持ち物を減らしていくにつれて、自分に必要な物もだんだん減っていく。それは幸せと自由を得ることでもある。(『ガンディー 魂の言葉』)
●ちょっと不思議だと思ってるんだけど、
いろいろな物を捨てて
あらゆる契約を切って (と言っても元々ないに等しいので、電気とかガスとかそういうのだけど)
自分名義で借りていた家を退去して友達の家に住み、
さらに役所へ申告した住所とは違うところに住んでみたりしたとき、
自分の名義や存在というものが社会から切り離され、
どこにも存在しない人間になったかのような感覚があった
●それから貯金も尽きて。
こんな状態になるほど追い詰められるのが
怖くてたまらなかったはずなのに、
いざなってみて、その状態でも周りが助けてくれて、
一応は日常を送れたとき、
「持たぬことの気楽さ、しあわせ」みたいのを感じたんだよね
状態が状態だから大きな不安もあるんだけど、一方で、
なんだかよくわからない大きな安心感もあった
●今はまた、自分の名義で家を借りて
電気ガス水道の契約をして、
家具や物もたくさん買い揃え直そうとしている
●お金は今のところ見通しがなくて、
それだと生活を維持していけないから
何かしらしないといけないとは思ってるけど……
ある程度暮らしが安定したら、
もう貯金はやめようかなって思ってる
持たない安心感を知ってしまったので……
●とはいえ、お金を持っている状態と持っていない状態は違うし、
持ってみたらまた心境の変化を覚えるかもしれないから、
実際お金を持てたときにどうするのかはまだ分からないけど
●行動力なさすぎて
使わないお金をどう手放せばいいのかよくわからないし
世のため人のために使って欲しいから国債かなあと思ったけど、アレってお金を貸すってことだから利子付けて戻されるんだよねえ
それは違うんだよな……寄付できないのかな。
災害の義援金は、ちょっと違うんだよな……(いやそういう使われ方でもいいんだけど)
●できることなら、生活保護費として使ってほしい想いある……
自分自身も頼るかもしれないし、どうしようもないときって本当にどうしようもないんだな、そういうこともありえるんだなって実感をしたから……
●ただ、コロナ騒ぎで入ってくる情報を見る限り
この国の政府にお金を与えても浪費されるんとちゃう?
という心配が……あるかな…………
お金を補助するという助け方をするのではなくて、
もっと国庫足りなくなってどうしようもなくなって
危機感持っていただいて根本改善を促した方が良いのでは??
という氣も、ちょっとしている
ただ……この方法だと、乗り切るまでの過程がおそらく死屍累々になるので、最善とは呼べないけど…………
けど、それくらいしないと単なる先細りの半端な延命措置になってしまうような…………
●まあいいやわたしが考えることではあるまい
(特に、貧窮している今のわたしが考えることではあるまい)
●あんまり真面目に情報収集してないから
きちんと見たらまた違うのかもしれないし、
時間が経てば変化もあるかもしれないし
あと、いろいろ言われながらも
みんなそれぞれ自分にできる最善は尽くしているんだと思ってる
だから、善きも悪きも何を言われていても
力を尽くしてくれていることに関しては
お疲れさまですを投げかけたい
●まあ今のわたしは
余ったお金をどう流すかどころか
足りてないやんか家賃払えないやんかってところなので
まずはそっち
●一歩ずつ、一歩ずつ進んでいくのだ
自身の名義が消えていた状態から
少しずつ戻っているのと同じく