何氣ない一言で相手を信頼できなくなってしまった

いつだったか、どこだったか、「おお、面白いなあ」と思ったブログ記事がありました。

しかし、同じ記事を読んだ同僚は、「30歳にもなってこんなこと言っちゃうの?」というコメントをこぼしていました。

 

私はそのブログ記事に輪をかけて「30歳にもなってこんなこと言っちゃう人」なのでw その発言がものすごく、ものすごーーーく心に引っかかってしまいました。
こんな真っ向から批判コメントする人ではないと思っていたから、余計に。

もしこの人が私の書いた文章を目にしたら、同じこと言うのかもなあ、って連想してしまって、すごく悲しかった。

 

あなたが5歳で知っていたことを理解するのに30年かかる人だっている、50年かかる人だっている、生涯を閉じるまで氣づかない人だっている。

そこを考えれば、30年理解できなかったことが分かるようになるってすごいこと、素晴らしいことだというのが、私の考えで……

「人間はいくつになっても成長できる、取り返しがつく」と思いたい私は、そこを「30歳にもなって」でバッサリされてしまったことも悲しかったのでした。

何ヶ月も経ってから、その人が大きなプロジェクトを立ち上げることになりました。
そして私のことをメンバーとして誘ってくれたのですが (以前一緒に仕事をした経験から腕を買ってくれて)。

ありがたいお話だったんだけど、「30にもなって」発言が引っかかって引っかかってしまって、「この人と仕事するのは氣が進まないな……」って、心がざわつくばかりでした。

 

結局他の理由でお断りする運びになったんだけど、「他の理由」がなくても行かなかったと思います。プロジェクト自体には興味あったんだけど、私からその人に対する信頼がどうしても持てなくなってしまって。
「このひと私の本質知ったら鼻で笑うんだろうな」って。

 

「笑われるのかも」は被害妄想だったかもしれません。
たった一言でバカバカしい話にも間違いありません。
それに、言われたからって (思われたからって) 何なんだ、別にどうってことないじゃないか、仕事には関係ない……とも、思います。

思いますなんだけど、たった一言によるバカバカしい想いが、
どうしても、どうしても、ど~~~しても
拭い去れなくて……!

「こんな真っ向から批判コメントする人ではないと思っていた」ような人がこぼすからには、そこには何か、その人にとって重要な何かが、あったのかもしれません。

その一言がどうしても氣になってしかたのない、私にも。

なにかこう、わだかまりになる、何かが。

こんな事もあるんだなあ、
私もふとした一言には氣をつけ

…………

……………………

私が自分の発言に氣をつけられるわけがないんだから
見限らないでいてくれる人たちのありがたみすごい……
そして、見限られることがあっても諦めよう……

そう思った、できごとだったのでした。

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