前の記事
あらすじ
因果応報というものがあるっていうよね。
人に「加害者に被害者の気持ちを分からせたい」という気持ちがあるのは当然だけど、
被害者も、加害者の気持ちを理解する方向に動いてく気がする
……という内容です。
書いてたら「殺人とかどうなんだよ!!」という声も聞こえてきた気がした
あと、「どう考えても報いを受けているようには見えない」ってパターンね。
そういう重いやつ、相手の心境とあまりにも距離が遠いやつは、来世回しになったりするんじゃないかな……
来世回しというか、今生でも返すんだけど、
ほんの一度の人生では足りないから
何度にも分けて解消していく、みたいな。
または、一度で返すにしても別の人生を使うとか。
前記事にも書いたとおり、
被害者や見ている者の立場からは
「ふざけるな!」って思いにもなるけど……
「今生のうちに、因果が分かりやすく見えるうちに全部償わせろ」ってね。
しかし「見える償いをさせろ」という想いは、
理由はどうあれ「不幸になれ」という攻撃心であり、
想いだけとはいえすごぉく厳密に言えば加害の一種だから、
持たないに越したことはないのだ……
いや、持って当然なくらい苦しい目に遭わされているわけで、攻撃心が湧くのは当然なんだけど……
ただ、そんなふうに余裕のない人間視点からだと察しづらいだけで、見えないところで既に償いが進んでいる可能性もあるんだよね。
「みえないはたらき」って、
見えないから無視しがちなんだけど、大切な要素なんだ。
「見える償いをさせろ」という想いは、
「自分は“見えないはたらき”を信頼していません」宣言でもあるから、
やっぱり良くはないんだよね。
被害者や傍観者の学びだね……
ちなみに
偉そうに言ってる当のわたしは
『そういうことなんだろうな』を探求しているだけで
人間的に人格的に優れているわけではありませんので
めっっっちゃ恨むし
めっっっちゃ『同じ苦しみを味わえぇァーーー!!!』思いますねなりますね (゚∀゚)
見える償いをーーー!
させろやァーーー!!!!!
おまけ
「殺人とかどうなんだよ!!」
最初タイプミスで
「殺人とかどうなにょ」って打った
だいなし
そういう重いやつ、相手の心境とあまりにも距離が遠いやつは、来世回しになったりするんじゃないかな……
近年においてはその返し方ができなくて、
重かろうがなんだろうが今生のうちにすべて解消することになる
……という説も、あるみたいですね。
「見える償いをさせろ」という想いは、
「不幸になれ」という攻撃心であり、加害の一種
とはいえ
見える償いをさせろやァーーー!!!!!
なんかさ、スピでも宗教でも学校でも
「そんなことを考えちゃいけません」て教えになるやん?
ゆるしてあげなさい……
ってさ。
でもさ……文句を思ったり言ったりしてるうちに
新たな境地を見出して恨みが解消することも少なくないのだ……
そしてそれは、
『こういうことを考えちゃダメ』で押し込めてたら
決してたどりつけなかった境地なんだ。
押し込めてたら、我慢しているだけだから
ずっと恨みの気持ちが残る (=ずっと攻撃心を発し続ける) ことになるんだよね。
でも発したことが解消につながると、
もう、攻撃心を発することもなくなる。
加害者でいる必要がなくなり、
被害者でいる必要もなくなる。
だから、恨むことが、……
良くはないんだけど、
乗り超える段階としては、
通過点としてなら、
必要なんじゃないか……
とも、
思うのだ……
恨まないで乗り超えられたら最高だけどさ……
そんなレベル高い人間じゃないし、
そんな人間なら、そもそも問題として来ないわけで……
だからといってやっぱり、
恨み言を正当化もできないんだけどさあ。
思いを募らせてると言動に出るから。
これやで。(マザーテレサの言葉)
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
通過点として使うのが良かったとしても、
通過できた未来の保証はないですからね。
思考を許容したことで言動が荒れ狂って、
やがて運命につながっていったら悲惨やんか……
文句を思ったり言ったりしてるうちに
新たな境地を見出して恨みが解消することも少なくない
関連記事