ボスがいるので……
なつきちの冒険はまだまだ続くのです。

まあ結局は自分ですよ。ええ。
自分自身の裏との戦いです……
とほほほほほ。ほほほ。(=ω=。)

 

(さらに10ヶ月後) 伝わってねぇ!!という追記

(2022/1/15)

まさかの………… orz

いろいろあったことで、
両親共に「本当に悪いことをした、自分たちが至らなかった」という感想を持ってくれて
「もう両親からは直接連絡をしない、何かあったら兄貴を通す」という協定が結ばれたはずなのですが

母から手紙が来たよおおぉぉぉぉ!!!!

なんでだよおぉぉぉぉ!!!!

住所バレ痛てええぇぇぇぇ!!!!!!

うそ……
ウソでしょ…………

「直接連絡はしない
(手紙は直接連絡じゃない ( ー`дー´)キリッ)」

ってこと……なのかな…………

うん……そうね…………せやな
何も考えてないんだと思う
いつもの いつものや
もしくはボケや
ボケが始まっちゃったんや
うん
受け入れねばならん
相手がこんなんな以上
こんなんであることを
わたしは認めなければならない

時々向こうから電話や手紙やお金が来ますが、
わたしからは応じていません。

どうしようもないので、
直接の突撃をされない限りは放置するつもりでいます。

この方針も、もうやめようと思います……
どうしようもないことについては認めて受け入れるけど
物理干渉は受け入れねぇよ 帰りたまへ

『さすがにそれくらいは』
『これくらいは受け取ってあげるのも親切』と思っていたのですが、

もうこの負担を負わなくていい、警戒しなくていいと思っていたところに不意打ちがあったことで思いの外ダメージがでかかったのと
(「警戒しなくていい」と油断しながらも心のどこかでは安心しきってなかったことも自覚してわろた)
手紙が手元にあると体調がガタ崩れする (実害が出る) ことが……分かっちゃったので………… なんでかというと手紙が呪物化してたから オカン呪物作れたんやな…… てことを認識して 地味にショック受けてる  言動だけ見れば善良な人だけど エネルギー的には結構ヘドロひどい人なんだよなぁってこと そろそろ直視しろってことでしょうか わたしだって一応は母親のこと 悪く思いたくないんですが  いやそれを発揮するのわたしに対してだけかもしれんけど 精神のゴミ箱にされがちワイ 自分にだけおかしくなる人にたびたび遭遇するもよう  それを引き出す資質を持ってしまっている以上、そうなるのもある程度はしょうがないと……思ってるけど…… 仕事としてやるときは楽しんでるけどプライベートでは嫌なんやで?? 悲しいもんは悲しいし、しんどいもんはしんどいんやで?? しかも相手が……親なのが…………  見ないで済んでた親の一面を認識するほど絶望が深まるのつらい

情けねえしますます悪者になっちまーけど…………
一応悪者には、なりたくないんやけど…………
しゃぁない…………………… orz

今回は兄貴経由で突き返して(未開封で)

もしかしたらごめんとか書いてあるのかもしれんけど知らんがな
コミュニケーション取るチャンスなら30年くらいあったやろ
その時間を全部無駄にしてきた人間の言葉なんか聞く気にならんのじゃよ
あとワイ毒子だから親に親切してあげない “親を切る”以外親切しない

次回があったら受け取り拒否を発動じゃ
たぶんある
なければないでいつ来るのか警戒しなきゃいけない
ちくしょうなんでこんな
なんでこんなしょーもねーことに怯えなくちゃいけないのちくしょうwwwww (とりあえずその後一年間は来ませんでした、めっちゃ構えてたんだけどwww)

しかしなんだ、なんなの、ホントに
「自分が嫌われてるワケがない」「嫌がられてる自覚がない」感しゅっごい…………
多分ホントに、何も分かってない、考えてない、親子という形式だけ見てるんだろうけど…………
いや向こうからしたら“親子の情”なのかもしれんけど

わたしから向こうを見た時には情のゆらぎ的なものがまったく見えないんじゃ……
そっちの虚無にこっちの揺れ動きすぎる感情エネルギーがぎゅいんぎゅいん吸い取られていくからホントやめてほしい
いやまぁ向こうからしたらその流れができると心地良いわけで、そうしたくなるのも分からなくはないんだけど……
親子だとどうしたって距離が近すぎたり葛藤が濃く入ってきたりするから、対処が難しいんだよね……

でも分からないものは分からないのだからしょうがない、粛々と対処するのみである……
ううぅ

悪い話ばかり書いちゃったので いい話(?)を載せて終わる

両親に関して、人生の友になるのは無理としても
別に嫌いではないですし、
特に父に関しては、離れて見ている分には面白かったりします。

もうひとつ、兄のブログから引用。

父と僕/認めるということ
誕生日を迎えた父 先日、父が誕生日ということで、久しぶりにお祝いの電話をしてみました。
あに
父さん最近さ、
何か欲しい物とかない?
別にねえな!
ない

 

いもうと
別にねえな!
ない
いもうと
なんだこのせりふ
いもうと
特になんてことないのに笑ってしまう
いもうと
わろた
あに
わかる

 

その後わたしの中で、この言い回しが流行っていますwww

 

あに
お前暖房つけてないの?
いもうと
ねえな!
ない
あに
父さんのまねはしなくてもいい
いもうと
汎用性がたかい
あに
味わいも深いんだよなその言い回し
いもうと
わかる
タイトルとURLをコピーしました