ちくしょう付きの感謝がまじ多すぎる

さきに関連記事から

 

「(嫌なことにも) 感謝しましょう」

スピリチュアルあるあるです。

……でもさ、嫌じゃない?

嫌な人・出来事に感謝するの……
ムチャムチャ、嫌じゃない??

そんな簡単に感謝できるなら、
そもそも嫌だと、思わなくない……?

 

「嫌な出来事でも、視点を変えれば、そのおかげで今があるんですよ」

って言われたらさ、

思慮深いわたし→ まあ、そうだよな。
これは事実だし、大切な考え方だと思う。

短絡的なわたし→ うるせー!!

こういう反応になるw

ここを我慢して「感謝ー!!」ってやるのも、ありなのかもしれないけどさ……

そういうのこだわりなく素直にできる人ならいいんだけどさ、
ワタシ無理。
ワタシ納得しないと先進めないタイプ。
ハラ立つものはハラたつ。
ガッツンガッツンぶち当たっちゃう。
ムリムリ。

嫌なものは嫌であって、
そこにありがとうとか、好意的な態度の言動取れないです、取りたくないです。

心がついてきていないのに、言葉だけ感謝っぽい事言うと胸にズキッと来ちゃうし……。
ウソついてるというか、心にない言葉を出すことが心に痛い。
ムリ。ムリです。 ムリというか、イヤです。
嫌なものは嫌ですw

そんな感じで、嫌な対象には全くこれっぽっちも感謝してないワタシでありますが……

そうは言っても、
「その嫌な人・出来事のおかげで得るものがあった」とか「嫌なものでも、お世話にはなっている」という事実が揺るぎなく存在していることもございまして、

そんな場合には
どんなに『あんなんに「あのおかげで」とか思いたくねぇーーー!!』など憤ってみましても、
そのおかげで何かしら得られていることを認めざるを得ないわけです。

認めざるを得ないんだけど、

感謝はやっぱりできないわけでw

ぐぬぬ葛藤……!

 

そんなとき私は、

腹立つ要素を一旦脇に置き、得たことのみに感謝しています。

嫌だけど、嫌だけどォ……!

それは、それと、して。

コレコレこういう事を知るきっかけとできた、
面白い知見を得ることができた、
自身の言動を改められた、
それはよかった……

みたいな。

ここへ至るまでの出来事、
この出来事、それを与えてくれた人、
確かに存在するし記憶にはあるけど、
自分の中での重要度は限りなく低いというか……

ポイです、ポイ (゚∀゚)

 

……と言いながら、わたしもなかなか心に残しちゃうタイプなんで、
思い出しては思い出し怒りしてたりで
実際にはそんな簡単にポイポイができる人ではないのですが……

嫌なことも良いことも、
心に残ったら最低5年はひっぱりますw

それでも、
「嫌なものに感謝しなくてもべつにいいや!」という姿勢でいられるのは、自分にとってとてもラクなことだなあと思いつつ、

不思議なもので、
嫌な思い出にこだわらず自分自身の整理を進めていたら
あんなにちくしょうと思ってたことがいつの間にか

『うーん、
なんかどうでもいいな……』

と感じるようになりました。

でもそれは、ちくしょう付きの感謝をできるようになってから、
ちょっと先の、おはなしです。

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