話しかけられても氣がつかない ことに氣がついた

じぶんは 他者といることが
ほんとうに
まじで
自分で思っているよりもずっと
負担なのでわ??

って
改めて
思い始めた

 

「話しかけられても氣がつかない」って、
『集中してるときはそういうこともあるよね』くらいには思ってたけど……

そんなんじゃまったく足りないレベルなんでは?
って、疑いはじめて…………

 

「呼ばれても氣がつかない」という体験は
氣がついていないので記憶できないわけだけど、
その中でも氣がついて思い出せる事例。

 

  1. 話しかけられていて氣がつかなかったのを、
    数秒後に『あ、わたしか。すみません』って
    応じたことがあった。

    音としては聞こえてたけど、
    自分に関係ある呼びかけだと思ってなくて反応が遅れた。
    疲れてるせいかな、氣をつけないとな と思った。


  2. 何人かで話をしていたとき。
    私にとって居心地が良い話とは言えず、
    また自分にスポットが当たっているわけでもなかったので
    積極的には参加しないでぼんやり聞いてた。

    『もう帰りたいなあ』とは思いつつも
    きちんと聞いていたつもりだったんだけど、
    いつの間にか、皆の話題を元に自分の世界へ入り込んで別のことを考え始めていた。

    ……ことに、強く呼びかけられたことで氣が付いた。

    ごめん、聞いてなかった……
    『帰りたい』という氣持ちが強すぎて氣がそれちゃったんだな、アカンアカン


  3. それぞれ違うことをしているけど
    同じ空間にいるからなんとなく声をかけ合ってる、くらいのゆるい会話をしていたとき。

    近くに置いてあった書類が氣になったけど、
    会話しながらだと読めないので
    手に持ってなんとなく眺めてた。

    話に区切りがつき、会話も途切れて
    『もう続かなそうだな』と思ったタイミングで
    文章に目を通し始めた。

    それから数秒後に、新しい話題を振られていたらしい。
    ということに、何度めかであろう呼びかけが届いたことで氣がついた。

    この間相手の声はまったく聞こえていなかったので、
    無視して申し訳なく思うと同時に
    『あれコレ結構強い集中状態なんじゃない?
     ほぼ一瞬で切り替えられるもんだなあ、フオォ』ってちょっと感動したw

 

……このへんの描写で既に、
知見のある方には
「発達障碍ウッヒョーーー」って
察されてしまいそうだw

上記はここ数年間(30代入ってから)の話だけど、
初めてのバイト(当時16歳)では
「声をかけたら返事をしなさい!」って何度も言われてたし。
(それ以降上記までは、氣にとまる思い出はない)

 

それでも私は、

『こういうこともあるけど、
氣をつけてれば一応なんとかなるし
そこまで重症な人ではあるまい』

と思っていたのですよ……

思っていたのですが……

 

今日ね、ちょっとね、認識を改めた。

重症な人なんではないかと。

自覚してるよりもずっと、重症だろこれは!!

「疲れてる」がなくても
「その場を離れたい」がなくても
「集中してる」がなくても

それぞれ、結果は変わらなかっただろ!

と!!

 

なんでそう思うに至ったかなんですけど

今日も「氣づかなかった」をしたからなんですけど

 

それというのが、
家に来てもらうと事前に約束してあって、
『いつごろ来るかなそろそろかな~』と控えていたにも関わらず

相手が同じ部屋に入ってきて、
それなりに大きな声で呼びかけてくれるまで氣がつかなかったの…………
orz

 

えと、わたくし今
先輩の家を借りて暮らしている、という
生活状況なんですけど。

基本的には一人で好きに過ごしてるんだけど、
月に1回か2回ほど、先輩が用事のついでに様子見に来てくれたりするのね。

で、今日がその日だったのね。

 

待ってたのね。
『そろそろかな~』って。

『あ、車の止まる音だ。
先輩かな~』

思ったのね。

『なんか物音がするなあ。
ところで先輩はいつ来るのかなあ』

ガチャ

「お邪魔しま~…
…して大丈夫?(・ω・)

『ああーどうぞどうぞ!
氣づきませんでしたすみません……!(゚∀゚;)

 

なにこの重症……!

『なんか物音』じゃないだろ
ソレどう考えても玄関ノックと開けてた音だよ!!
(最後の「ガチャ」は玄関じゃなくて部屋だよ!!!)

あああああ orz

 

なんでじゃ……
なんで、そこまで待機姿勢でいながら氣がつかないんじゃ……
頭が完全に別世界行ってたわ

でも疲れてたわけでも
来訪が嫌だったわけでも
何かに集中してたわけでもないんだよ…………

 

そりゃ、日々だらだらと過ごしているから
反応が鈍くもなるだろうけど……

ここまで?

ここまで鈍ることって、ある??? (;∀;)

だらだらしてるとはいえ、それなりに元氣なんよ。

えと、いま、『自分にとって一番居心地のいい状態』というのを模索していて……

今までだったら、
同じ状況 (誰かが来る/宅配とかも含む) があったら、ずっと緊張してたのね。

訪れるその一瞬のために、
数時間前、下手したら前日や数日前から
『人が来る人が来る人が来る人が来る』って控えてたのねw

(なんで前日が含まれているのかというと
日付感覚に自信がないから『明日だよな』『明日でいいんだよな!?』って
なんども確認している あと覚え間違いしてないかとか)

当日ももちろん、
『いつ来るか分からない』って。
『来るかも来るかも来るかもあの物音はそうかもいや違った』って、

ずーーーーーっと考えてるのねw

でも、この状態、自分にとって嫌だなって思って、
やめてみよう、やめる努力を始めてみよう、って、思ったのね。

待ってる間、ずっと緊張してるのやめよう。

万が一氣が付かなくても、
それで氣分を害する人じゃないんだし……!
せっかくそういう人相手なんだからさ!
甘えさせてもらお!!

……だからって、
まさか本当に氣づかないとは思ってなかったよ……!!
(;∀;)

 

『到着してから応じればいいんだから
何時間もずっと氣にしてるの、ムダだろw』

と思ってたけど

ムダじゃなかったな……

ずっと氣にしてないと、ガチで氣づかないんだな…………

ということが……

わかった…………

 

そして思ったんじゃ

『来訪者のお迎えでコレじゃあ、
今までどうやって仕事してたの??』

『「いつ話しかけられても応える」のためだけにも、
いったいどれだけ消耗していたの???』

『「自分にとって居心地いい状態」から、
どれだけ離れて生きてきたの????』

答えは分からないけど、

じぶんは 他者といることが
ほんとうに
まじで
自分で思っているよりもずっと
負担なのでわ??

と思った次第です、
ハイ。

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初めてのバイト(当時16歳)では
「声をかけたら返事をしなさい!」って
何回も言われてた


意図的な無視はしていなかったし、
当時は迷惑をかけることへの罪悪感もなかったから
ひたすら『???』ってなってたな。

返事をする努力はしたけど、他にもいろいろあったから
周りはさぞかしカサンドラを味わったのだろうなぁ……
実際怒らせてばっかりだったしな。

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