2017年まとめ (6月下旬)

わたし
いやぁ。昔児童館か何かで作った冊子に、母さんが書いた文章が載ってて、読んだときにすごくショックを受けたんだよー。
わたし
わたし(娘)の目線を通じて家族を紹介する、って内容だったんだけどね。
わたしから家族への印象が、正確に淡々と続いた後で、母さん自分の事だけひどく長くこき下ろして書いてたからさあ。
わたし
そう思ってることもショックだったし、わたし自身の自分に対する感想と全く同じだったのもショックだった。

 

そう。私の文章にショックを受けたのね。

 

わたし
…………。
 
そこだけ受け取られてしまうのは、誤解にしかならないな…………。
わたし
ええと、母さんが、自分の事をそんなにもひどく思っていた事がショックだった。
わたし
そして、わたしが抱えていた想いと、全く同じことが書かれていたのがショックだった。

 

わたし
母さんをのろまと思ったことはない。
けど、わたしはいつも、自分をのろまだと思ってた。
わたし
親子って、こういうところを受け継いだりもするんだなあって

 

そう。……そうかもしれない。
私もおばあちゃんの問題を、持ったかもしれない…………

 

わたし
そうだね。……そうなんだろうね。
わたし
……あのね。わたしがここ……実家に寄り付かない理由なんだけどね。

 

わたし
父さんは、いつも他人の悪口を言ってる。
わたし
母さんは、いつも自分の悪口を言ってる。

 

わたし
それが、わたしにとってはしんどいことなの。一緒にいられないの。
わたし
わたしは、父さんと母さんからこの悪癖を受け継いでいるから、……と言っても、父さん母さんだけのせいってことはなくて、わたしの生まれつきの性質や課題でもあるんだけど……
わたし
ともあれ、乗り越えたいと思ってるの。
わたし
これは、父さん母さんと関わりながらだと難しいの。
わたし
お墓参りへ最後に一緒に行ったのはいつだったっけ?6年前?

ご先祖様にも、その時謝ったの。
『わたしは親不孝をします。両親と関わりを絶ちます。でも、その選択の向こうで成長していきます。それは必ず、ご先祖様への孝行になり、両親のためにもなることを確信しています。だからどうか、ご容赦ください、見守っていてください』って。

 

そう……そうなの。
それは……立派なことだね…………

 


久しぶりに実家へ赴き、本命の用件の他、上記のような事も話してきました。

伝わったかは分かりません。

でも、すぐに伝わる内容でもありませんからね。
わたしだって、この辺りの想いを自覚して、ここまで言語化するのに何年も要しているわけだし。

わたしにとっては、言えたことが良かったなと思います。相手の理解の有無に関わらず。

両親に関わりたくない理由はもう少し掘り下げることができて、「悪口ばかり」というのは、本質でもあり一端に過ぎなくもあるのですが……

総じて、わたしからは「浅い」「荒い」と見えていて、「合わない、心が侵食される」という結論へ行き着きます。
価値観も波長も温度感も違いすぎるのですね。

ホラ、ケチと浪費家とか、内向的な人と外交的な人とか、真逆な人がコンビ組んで近い距離で一緒に過ごそうとすると、立場の弱い方、無理解を押し付けられる方が一方的に消耗するじゃないですか……。
他人だったら好きにしてくれててよいのですけどね……。家族という、密な関係ですからねーーー。

人間関係に“合う”のみを求めるわたしにとって、これがなければ一緒にご飯を食べるだけですら負担なわたしが、“血の繋がり”をそこまで重視できないのです……。


5年か6年ぶりに踏み込んだ故郷も実家も、ずいぶんと様子が変わっていました。

でも、景色以上にわたし自身が大きく変化してしまった。
前に来た時にはまだ抱けた、「懐かしいなあ」って感覚が、今回は全くありませんでした。

両親に対してもそうで、わたしは確かにこの2人から生まれ、この2人の元で育ったんだけど、会ってみて「懐かしいなあ」とか「落ち着くなあ」という感想はありませんでした。慣れてはいるぶん警戒心が少なくて済む、という意味での安心感はありますが。

ああ、わたしは故郷を失ったのかもしれないなあ、と思いました。

わたしは母校ももうないんだよね。そもそも学生時代をあまり良い思い出だと思えなかったので、卒業証書も卒業アルバムもとうに捨ててありますし……。

以前は自分が慣れ親しんだ年代の漫画やゲームに触れることで懐かしさを感じることもできたのですが、今は感性が変わったためか、あんまりなあ。

仕事も住処も転々としていて、しかも一箇所去る毎に『ここに戻ることはもうないな、なぜかもう合わないから』って思って、友達も気が合わなくなったら大した理由がないままに距離を取らせてもらってるし、
わたしは過去という過去を捨て続けて、一体どこへ行こうというんだろうか……

でもそんな中でも続いている関係があり、新しいご縁も得ているから、目の前のそれらを大切にするしかないですね……
心のうちでは、「こんなに大好きなあの人も、とても尊敬しているこの人も、わたしはいつか距離を取りたくなる日が来るんだろうか」って、頭をよぎりますが……

だからこそ、ほんとに、今を全力で大切にするしかないのですが、どうも、全力で生きれば生きるほど、相手の記憶に残りやすいらしいというのが……なぁ

わたし自身は別れに対する寂しさってあまり感じていないのですが、相手にとってはそうじゃないらしいのがね……申し訳ないような気持ちになります。


わたしが両親に抱いていた不満というのは、「コミュニケーションに“心”“相手への興味”“理解”が感じられない」という内容がメインです。

「なぜ?」という疑問を、もっと持ってほしかった。投げかけてほしかった。確認を、してほしかった。

不自然な点がたくさんあったでしょう?
当時のわたしは、嫌な事があっても、自分から訴えるにはまだ幼すぎた。
あのとき、母が不審に気づいてくれていれば。
父が少しでも、理由を考えようとしてくれていたら。

そんな想い出が、いくつもありました。

今は、さほど気にならない (恨んではいない) のですが、時々思い返すと「いや……そこ確認しようよ」的なツッコミを入れたくはなります。

……という考え方は、実家より帰ってから読み始めた本の、下記の内容で払拭されました。

(前略) ふつう親に対する最大の不満は、私たちが必要とするものを満たしてくれなかったということです。でも、私たちが両親からほしいと思っていたものは、じつは私たちのほうから親に与えるものだったのです。それを与えたとき、はじめて私たちの「親は私の欲求を満たすためにいる」という観念が解消します。

『傷つくならば、それは「愛」ではない』
103日 あなたがほしいものこそ、あなたが相手に与えるべきもの

 

   。 。
  / /
( ゚Д゚)

 

   。 。
  / /
( ゚Д゚)

 

   。 。 ←ウロコ
  / /
( ゚Д゚)

 

えっ……そうやん…………

その通りすぎるやんか…………

えっ……なんで今まで気が付かなかったんだろう
わたしの両親がわたしの望む心遣いはできないって、何年も前に分かってたのに……

答えは簡単だ。

「気付こうとしなかった」

「『わたしの望むようにしてほしかった』って、子供目線でしか親との関係を考えたことがなかった」

「『親はわたしの欲求を満たすためにいる』という観念で生きていた」

から だ。

確認と理解が欲しいなら
「いつか気づいてくれるかもしれない」って希望持ってないで
「向こうから疑問を持ってくれますように」って願いかけてないで
サッサとこっちから吹っかければよかったんや…………

って、今だからそう思えるのであって、1年前2年前は無理だったので、まあ、“今だから”なんだろうなぁ。

わたしが心から関わろうとしたら、多分、両親は (今回の冒頭みたいに) 動揺するだろうし、己と向き合わなければいけなくなるだろうし、そしたら父さんは怒り狂うだろうし、母さんは自己嫌悪に陥るような気は、する。

(そうならないように接待する気はない。それでは今の関係と違いがない)

既に老後に入っている年齢からそれを突きつけるのは可哀想だと思い連絡を絶っていた、という面もあったんだけれども……。怒りや恨みつらみをにじませずに関わる自信なかったし。
平穏に、何も疑わず考えず暮らしていけるなら、その方がいいんじゃないかって。

でも気が変わった。
こちらから一方的に関係を決めるよりは、選択肢を残す方が良いと思うようになった。今のわたしはきっと、穏やかにそれができるようになっているはずだ。

関わりたいんだろう?わたしと。
わたしはあなた方と関わりたくないし、合わせる気もサラサラない。だから、関わりたいなら自然とわたしが「関わりたいな」と思える人になってください。

わたしはあなた方の表面的な寂しさや世間体、空虚感を埋めるための役割を負って消耗していく気はありません。

だけど、あなた方がご自身と向き合って魂を磨いていく人生も良いなと思えるのなら、喜んでその手伝いに力を投じましょう。

エゴの親孝行でなく、魂の親孝行をしたい。

……そうは言っても、進歩を目指す事が最善とも限らないわけで。
現状の「関わらない」が1番なら、それはそれでよいのだ。

ご先祖様方、お互いが1番良い道を往けるように支援よろしく頼みましたぞ。お墓参り全然行ってない子孫からでごめんねだけど (両親はマメに行ってくれている)。

(続くけど続かない)

 

3年後の追記

伝わったかは分かりません。

いやわかるー!
伝わってないのわかるー!!
ほんとはわかってたー!!

こう、なんとか苦しさを説明しようと (からの盛大な脱線)
ちょっとまった 現場で対面してるとメンヘルひっこむこむだし自分がどう病んで困ってたのかもスポーンと忘れるけど Twitterのタイムラインを、印刷して持っていけば、いいのでは…………? あっ………… まあ、見たところでここから何を受け取っ...

『あなたがたと一緒にいたくない、関わりたくない』ってハッキリ言ってんのに

その別れ際の挨拶が「また遊びに来てね」だったの
もう無理解とか通り越して怖い 怖いよ
なんだこのホラー まじで

容赦なくいろいろ書いてるナツキさんだけど
それでも一応

『これ以上人のことを悪く言いたくない、
愚か者だと言いたくない』

くらいの善意はあったから伏せてた

(今はなんかもう、どうでもよくなった)

 

『時間を置けば、少しずつなら分かるかもしれない』

という可能性を否定していなかったのも嘘ではないけど、

今はもう、
『まあ無理だろうね』という結論しか出ない

両親とわたしは距離が離れすぎてしまったよ

にも関わらず、わたしの速度は良くも悪くも年々増してる
両親はそもそも進んでいない中で、
もう減速していきたいだろうに

 

同じ理由で

確認と理解が欲しいなら
(中略)
サッサとこっちから吹っかければよかったんや…………

これも諦めてる。

その後さらにいろいろな勉強や体験を積んで、
「吹っかけても絶望が返ってくるだけだっただろう」と確信してしまったから。

(ひきずらせてこじらせるよりは
早めに見切った方が良かった、という意味ではやるべきだったけど)

今の私はきっと、穏やかにそれができるようになっているはずだ。

これも、またいろいろあって、
穏やかじゃない方に振り切れてるし。

それともまた、気が変わったりするんだろうかねえ。
どうなんだろうねえ。

……はぁ。

親ってなんなんだろうな…………

 

3年半後の関連記事

両親に関わりたくない理由はもう少し掘り下げることができて、「悪口ばかり」というのは本質でもあり一端に過ぎなくもあるのですが……

 

具体例をいくつか書いたよ…………

両親への印象、兄とわたしで全く違う景色
最近兄がブログで、両親のことについて少し触れていました。 父も、今回は触れませんでしたが母も、二人とも少々生きるのに不器用ではあるものの、僕にとってはよい親でした。毒親とかじゃなくてほんとよかった。 しかしながら、妹にとっては違いました。 ...

しかし更に一ヶ月半後、急展開があって
わたしからの拒絶の意が伝わることとなったのでした(リンク先に追記しました)。

人生何があるか分かんねぇな…………

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