「そんな (地味で刺激のない) 人生の、何が楽しいの?」

「おまえ、スシ(生魚)食べられないなんて
人生の半分を損してるよー!」

 子供の頃、なんかしょーもない理由で
兄にそんな事を言われましたw

 当時は安価なお寿司って普及してなくて
高級品のイメージしかなかったから、
『お金がかからなくていいんじゃないかな』なんて感想を持ったような気がします。

わたしはお酒を飲めない、一滴も飲めないので
「どうやってストレス発散してんの……!?」って同僚に言われたことがあります。

 どうやって…………
ゲーム依存、かな…………

 目はしんどくなりがちだけど
様々な世界や物語に触れられて楽しいので、
お酒よりも楽しいと思うのだけど。
思い出もなんも残らずいっとき酔うことこそ、何が楽しいんだろう?
と思いました。

 あと「お酒が飲めないとストレス発散できない」という発想(前提)はだいぶ悲しいのではないかとも思いました。

※楽しいこと、ストレス発散の方法はひとそれぞれです

※これを言われた当時はまだ、潜在意識へ働きかけてのストレス対処を扱えませんでした

引きこもりであることを自称すると
「じゃあ外に連れ出さなくちゃ!」って張り切られたり
「旅行のない人生なんて哀れすぎる」という目を向けられたりすることがありました。

 なんでだ……
わたしはわたしがいちばん居心地よい過ごし方をしているだけなのに、
なしてそんな、余計な……

 ゲーム内を駆け回ったり考え事をするので十分満足だし
肉体を伴う移動や行動は負担が大きいのよ。



こんな感じの生態なので、
「そんな人生の何が楽しいの?」
という問いが、ときどき心に突き刺さってくるのでした。

まあ……

胸張って『楽しい人生です!』とは確かに言い難いけど、
その理由は「楽しみがないから」じゃなくて「苦しみが多いから」だし……
うーん、「楽しい」を基準に見るなら、
なんだかんだ、楽しい人生をおくってるとは思うなあ。

少なくとも、「つまらない」とは無縁だよ。
あ、うん、「つまらない人生とは感じていない」ってことは、胸張って言える。

そんなふうに、この質問が湧いたときは
なんとなく、なんとなーくゆるっと
『それなりに楽しい寄りだよ』と
返しをしていたのだけども……

今日、久しぶりに刺さってきたこの質問へ
驚くほど明確な返答が打ち返されていました。



そんな人生の、何が楽しいの?

うーん……

空気の匂いを感じること。
草の香りを味わうこと。
風に乗ってくる香り、
夜の香り、
季節の香りを、楽しむこと。

朝の、夜の、静けさを聞くこと。
鳥の声に耳を傾けること。
同調できる音楽の、好きな人の声の、
心地よい響きを、体ごとで感じること。

雲の流れを眺めること。
雪の降る様子を眺めること。
電線に積もった雪がぱさっと落ちるのを楽しむこと。
空の青さや赤さを楽しむこと。
季節ごとに見られる木々の色合いを味わうこと。
その木々の色合いを空に合わせてみること。
生命力に満ちた色を網膜の奥まで送り込んで、神経へと響かせること。

見知らぬ猫と距離をはかること。
仲良くなること。
仲良くなった猫をひざにのせること。
なでること。
その感触を楽しむこと。
手触りの良い素材の、その手触りを楽しむこと。

……なんやめちゃくちゃ楽しいじゃんかww
“君”には分からないかもしれないけどさ。

そんな気持ちになってきたぞww
喜びがお手軽www



……でも、東京の暮らしでは
この喜びを味わえなかっただろうなあとも思うのだ。
空が狭すぎるし、色も少しくすんでいるし。

窓を開けても自然物はロクに見えないし、草の香りもしない。
そもそも窓を開けたいと思ったことがない気がする。
人口が密集しすぎているから、どうしても人目が気になって。

そうやって当たり前に他人の存在を気にすることは、
物事を楽しもうとする気持ちも
楽しむ余裕も削っていたのかもしれない。

鳥の声はあったと思うんだけど、
楽しんだ記憶、楽しもうとした記憶はないんだよなあ……。

人工物、人工的な環境が悪いって決めつけられるわけじゃないけど、
それらよりも前にわたしが必要としていたものたちが
あまりにも満たされていなかったように思う。

なければないで
ゲームと思考を楽しむんだろうけど……。

でも、その生活に戻れるかと聞かれたら、イヤだなあ。

今は札幌にいるけど、中心部を含めてどこへ行っても視界が開けていて
空が広いし山が見える。ステキ……!

今暮らしている家の窓からも山が見える。ステキ……!!

しかしこれでもわたしにとっては
他の人々と距離が近すぎるだろうから、
やっぱりいずれは山奥に暮らしたいですなあ。

大声で歌いたいし、
カラスの鳴き声を真似る練習をしたいのですわ。
街中の暮らしではやるわけにはイカンのですわww



それにしても人生が楽しい理由、
めっちゃ五感推しで来たな…………月牡牛座らしいなあ。
能動的な趣味は入らなかったね。

動物的に五感を味わうのは100パーセント楽しいけど
人間的に自分から何かするのは
苦しみも伴うからかねえ。

あのお返事は紛れもなく自分の言葉だし
自分を的確に表している内容でもあるんだけれど、
同時にただ浮かんできただけの、自分で考えた言葉ではないので
なんだかそんな感想になります。

……それにしても、
五感推しなのに味覚に関することが一切入ってない
のが
とっても気になるの……じゃが……!!

えっおいしいもの好きなん……だけど……

……いや……
使ってないか……
使ってないんだろうな……
味覚……

今の暮らし、他の五感は積極的に能動的に味わってるけど、
味覚だけは「最低限不快を避ける」って方向性なんだよなあ…………

味覚への刺激物は
そこにいる山とか鳥とか香りとかと違って
自分で用意しないといけないじゃん?

めんどくさい&経済的な困窮のために
ソコ整えられてなくてねえ……

味覚そのものは多分悪くなくて……
むしろ下手したら鋭いんじゃないか。

そのうえで合わないものは口にできないから、
『あれもダメこれもダメ』になってて……

正直『めんどくせーな!!』って
この感覚を邪魔にすら思ってる。
味覚鈍かったらもっとテキトーにできるのに、節約もできるのに、って。

(でもたぶん、実際は逆で
味覚の神経質さには助けられてるんじゃないだろうか……
テキトーにぞんざいにやってるにも関わらず、質の悪いものを口へ入れずに済んでいるような気がする)

貧乏暮らしを脱して
食に手間暇お金をかけられるようになったら、
案外料理上手になっちゃったりするのかもしれんね……!

なんか知らんけど「料理上手そうだね」って言われるんよね。
まったくできないのに。

見た目の印象って、中身に関係ないようで
実はその人の才能を示しているらしいので、もしかしたら。

いや、ズボラは変わんないだろうから、ムリかw

補足

見た目の印象って、中身に関係ないようで
実はその人の才能を示しているらしい

こんなことを言うと
外見で悪印象を与えがちな人は不安になるかもしれないけど、

才能とはどんな傾向のエネルギーを持っているかのことであって
その使い方まで決まっているものではないので

本質を捉えて扱い方を探って
良い方向へ活かせば
よいのですぞ

参考記事運命は変えられるのか?占星術の観点から

たとえば以前、
「顔が怖いらしくて『人殺しの顔だ』『2、3人殺ってる目だ』とか言われるんですよね」って人がいたんだけどもw

その人に殺人の才能や危険性があるわけではないですwwwww

でも、燃えるような気力や行動力、激しい情緒あたりは秘められているかもしれませんね。

ネット上のみのやりとりだったし、そんな深い付き合いでもなかったから、
わたし自身はその人の外面も内面も確認していないのですがw

まあなんというか、
そんな感じです。

余談1

ゲーム内を駆け回ったり考え事をするので十分満足だし
移動や行動は負担が大きいのよ。

今は、旅行やお酒の良さも想像ではありますがなんとなく分かるようになりました。
素晴らしい環境へ飛び込んで物事を直接見聞きしたり、体の状態を変えることはそらまあ楽しいかー という感じなのかなー 程度ですが。

わたし自身は相変わらず、旅行もお酒もやらなくて、
その楽しさを身をもって確認してみる気もないんですけれども。

わたしは肉体の充足をそんなに求めていないけど、
思考だけで満足なひとばかりじゃないですよね、そりゃぁね。

心身に刺激が多すぎて負担だからかな……
うーんやっぱり基本は思考とイメージで満足だなあ。
自然を味わうのは好きだけど、旅行という非日常、レジャーの中だと無理な気がするしなあ。
知識と経験を積めるのはきっと有意義なんだけど、負担と秤にかけると
『うーん、いらないかな』ってなってしまうねえ。

余談2

今ではなぜか
サーモンだけは食べられるようになりましたw
おすしのはなしwww

人生の半分を取り返した感じは
しないですwww

(しかし菜食主義へ移行したいので
食べられるようになってもあまり意味ないですw)

(口に入れるものについて、
動物性と添加物と人工甘味料を避けると
市販品には実質選択肢がなくなるので、
料理はいずれ真面目に学ぶつもりではいます……
ズボラしたいのにぃ トホホ)

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