嫌な人や出来事と、それに心を動かされるかは、また別

こういう記事を書いたんですが。

不思議なもので、
嫌な思い出にこだわらず自分自身の整理を進めていたら
あんなにちくしょうと思ってたことがいつの間にか

『うーん、
なんかどうでもいいな……』

と感じるようになりました。


嫌は嫌なんですよ。
不快な思い出には間違いないし、
改めて同じ人・出来事に会うのも勘弁です。

もし会ったら、改めて怒るのは容易に想像できます。

しかし……

あんなに何度も思い出しては反芻して恐れたり憤ってたのはなんだったんだ、ってくらい、こう……なんか……
どうでもいい感あるし、

どうでもいいベースの上でとはいえ、対象が人であれば
『そうだねぇ、元氣にしてたらいいね』って、素直に思えるようになりました。

無理して我慢してそう思ってるわけじゃなくて
特に抵抗なく思えるので、負担もないです。

どうでもいい とはいえ、
心を閉ざしたのともまた違う感じで……
距離が遠い? 氣持ちを動かさなくなる……?

なんかこう、自分の感情を乱すほど内面に入らなくなったというか……

記憶としてはあるのですが、
心を揺らすものではなくなったというか……

ううーん

「どうでもいい」
 としか 言いようがないですw

こんな境地があるんだなあと、
なんでも怒りでもって動いていたころの自分には想像もつかなかったです……。

移行している最中はひたすら氣持ち悪かったですw

『えっこれ怒らなくていいの? 怒るべき!! 怒らないともっとひどいことになる』って落ち着かず。

でも、怒らなくても別に、ひどいことにはなりませんでしたw

「怒りを基準に動かない(あんまり)」の状態へ至るにあたっては、
まあ、いろいろな要因があるのですが、
一番最初は「怒りに体力がついてこなくなった」だと思いますw

年齢を重ねると人格が丸くなる傾向は、体力が落ちてくるのにも影響されている……と頭では理解していましたが、『なるほどこういう感じかー』って思いましたw

とはいえ、
氣にならなくなっただけで
感謝はしてないですw

結局してないですw 感謝はwww

不愉快な想い出に振り回されなくなったといっても
新しく出会ってしまうことはやっぱりあるわけで、
そういうときにやってることは、いずれ氣が向いたら書こうと思います。

(「書きます」と断言すると詐欺になるw)

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