氣になることは 都度都度解消しておかないと
いつまでも引きずっちゃうんだよなあ
という話

ふと思い出した

昔、あるシリーズもののゲームの中で
1作品だけちょっと異質だった

で、人とそのゲームの話題になったとき

 

あいて「この作品のこういうところが異質ですよね」

わたし「そうですね。
ほかの作品と比べて、ちょっと『んん?』ってなりますねえ」

あいて「ですよね!
やっぱりこの作品だけおかしい。
シリーズの一作品として認めがたいのも当然です」

えっ いやいやちょっとまって、
“他の作品と比べて異質だ”とは思ってるけど
“だからダメ”とか“認めてない”とか“おかしい”とかはべつに……

……と思ったんだけど、
なんか言ってモメるのも面倒だったので、適当に流したような……

 

それから幾年もの時が流れたけど
今なお

『あのとき話したあの人に
“わたしもあの作品を認めていない”という認識をされたのは本意ではないし
未だにそう思われているかもしれないと思うとモヤモヤする』
なので
その時その時、違うよと思ったら『違うよ』と言いたいなと改めて思いましたマル

 

そんなん一々するヤツ面倒臭いですね
モメるかもしれませんし!!

でも面倒くさい人間なのでしょうがない
後悔……とまで言わなくても、
『氣になっちゃう』を10年も20年でも
たぶんそれ以上も引きずるのはあほらしい……

 

どうしようもないこともあるし、
がんばってもダメなこともあるので
諦める努力もするけど、

さほど手間がかからないなら
残さなくていい心残りの芽は
つぶしておきたいのだ……

そういう生き様の人間もいていいよな、多分

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