加害者はいずれ被害者の苦しみを味わう。
しかし被害者もまた、いずれ加害者を体験する。

因果応報、悪いことをしたら返ってくるというけれど、
なんか、逆もある氣がしてきた……

つまり、悪いことをされた人が
やがてする側に回るということ。

 

因果応報の働きは
世界の平等性を保つために存在するんだけど、

人間の氣持ちとしては

「悪事を働いた者に制裁を!
加害者には被害者の苦しみを分からせてやれ!!」

っていう心理にもなるよね。

 

ここに
平等に
因果応報が働くと、

「被害者には、加害者の苦しみを分からせてやれ」

と、なるんだよね……

 

確かにね、加害側も、
体験してみないと分からないことばかりだからね。

そして体験したことで、次に被害者になったとき
受け取り方が変わっていると。

(体験を身にできていれば)

 

「苦しみを分からせてやれ」というのは
言い換えれば「理解を求めている」ということになる。

「理解を求めている」というのは、
因果応報と合わせれば
「相互理解」につながる。

 

被害と加害と、立場を入れ替えながらどちらもを味わい、
やがて相互理解にいたってお互いに心(波長)を乱さなくなったとき、
加害者になる必要も被害者になる必要もなくなる。

そして、この関係性が終わりになるんだろう。

 

おまけ

因果応報の働きは
世界の平等性を保つために存在する

「どこが平等なんじゃい」という意見が方方から聞こえてきた氣がした……

その想いになるのは分からんくない

 

「殺人とかどうなんだよ!!」という声も聞こえてきた氣がした

書いてたら区切りが悪くなったので、別の記事に分けました。

加害者はいずれ被害者の~ おまけ記事
前の記事 あらすじ因果応報というものがあるっていうよね。人に「加害者に被害者の気持ちを分からせたい」という気持ちがあるのは当然だけど、被害者も、加害者の気持ちを理解する方向に動いてく気がする……という内容です。 書いてたら「殺人とかどうなん
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